I氏が3時に車から起き出し準備を始めたので、テント泊のM氏と私も起きる。朝食のカニぞうすいは喉のとおりがよく寝不足でも食欲がすすむ。テントを片付け、出発準備をしているとき、御池からのピストンは、ガイドブックを読むとおもしろみに欠けるし、再来週の会津駒ケ岳登山口手前の駐車場はキャパが小さいとのことなので、燧をやめ、会津駒に行くことを思い立つ。二転三転したが、地図も有るので最終的には会津駒とした。
シルバーラインは、小説ホワイトアウトの舞台ともなった。トンネルだらけであるが、想像以上にいい道で、さすが東京電力とびっくりしたが、銀山平から御池まで何と48km の表示を見て愕然とする。
ロング&ワインディングロードの道をI氏が運転してくださるが、釣り人の多さにも驚く。渓流釣りファンも山には負けない人気だ。途中の鷹が巣の平ケ岳登山口にも10台ばかり止まっていた。
御池の分岐、七入の駐車場を過ぎ、立派なミニ尾瀬公園を越える村の中心部を過ぎると、会津駒ケ岳の大きな登山口標識があった。上に止めることができれば、往復小1時間助かる。
上の3箇所の駐車場は、ほぼ満車でぎりぎりであった。登山口の階段前が5台程度、その下がちゃんと止めれば7・8台、我々が止めたその下の場所も同数程度だ。登山口を少し越えた道路にも数台止めていた。
最小限の荷物で登山口の階段を登る。ここには登山者数をカウントする設備がある。最初から急登で標高差をかせぐ。見事なブナの森である。休憩所に適した場所には、距離表示がある。私も何人も追い抜くが二人は更に早い。
二人は水場で待っていてくれた。水場(I氏によると数分、標高差にして20mほど下るとのことだ。非常に冷たくて美味かった)が 標高差の中間地点とのことだが、ここからは傾斜はゆるやかだ。

リンドウも多くなった。ここからブナからしらびその大木の林に変わる。青空も見え出し、一眼レフを置いてきたM氏は悔やむが、青空はそのときだけであった。昨夜小屋に泊まった女性が、「夕刻晴れて展望がすばらしかった。これから晴れますよ」と言ってくれてはいたが。木道に変わると小笹の草原となり、駒の小屋も見え、写真におさめようとしたが、撮る間もなく、すぐにガスに隠れだ。
何とか駒の大池と山頂が撮れただけラッキーであった。駒の小屋は素泊まり3000円、休憩所も狭いが立派だ。何よりトイレ棟が新しくて清潔だ(有料)。キリンテへの道はトイレ棟の前の木道を進むようだ。ここでビールと柿の葉寿司の昼食を取った後、山頂を目指す。ずっと木道の道である。ここのコバイケイソウも全てに花をつけたようで、山と渓谷の記事通りどこも当たり年であったようだ。

巻き道と分かれ、階段をあえぎながら上ると、山頂であつた。山名表示が大きい。展望図も立派であったが、今日はガスの中だ。中門岳へは2.2kmとのことで、天上の楽園とも言える道を歩く。ルリトラのオ(クガイソウ?)が涼しげであった。

ガスに見え隠れする木道は幻想的だ。点在する池塘もアクセントだ。花の季節、とりわけハクサンコザクラの季節に再来したいものだ。地図通りほとんどアップダウンのない木道を進むと、Iさんが余りに眠いと言って引き返したので(途中で10分ほど寝て元気になつたとのこと)、M氏と進むと、大きな池塘があり、その前の大きな標識に意外にも、「中門岳、この辺り一帯をという」と書かれていてM氏と驚く(下の写真)。
ここで横浜の人に天気 予報の見通し(台風が北よりの進路となった)や雷の恐ろしさを聞き、雨もぽつりときたので帰りを急ぐ。気をつけていたが、木道の最後で滑りけがをするところであった。水場を越えるとスリップしやすく、強くなった雨に慎重になりつつも、前のご夫妻が早いので、着いていく。
川音が大きくなるとようやくとさ登山口で早く着いた二人が車を登山口までまわしてくれていた。新装となった駒の湯(500円、国道から一筋入る)は露天風呂もありすばらしい施設であったが、アルカリ単純泉で臭いがしないのと休憩所がないのが残念であった。

高速道路の深夜割引適用のためには、吹田を0時に通過しないといけないので、ミニ尾瀬公園に立ち寄る。ミニ尾瀬公園にある白旗史朗写真館(右の写真)は大きな三条の滝の写真に驚いたが、それ以上にすばらしい写真の数々にI氏と堪能する。小出ICまでは、悪路を避け、少し遠くなるが、北まわりで進む。小出ICまで何と120kmもある(銀山平径油では90km足らず)。途中、秋の交通運動期間とのことで検問があった。富山からは雨も降っていなかった。ほぼ、予定時刻に自宅に着くが、やはり遠い。総走行距離は1750kmであった。
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