日本百名山も相当の数になったが、是が非でもと思うあこがれの山は、悪沢岳・赤石岳、幌尻岳、飯豊山の3つである。中でも悪沢・赤石は、最優先課題であるが、何せ遠くて、小屋の混雑を避けるとなるとテント泊となるが、きつい。
しかし、折角なら季節は、是非荒川三山の前岳のお花畑の季節にと思っていたところ、木曽駒や朝日・雪倉をいっしょにしたI君が同行してくれることになった。
ただ、心配事も多かった。久しぶりの睡眠不足・荷物の重さ・高度差に耐えられるかである。また、梅雨明けしたというのに 天気図上、太平洋高気圧がしっかり張り出さない天候であることも気になる。全ての危惧が現実のものとなった辛い山行だったが、そ の分、達成感は大きかった。
会社のボーリング大会行事を終え、寮で夕食と入浴を済ませ、バス・阪神・地下鉄を乗り継いで、予定通り、22時半近くに江坂駅に着く。北側のローソン前で待っていてくれたI君の車に乗り込む。昨年のM君の披露宴以来の再会だ。
彼の車はカーナビにETCもついて、安心だ。相良牧の原ICからの道が悩ましいだけに、心強い。また、ETCは深夜割引がきく。
交替で運転し、眠ろうとするが、なかなか眠れるものではない。私の方が眠ったはずだが、それでも2時間程度だ。牧の原ICを下りてから間もなくのセブンイレブンで朝食と昼食を買い込む。朝はサンドイッチと半熟玉子とサラダとした。昼は冷たい麺がほしいところだが、ごみになるので、稲荷寿司(これだけは、はなせない)とおにぎりとする。夜ではっきりはしないが、台地であることは、右下に町明かりが輝くのでわかった。井川ダムを過ぎると、道は細くなるが、I君が運転してくれた。
無事4時30分に畑薙第一ダム手前の広い駐車場に到着。思ったより車の数は多くなく、40台程度であろうか。一眠りすると、6時過ぎ に車をこんことたたく音がする。臨時に6時30分発のバスを出してくれるという。ラッキーだ。
宿泊券の一部となる3000円の券を購入し、バスに乗り込む。マイクロバスはほぼ満席で、大きなザックだが、膝に抱える。畑薙ダムは水を満々とたたえていた。また、ダムが多いので舗装されているのではと思っていたが、道は予想に反し、ほとんどがダートで、崖崩れ後も多く、維持の大変さが感じられた。
今日は快晴で、運転手が聖岳と赤石岳の山頂を教えてくれる。予定通り50分ほどで、椹島に着く。ロッジまで下りると上り返しにな るので、分岐点で降ろしてくれた。林道を先に進むと、ほどなく橋があり、直前左手に下る道が登山口であった。
ここで朝食とする。コンビ二で買ったものすべてをたいらげ、早速出発する。すぐに滝があり、美しい自然林の道を進む。寝不足と重い荷物さえなければ、快適な道である。ほどなく渡った吊橋は結構揺れた。
30分に1回休憩す ることとする。それでも抜かれるばかりであろうと思ったが、そうでもなかった。1時間ほどで林道に出会った。この林道は千枚小屋まで徒歩30分のところまで続いているとのことだ。
林道を右手に少し進むと左に上る階段があり、それを進むと幼植林となった。蝉はエゾハルゼミの鳴き声だとI君が教えてくれた。千枚小屋まで4時間30分の静岡県の標識があところから見えたのは、悪沢岳であろうか。急ぐ山行ではないので写真を撮る。
今回I君は、メッシュのベストを着ていて、そこに三脚まで忍ばせているので、二人の写真も簡単に撮れる。ここからは針葉 樹の巨木も目立った。
ガイドブック通り(東海フォレストのHPは詳しい)、林道を横切ると(何と「止まれ」の道路標識があった。自動車が行き来しているのが分かる)、平坦な針葉樹の森が続く。
10時43分、待望の清水平の水場に着く。何人かの人が休んでいた 。先ず、顔を洗う。すこぶる冷たくて気持ちがいい。周りはしらかばであろうか。一息入れて進むと、上部にも水場かあった。ここに誘われると道を誤る。正解はその直前を上る。こちらが間違うと、後続の人もついてきてしまった。
オオシラビソであろうか。美しい森であると同時に南アルプスらしい景観だ。登山口から3時間ほどの歩行で、シダの茂る湿地帯の名残らしきところ出たので、そろそろ蕨段かなと思っていると、ほどなく蕨段で、、三等三角点があり、千枚小屋まで3時間の表示があった。
それから10分足らずで右上から声が聞こえると、そこは見晴らし岩で、またまた林道であった。そこからの展望はすばらしく 、何とか荒川三山、赤石岳も見えた(このときこれが見納めになるとは思いもよらなかったが)。
そしてこの林道には東海フォレストの作業者が止まっていて、作業員の方が楽しい話をいろいろしてくれた。
記憶をたどると、以下のような話をしてくださった。
・ 今朝からこの林道を使い、東海フォレストの社長が千枚岳に登ったが、早下山したこと。
・ 椹島から林道終点まで車で小1時間、終点から千枚小屋まで徒歩30分。椹島からは、お金を出せば(3万円/台?)林道 終点まで乗せてくれ、悪沢岳まで日帰りする人がいること。
・ 作業員の方は二軒小屋に住んでいて、テレビはあるがさすがに携帯はつながらないこと。
・ 伐採はしていないので、仕事は林道の補修が主となっていること。
・ 千枚小屋への運搬は一回目はヘリを使うが、林道で最後はリフトで運ぶこと。
・ 見晴らし岩からの秋の紅葉はすばらしいこと。
・ 今夜は天気が崩れるからテント泊は気をつけるように(見事に当たってしまった)。
昼食をとりつつ、興味深い話を聞き、元気を取り戻し進む。途中、テント泊の高年男性に会う。コースタイムの倍かかっていると嘆いていたが、年齢からは大したものて゜ある。ここから約1時間強で駒鳥池であった。右手を少し下ると、池だが、水は少なく、さほどのものではなかった。
ここからは、静岡県設置の標識に1時間と書いているが、この標識は全てゆっくりめなので、休憩を入れてもそれほどはかからないであろう。しかしながら、今日の我々は亀さん状態なので、終わってみないと分からない。荷物さえ軽ければ、「切り出しに使われていた道で歩きやすい」とガイドブックに書かれているだけあって歩きやすい傾斜だった。
小屋へのリフト下をくぐり、千枚小屋が間近に見えてからも、最後の急登でへばって、きっちり休んだ。自家発の音が近くなるとお花畑で、素泊まり小屋の向こうに真新しい千枚小屋があった。お花畑は、シナノキンバイやグンナイフウロ、ハクサンフウロ、コバイケイソウに混じってクルマユリも咲いていたが、咲き乱れているというほどではなかった。まだ早いのであろうか。
小屋の前には、数個のベンチもあるが、今日は待望の富士の姿は見えない。お供のI君が先ずはビールで乾杯をというが、雨が降りそうなので、テント代(600円/人)を払い、トイレと水場の前を通り過ぎ、右に下る。少し距離があり、結構下るので、トイレ等との行き来はおっくうだ。
案の定、テントを張ろうとした途端、ざぁーと雨が来た。ただ、荷物も何とかぎりぎり難を免れた。その後、乾杯をして、一眠りするとやんだので、夕食とする。レトルトのグリコの中華丼、レト ルトの永谷園のチンジャオラオス、まるちゃんのワンタンスープの豪華中華フルコースで満足する。
ラジオをつけて、天気予報を聞くがよくない。オールスター戦の放送もやっているが、睡眠不足なのですぐに切り眠りにつく。ここは飛行機のルートに当たるのか3日間ともよく聞こえた。
しかし、20時から大雨。何と朝の4時まで、雷も含めて大変な悪天となる。テントは少し浸水もしていた。余り眠れぬままに、朝を迎える。このままでは、撤退かと憂鬱になっていたところ、夜明けと同時に天気がよくなり、青空も見える。
元気を取り戻し、かに雑炊の朝食をすばやくつくり、テントをごみ袋に詰め、トイレも済ます。千枚小屋のトイレは本当にきれいで、北アルプスの有名小屋以上だ。
予定より遅れたが、何とか6時に出発できた。小屋の人たちは既に出発している人が多い。最初からお花畑の急登を進む と、早トリカブトも咲いていた。うぐいすが盛んに囀る。道はなだらかになり、見事なダケカンバのトンネル道だった。
さらに進むと、二軒小屋からの道が合流した。二軒小屋まで、5km、千枚小屋まで0.5km、千枚岳まで、0.3kmとなっていた。一のぼりで千枚岳まで10分の標識のある箇所に出るが、ハイマツ帯の中にウサギギク、ハクサンチドリ、グンナイフウロなどが咲いていた。丸山がときおりガスが晴れ、青空に映えた。しかしその奥の悪沢岳は見えない。
団体客の殿の人が見慣れぬ地味な花を撮っているので名を聞くと「ミヤマオトコヨモギ」と答えてくれた。その先に見事なイワツメクサがあったので撮影する。
山頂には団体がいたので、先に出発すべく、三等三角点にタッチし、写真だけ撮り素早く出発する。イワベンケイがたくさん咲いている道だ。こここからは、くさり場もあり慎重に進む。道すがら、イブキジャコウソウやイワオウギとともにシロバナタカネビランジ(この固有種は数カ所のみであったが、雨のせいか盛りでないせいか写真におさめる気にはならなかった)や一輪だけタカネマツムシソウも見れた。
キバナシャクナゲ等にもみとれながら進むと、先行するI君がライチョウがいることを教えてくれる。なだらかな道が続くが息苦しくてピッチはあがらない。
丸山は風が強かった。中岳避難小屋まで2時間の表示がある。この先、I君が見たがっていたコケモモもあった。キバナシャクナゲが多くなると、がれきの巨岩帯であった。慎重に進むと悪沢岳山頂であったが、山頂はガスで何も見えない。アンドーナッツを食べ、ガスが晴れないか待つが、だめだった。ここからは、ガイドブックでは足場が悪く急とのことで、ストックをリュックに入れ、下る。逆に雨となり、あわててレインウエアをつける。
中岳避難小屋までの道もきつくはなかったが、曇る眼がね等で印象は薄い。小屋のまわりには、コバイケイソウやコイワカガミ、ヤマハハコ、アオノツガザクラ、ハクサンイチゲなど花が多かった。
避難小屋は文字通りで狭いが山小屋らしく好感 が持てる。学生の集団が休憩していた。折角なので中岳の三角点で写真を撮り、分岐に荷物を置き、前岳に向かう。この辺りも花が多いが、大崩落もガスって見えない。タカネシオガマが印象に残った。
分岐に戻ってからの下りがこのコース最大の見せ場である。標高2950mから下、標高差で70m強に広大なお花畑が広がる。特にハクサンイチゲとシナノキンバイが大群落をなしている。思わず「うぉー」と叫びたくなる。これで眼前に赤石岳が見えたらいかばかりであろう。
展望のないことは悲しいが、評判どおりの大群落を見れたことに満足して荒川小屋に向かう。 少しガスが切れ、小屋が見えた巻き道に安堵した油断からか、左足の路肩が崩れ、あわや滑落の危機に遭う。
荒川小屋で昼食とする。I君が持参した日本ハム製の牛丼は美味かった。テント場も早5張りぐらい張っていたが、水を汲みに行くとざぁーと一雨きた。水は非常に冷たい。水汲み場でタオルを絞っていた若い二人は天気なら気持ちがいいところだが、冷たすぎると嘆いていた。

赤岳避難小屋には水がないので、私は1.5リットル、I君は3リットルもの水をここで調理用にプラスした。ザックがずしりと重い。
雨の中、一上りで巻き道となり、ほっとする。南アルプスらしい道が続く。広大な景色の一端を撮りながら、のんびり歩く。広河原小屋への分岐でもある大聖寺平は思ったより平なところではない。ここから赤石小屋まで3時間30分の表示であった。その上のダマシ平を間違うはずだ。
荷物の重さに負け、休憩は標高差100m毎にという感じだ。ゴールは近い。急ぐ道ではない。心配して先行するI君から大丈夫かとの心配の声がかかる。一のぼりで振り返ると荒川小屋が見えた。
さすが南アルプス、3000mを超える稜線でもハクサンイチゲ、コイワカガミ、アオノツガザクラ、チングルマ、ナナカマド、シオガマ、ミヤマダイコナソウなど花が多い。

14時47分、待望の小赤石岳に着く。ここから少し下り、赤石小屋への分岐を過ぎ、最後の上りだ。左に残雪も3箇所あった。赤石岳は遠かった。何も見えない山頂だが、立派な一等三角点にほおずりをし、I君と握手する。
避難小屋はどこかと心配するとガスが晴れ、左下近くに立派な小屋が見えた。小屋に着くと遅い到着で管理人に驚かれた。満員かと思ったが、わずか10数人の泊まりであった。2階が寝室。1階は入り口が火を使うことが許されたスペース。奥に畳の間があり、くつろげる。営業小屋以上にすばらしい。
管理人の千頭山の会の榎田さんは、根っからの山男だ。今回はサントリー山崎を持ってきていたので、勧めるとすっかり親しくなった。作ってくださったポップコーンがおいしかった。
一時ガスが晴れ、聖岳の中腹以下が見えたが、長くは続かず、すぐ雨となった。榎田さんは、「ずーっとこんな調子で、夏雲が出ない。梅雨明けは解せない」と言っていた。赤石岳避難小屋はガイドブックによると、夜明けの富士山・雲海、夕焼けの聖岳もすばらしい場所と書かれ、I君が見つけてくれた最高のプランであったのだが。
管理人さんの仕事が終わり、18時から飲み始める。S電工の若者と70歳を過ぎる日本山岳会の方も加わる。私のウィスキーがなくなると、自身のウィスキーを持ってきて振舞ってくださった。「折角だから、消灯(20時30分)まで飲もう」とがんがん勧めてくださる。
榎田さんは南アルプスの深南部をこよなく愛され、踏み跡さえない笹薮を磁石片手に単独行を繰り返すという。「単独行こそ、自然との対話ができる最高の山行 だ」と強くおっしゃっていたのが印象に残った。また、不動岳・丸盆岳・黒法師岳の稜線がシロヤシオが美しく殊のほか愛していると言っていた。
最高の夜となったが、さすがに飲みすぎた。夜中の2時に頭痛で起きる。これは高度のためか飲み過ぎか。もとより高度の高いところで飲み過ぎたからである。
朝もガスが晴れず、下るのみである。東京のさわやかな健脚カップルを見送り、我々も腰を上げる。榎田さんはツーショットの写真依頼を盛んに喜んでくださり、見送ってくださった。
小赤石岳の分岐で、70歳を有に超える老夫婦に出会った。健脚だし、ジョギングシューズである。「何時に出たのか。何者か」と不思議に思う。
赤石小屋への道すがら、残雪と雲海が美しかったが、下りきると巻き道となったが、くさり場や崩壊地等神経を使う箇所が多く辛い道程であった。それが終わるとダケカンバの美しい林となったので一息入れる。
しかし、その後新しい補強橋のかかる箇所が続いた。下に落とされている古い丸太橋でなくてよかった。途中ダケカンバの大木が横たわり男性でも乗り越えるのは大変であった。ハクサンシャクナゲの咲く道を進むと、わずかの上りで富士見平であった。山と渓谷社の登山地図等では、200mほどの上り返しがあるように書いていたが、ほとんど水平であったのが救いであった。
富士見平は、晴れていれば絶景のようだが(ガイドブックには、赤石岳が正面に迫る、荒川三山・聖岳の展望も良いと書かれている)、今日はガスに包まれていた。赤石小屋まで30分・赤岳避難小屋2時間30分があった。先では赤石小屋からの団体がいた。
赤石小屋では、I君はと うに着いていた。ここからは、椹島まで3時間30分の表示だが、そんなにかからないだろうと踏んで、もしかしたら、10時のバスに間に合うかもしれないということで、早々に出発する。
30分ほどはオオシラビソの樹林帯を巻くように進み、高度は下がらない。ようやく下りだしても千枚への道と異なり、スピードの出せる道ではない。もともと南アルプスは人が少ないとの感想だが、こちらの上りはきつくて利用する人は多くない。下るにつれ、ブナやカエデの森に変わる。
しかしながら、あと1時間30分の表示があるところで、十分10時椹島到着が可能な時刻だったので、それを目指す。ダブルストックとはいえ、標高差2000mを超え、荷物の重い身にはこたえ、膝が笑っている。勘弁してくれと叫びたいのを抑える。
最後のカラマツの植林帯の急傾斜を下り、はしごを下りると、椹島近くの林道であった。思わず万歳する。ここは、初日にバスから下ろしてもらった場所だが、バス停のあるロッジは更に舗装道と分かれ、山道を下る。「もう勘弁してくれ」と心の中でつぶやく。
ロッジは気持ちの良い場所であった。前夜宿を共にしたS電工の先行者のアドバイスで、整理券をもらった後、みやげものを買い、冷たいものを飲むと、10時のバスとなった。
うつらうつらしながら、バスに小1時間揺られ、駐車場に着く。温泉は一番近い赤石温泉白樺荘とする。無料なのは助かるが、洗い場の湯が壊れてでないのが残念であった。温泉はぬめっとしていかにも温泉といういい湯だ。

帰りは大井川鉄道沿いの道なので、気にしていたところ、とろっこ列車に加え、C11の蒸気機関車にも出会い満足する。雨もひどくなったが、もう関係ない。
浜名湖でうなぎ丼を食べ、養老SAで夜の弁当を買い込み、寮には予定よりずっと早く着いた。しかしそれからがテントの片付け等大仕事が待っていた。翌日からは、温泉とアンメルツの効果もなく、数日足の痛みがおみやげとなった。
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