越中おわら風の盆
|
【データ】
【メンバー】 |
今年の風の盆は、9月1日が土曜日。来年は日曜日となり、月曜日に休むことが難しいカレンダーとなるので、今年もと思い立ち、出かけることにした。月曜日を休めないか考えたが、重要会議が入り駄目。日曜日の夜行バスも考えたが、一番の目的を、昨年、親しくなったN氏からお聞きした、胡弓奏者の若林美智子さんの深夜の町流しを経験することにしようと思うと土曜日徹夜、日曜日の夜行バスでは術後の体には毒だし、月曜日、仕事にならないと思い、土曜日の徹夜で若林美智子さんの流しをメインに行こうと計画した。 風の盆も富山に単身赴任していた父から教えてもらい虜になり、今年で6度目となる。 おたや階段での鏡町の踊りの堪能や、最終日明けの越中八尾駅の「見送りおわら」まで経験して、残るは、NHKの番組で知って長くなる胡弓奏者若林美智子さんの生が最後の宿題みたいに思っている。 昨年の風の盆で親しくなったNさんにメールで今年の予定を問い合わせると姪の方の結婚式で行けなくなったとのこと、残念だ。若林さんの胡弓を改めて勧められる。 風の盆の天気は3日のうち1日はくずれることが多いと以前、聞いているし、私自身も過去に、雨に降られたことが複数ある。残念なことに今年の天気予報では9月1日が悪かったが、直前の予報で、午後から降水確率が下がった。特に18時以降は20%となった。それで決心し、ホテルはキャンセルして、徹夜を決めた。 ただ、前日からの大雨が気になる。朝早く起きて、池袋駅に着き、荷物を整理していて演舞場の入場券を忘れたことに気付く。セブンイレブンで買ったのだが、間違って別の公演の入ったセブンイレブンの袋を持って来ていたのだ。取りに帰る時間もなく、意気消沈する。 気を取り直して、バス停前のMacで朝食を買い込み、バスに乗り込む。バスは満車とのことだ。真ん中の列だし、曇りで外の景色も良くないので、徹夜対策にできるだけ、眠るように心がけた。 昨年と同じく、上里SA、松代PA、越中境PAで15分ずつの休憩が入る。途中、妙義山がガスと混在となって、水墨画のような世界だった。また、松代PAでは涼しく秋の気配が漂う。 15時から始まる、おわらのスタートシーンを観たいので、富山駅に着いてからの時間をスマホで確認すると、何と高山本線が不通だと知り愕然とする。JR西日本のHPでは、終日運休の予定だが、再開予定の可能性の含みも残している。ただ、14時代までは確実に運休だと発表されていた。 西武バスの運転手が、越中八尾までは再開したとアナウンスしてくれたが、富山駅に行くと、運休中だった。女性駅員に確認すると、昨日からの大雨で、線路点検中で復帰の目途決定していないという。運転手情報のとき、JR西日本のホームページで再開が流れていないのをおかしいと思っていたのが当たった。 仕方なく、富山地鉄のバスに乗ることにした。JRだと320円のところが、片道740円もかかり、時間も倍かかるが仕方ない。沢山の人が並んでいたが、臨時バスも出ているようなので仕方なく並ぶ。往復でも1000円と高くなるが、駅員に明日の運航は今後の雨しだいという話だったのと、早朝からバスもあるので、往復切符を買い求めた。 高速バスの中では、富山から八尾まで歩くことも考えたので、バスに乗れるだけましだ。臨時バスは不幸にもぎりぎり座れなかったが、次を待たずに向かったおかげで、井田川の向こうに坂を下る福島支部や大好きな天満町のスタートを観れた。天満町は相変わらず、男女ともに歌が上手く(2014年の新日本風土記「越中八尾風の盆」でも紹介されている)、橋までの街流しを堪能して、風の盆に来て良かったとしみじみと思う。 ![]() ![]() ![]() 下新町に向かうとちょうど下ってくる下新町の町流しに出会う。相変わらず、ここの女性胡弓奏者は良い。昨年N氏に出会った東町のぶらっと館前に、係りの若い男性の方がいたので、チケット忘れの件を相談すると、問い合わせてくれ、レシート等の確証があれば良いという。クレジットのコンビニでの購入歴しかないが、小学校の事務局に相談するようアドバイスを受け、小学校で相談すると、男性スタッフが上司に相談して、OKが出た。自由席だったのが判断を容易にしたようだった。 ![]() ここまで、チケット、鉄道の運休と色々あったが、上手く回り出したようだ。幸い、雨の気配もない。ありがたく思い、町に戻り、今回のメインである若林美智子さんのCDを販売する尚美堂時計店に行くと、昨年もいたお弟子さんがいて、1時から流すという。随行しても良いとのことなので、喜ぶ。 林精肉店の辺りで、西町が輪踊りをしていた。その後、東町の町流しを観れた。歌が上手かった。 ![]() 昨年と同じく、玉旭酒造で、にごり酒を買う。店の女性からサンダーバードが運休となり、関西からの観光客がすくなくなるだろうと聞いた。高山本線はすぐに止まると笑っていた。また、林精肉店でコロッケとやきとりを買い求め、演舞場のある八尾小学校に向かう。 先の相談では受付にも連絡してあるからと係りの人は名前を教えてくれなかったが、危惧通り、受付では、再度の相談となったが、自由席なので許可してくれた。 席は昨年と同じく、真ん中の4列目とした。にごり酒とやきとりでぼんやり過ごしていると、山の先輩のAさんから、「八尾に着いたので会えたら」とのメールが入る。連絡をとると登山との順序を逆にしたとのことだが、20時頃までしかいないということで、会えなかった。 ![]() 昨年と同じ司会者の案内で、開会となった。昨年から3日間となり、この日は、福島、諏訪町、東町、下新町の4支部だ。指定席はほぼ完売のようだが、自由席の入りはまずまずだ。 最初の福島支部は、太鼓と囃子の男性が相変わらず良い。ただ、歌い手は人により差がある。次の諏訪町支部は、すべてにバランスが良い。特に踊りに艶と落ち着きがあった。若い男性の歌がもう少しうまければ、尚良いのにと思った。三番目の東町は男踊りが特に良い。また、囃子が上手く、歌い手も美味い方が多い。混合踊りと女性の緑の着物が非常に上品だ。下新町支部は、司会の紹介通り、赤い浴衣が鮮烈だ。女性の歌が上手い。 風は涼しく、東町のときには、2年前の病気を思い出し、再び、この大好きな「おわら風の盆」を楽しませてもらう幸せにほろりと来た。これも胡弓の哀愁感漂う音色のせいか。 ![]() ![]() ![]() 終了後、今は四国にいるM君に電話すると、演舞場を終え、ぶらぶらするという。また、町で会ったらということにして、街中に戻ると、ちょうど、東町の花踊り(寄付者の宅前での踊り)を間近に見れた。緑の着物が上品で素晴らしかった。 ![]() 東町ぶらっと館は30分待たされたが、華やかな二階バルコニーでの踊りが見れた。踊り手の影が影絵のようで幻想的だった。 ![]() 〆はやはり鏡町のおたや階段。おたや階段に座って観るより、下から、おたや階段を背景に観る方が良いと思ったので、下に行くと、最前列の方のひいたシートに座らせてもらえた。大阪から来られ、15年ぐらい通っておられるという。立派な一眼レフを持っておられた。 ![]() その隣の方も同様の一眼レフを持っておられ、見送りおわらのことなど話題となった。中でも、鏡町の昔との違いの話になり、大阪の方は、昔の方が踊りが上手かったという。私もそう思う。今年は、雲の浴衣を着た人も若くて、皆で立ち位置の確認などしていた。それでも、このおたや階段で観る鏡町の踊りはやはり風情があり良い。 ![]() 今年から変わった若い総代の話を聴き、満足して、街中に戻ると、喫茶「明日香」の前で、ご主人が三味線を弾き、女性と男性が歌っていた。テレビで見たことのある観光客が帰る時間から、おわらが始まるというとおりだ。何とも言えないベテランの味だった。特に年輩の女性の歌声が素晴らしかった。 尚美堂時計店には若林美智子さんもおられてお弟子さんたちと談笑していた。私は買い求めたハイボールを飲みながら、ぼんやりしていると、深夜0時に鐘を鳴らして町を歩く男性があらわれる。昨年諏訪町で観た開始の鐘と同じだ。 その後、若林美智子さんが出てこられるのを待っていると、鏡町の流しがやってきた。夜は「夜流し」と言い、笠はかぶっていない。暗い細い道に、哀愁たっぷりのおわらが流れる。 若林さんは午前1時過ぎに出てこられた。三味線3人と弟子の胡弓の方、女性の踊りが2人だった。三味線はご主人であろうか?師匠とお弟子さん2人とのことだった。自宅前には50人ほどの人がいた。フラッシュはたかないようにとのことだが、写真は良いようだ。敢えて暗い道を歩くと聞いていたが、コースは、自宅前から曳山展示場前を通り、西新町まで行き上新町を通り、自宅に戻る2時間だった。 ![]() この日は、湿気で音が下がっていくとのことで、休むと入念な調律をされていた。また、三味線のお弟子さんたちが、音があっていないと止められ、厳しめの指導を受けていた。 しかし、興にのってきたときの若林さんの胡弓は哀愁をおびて何とも言えない音色だ。1メートルも離れていないところからの音色はしみる。時間とともに随行者も減り、涼しい凛とした空気と虫の音、月明かりに、この世とも思えない気配を感じた。若林さんと胡弓のお弟子さんは歌も交互に歌った。先導する年輩男性の雰囲気もリラックスして実に良い。 ![]() 2時間があっという間に過ぎて、自宅前に着いたときは随行者も10人になっていた。若林さんの「また、明日。おわらは、この後、町で続くからと楽しんで下さい」と促され、西町に行くと、西町OBの夜流しに出会った。女性の歌と踊りが良かった。 諏訪町に行くと、諏訪町の男性達が、ある高齢者に向けて花(ご祝儀)踊りをしていた。昔踊りの達人だったという男性、昼はそばやで夜はおわらじゃ体が持たないと言いながら歌う味わいある年配者。実に楽しそうで、まさに自分たちのためのおわらだった。このシーンを観れただけでも徹夜の甲斐があった。 ![]() 諏訪町もさすがにこの時間人は少なかったが、上っていくと、鏡町が流してきた。中でも胡弓の名手・長谷川清二氏の音を聴けたのは良かった。また、女性の雲OGと思われる人たちの踊りもさすがだった。 ![]() ![]() っぷくに入ると、若い女性も足が痛いと言いながらも、「この後のカップ麺が美味しいよ」という言葉が面白かった。さらに鏡町公民館前まで流し、公民館前で終えた。いっぷくしてからの歌はなく、4時10分にこの夜は終わった。 鏡町のおたや階段前のベンチや東町のぶらっと館のトイレ前のベンチでも寝ている人をみかけるが、多くない。 ほとんど人も通らないしーんとした八尾の町を、えんなか(水路)の水音を聴きながら、福島のバス停に向かうが、夢遊病者状態だ。天満町では、早起きのおばさんに出会う。 5時に福島のバス停に着き、バス停前のテント下の椅子で休む。涼しいどころか寒いぐらいだ。自販機の珈琲はすべて冷たくHOTがないのはうらめしい。ここでも ![]() 往復切符を買って待つ人は男性3人。皆、寒いと言い、室内に待合室がないことをぼやく。6時30分発のバスが10分前にようやく到着して、富山空港を経由して富山駅に向かう。 吉野家があったので、牛丼を食べ、腹ごしらえして、ほっと一息つく。 富山駅は立派で、新幹線とニュートラムの新車両が上下に止まると、華やかで地方都市とは思えない。富山の水道水はモンテカルロで最高金賞を2018年も取ったとかで、水飲み場があり、飲んでみるが冷たくないからか、それほど有難味を感じなかった。セブンカフェでHOTコーヒーを飲み、ようやく体があたたまる。 9時30分発のバスまでは長かったが、バスには、電源もあったので、残り少なくなっていた電池も回復し、連絡が取れた。 三列シートなので、徹夜明けには睡眠タイムとなった。火事のため通行止め区間があり、12時に妙高高原SAで臨時休憩となった。その後、信濃町インターで出て、国道18号 を通り、中野インターに戻った。これで35分遅れ、さらに東京近くで、事故渋滞のため計1時間遅れで池袋に到着した。 色々ハプニングはあったが、大事には至らず、満足感いっぱいで、今年のおわらは終わった。その後、ぼんやりしり、寝る前には、胡弓の音が聞こえるような日々が続いている。生涯、後、何回見れるだろうか? |