会津若松(青春18切符の旅)

 


データ】     

2011年8月20日(土)曇り
乗車時間5時間42分 片道4940円
6:03行徳駅発 6:29日本橋駅発 6:49上野発快速ラビット 8:18宇都宮駅着 8:20宇都宮駅発 9:10黒磯駅着 9:39黒磯駅発 10:40郡山駅着
10:49快速あいづライナー1号 11:52会津若松駅着
12:00市内循環バス「はいからさん」乗車

乗車時間6時間18分 
18:05会津若松駅発(普通2両編成 クハ718−18) 19:19郡山駅着 19:41郡山駅発(普通 E710−15) 20:44黒磯駅着 20:51黒磯駅発(サハ−211) 21:41宇都宮駅着 21;47宇都宮駅発(モハE231) 23:38上野駅着 23:51上野駅発 23:59日本橋駅着 0:02日本橋駅発 0:23行徳駅着  

メンバー
    
   


当初、金曜日から日曜日にかけて、青春18切符を使って、小梅駅まで行き、稲子湯から、あこがれの北八ヶ岳のみどり池で天幕し、しらびそ小屋を覗き、山口耀久氏の「北八ッ彷徨」のエッセイの世界に浸ろうと考えていたが、金曜日から雨となった。仕方なく、金曜日は出勤し、土曜日に会津若松(予報は曇り)まで日帰りすることにした。9/6に久しぶりにお会いする新日鉄のIさんの故郷でもある(事実は、浪江町出身でお母さんや姉妹が原発で大変な目に合われているとのこと)。

朝6時の東西線に乗る。上野発の快速ラビットは快適だが、準備前の車両に乗ろうとした客を上野駅の駅員が声をあらげて怒っていた。こちらの方面は、根岸監督の映画「遠雷」を思い出す。山がないなぁとか、畑のとうもろこし美味そうだなぁと思っているうちに、時は過ぎる。途中、「さくら市」という市があり、こんな名前の市があったのかと驚く。

黒磯では、待ち時間が長かったので、駅前のスーパーに立ち寄るが、閑散としていた。郡山までの車窓では、白河のお城が特に印象的であった。新幹線と平行して走っている。
















郡山から会津若松までの快速あいづライナー1号は特急車両で快適だった。磐梯山や猪苗代湖も見え、景色も楽しめた。

会津若松での滞在時間は、6時間。パスかレンタサイクルか悩んだが、レンタサイクルは16時までなので、ハイカラさんという循環バスの一日券を買い、観光とする。

















会津若松の第一印象は曇りだったこともあり、ものさびしい。ハイカラさんの一日券を買い求め。12時発に飛び乗る。バスは小さく、女性ドライバーであった。武者姿の人が二人乗っていたので、Iさんお勧めの通り、昼食は会津蕎麦とすべく、お勧めの店を訪ねると「香寿庵」を薦められたが、野口英世青春通りで先ず下りた。下りた途端、腹の減りを感じ、「大阪屋伊兵衛」という雰囲気のいい蔵のような店に入った。この店で、三種盛り(なめこ、山かけ、えびてん)を頼む。大正解で実に美味かった。

















白木屋漆器店を目指すと、店の前に昭和なつかし館というレトロのものを売る店があり、楽しめた。白木屋は覗くだけのつもりであったが、夫婦椀を見るうちに、新婚のW夫妻に結婚記念品として贈ることを思いつき、熱心に選んだ。ケヤキでできた金と銀の模様が美しい椀であった。

城への道すがら、W夫妻に連絡し、夫婦どちらが金を使うかなどと馬鹿な話をする。お二人ともお元気そうで嬉しかった。途中、「香寿庵」前も通るが、思ったより新しく、メニューを見ても大坂屋の方が良かったと感じた。

















鶴ヶ城は、観光客が多かった。歴代城主展をやっていて、リニューアルした赤瓦の屋根が印象的だ。もちろん再建だが美しい。また、城前の松の緑も実に美しい。天守からは白虎隊で有名な飯盛山や晴れていたら、飯豊山も見えるようだ。

茶室麟閣はそれなりであった。地元産の牛乳でのどの渇きを潤し、ハイカラさんで、御薬園に向かう。さすが、国指定の名勝で、ここは期待以上だった。池や茶室が美しい。妻と一緒なら、値段は高いが、秩父宮妃勢津子妃殿下ゆかりの重陽閣で勢津子妃殿下が好まれた紅茶と復刻したお気に入りのデザートを頼んだことだろう。私は、売店で御薬園でしか味わえない秘伝の薬草茶や地元産のアイスクリームを食べた。

















再び、ハイカラさんに乗り、車窓から東山温泉や武家屋敷を楽しみ、如郎ヶ前バス停で下り、近藤勇の墓を見に行く。上りがきつく最後はダートで思ったより遠く、往復30分かかった。寺やバス停近くの民家の庭の花々が美しい。


























会津若松最後は、白虎隊だ。飯盛山下のバス停で下り、白虎隊記念館を見る。記念館はアニメで歴史を知った程度で展示物と施設は古い。その後、左手から階段を使わず、お墓を目指す。途中、白虎隊が抜けた水路があり、その先に、重文の「さざえ堂」、さらに先にお墓があった。そして一旦下るように進むと、自刃の地だ。ここからの鶴ヶ城は遠く、落城したと見誤ったのも分かる。

帰りに旧滝沢本陣を見て、バス停に向かう。6時間の滞在だったが、雰囲気を堪能することができた。

















そして、やはり印象深かったのは、大震災のこと。一見、何もなかったかのような町には、店々に「がんばろう日本」でなく、「がんばろう東北、福島」の掲示が散見され、駅の掲示板には「がんばろう!東北」の横に、多数の激励短冊が重なるように掲示され、JRのポスターには、「いざ東北 ここは東北の一大事 東北に足を運んでいただき東北の宿でゆっくりすることも現代版の「いざ東北」だと思います 東北の観光地、宿泊施設は準備万端 皆様のおこしを心よりお待ち申し上げております」と書かれていた。

そしてホームでは弟が13回もボランティアに行っている「いわき市」行きの車両が2両で入ってきた。そして須賀川の鎮魂の花火大会に浴衣姿の女性が多数乗降する。何もなかったかのように。

電車の乗車時間は、12時間。バスを入れると13時間は超える。数字上は長いのだが、長くはない一日が終わろうとしていた。

しかし、これでは東京暮らしをはじめたことにはならない。翌日は、弟夫妻にオークラで昼食をごちそうになり、銀ブラして東京らしさを感じた。  

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