町石道 

 


データ】     

2003年12月29日(月)晴れ5時間43分(5時間9分+34分)
5:50中松江 コンビニ 道の駅 6:50慈尊院第二駐車場 

7:09スタート <3分> 7:12〜14丹生官省符神社 <11分> 7:25〜30新池橋 <17分> 7:47百六十六町石 <2分> 7:49〜57展望台 <24分> 8:21百五十六町石 <6分> 8:27雨引山分岐 <8分> 8:35〜41雨引山山頂 <6分> 8:47雨引山分岐 <8分> 8:55百五十町石 <8分> 9:03百四十四町石 <15分> 9:18〜24六本杉峠 <10分> 9:34百三十石 <10分> 9:44古峠 <7分> 9:51〜57二ツ鳥居 <7分> 10:04白蛇の岩 <4分> 10:08紀伊高原GC13番H <4分> 10:12〜15神田地蔵堂 <25分> 10:40ゴルフ場ネット・九十四町石 <11分> 10:51ゴルフ場終わり <3分> 10:54八十町石・納屋 <12分> 11:06八十町石 <5分> 11:11〜15七十七町石 <7分> 11:22七十三町石 <2分> 11:24〜52七十ニ町石過ぎ(昼食) 12:06〜10矢立 <13分> 12:23袈裟掛石 <2分> 12:25押揚石 <27分> 12:52車道 <5分> 12:57〜13:02展望台 <2分> 13:04三十七町石 <7分> 13:11三十三町石 <12分> 13:23渓流 <17分> 13:40十七町石 <8分> 13:48十ニ町石 <15分> 14:03〜12大門 <8分> 14:20〜30根本大塔 <9分> 14:39千手院バス停(10分弱)

15:04ケーブルカー(6分) 15:22極楽橋発急行 15:54九度山駅 <6分> 16:00真田庵 <11分> 16:11慈尊院

16:18出発 17:50中松江


駐車場
   慈尊院

メンバー
    単独
   


今年最後の納めの山行、9連休でもあるので、関百・近百の数稼ぎも考えたこともあったが、せめて年末ぐらいは家庭のことをということで大掃除等に精を出し、山行可能日は29日のみとなった。


いろいろ思案したが、最近南海電車で高野山大学の山陰教授の「進むほどに心の糸もほどけていく180の道しるべ」という詞を載せた町石道の紹介ポスターが記憶に残っており、I夫妻やMさん、「山楽日誌」のAさんも行かれていたことから、いつかと考えていたので、町石道をたどることとした。


町石道(ちょういしみち)は、九度山の慈尊院から高野山の根本大塔に至る道で、180町あり、1町は109mとのことなので、約20kmとなる。慈尊院の前の駐車場に止め、参拝する。長時間駐車はご住職に一声と書かれていたが、早い時間のため、人影はなかった。右に多宝塔を見て階段を上がると丹生官省符神社で猿の絵馬風の飾りが正月間近の年の瀬を感じさせてくれる(右の写真)。


今日のルートガイドは、最近南海電鉄が出した「南海そう快ハイキングMAP@高野山町石道コース」が丁寧な地図と解説で役に立つ。前日AさんのHPでも予習していたので自信はあったが、神社からは右か左か悩んだ。正解は右であった。肝心の180町石は、後で知ったが、多宝塔の左の階段を少し上がった階段沿いの右手にある(左上の写真)。


左手に柿畑を見ながら上っていくと横切る真新しい
2車線道路に出会う。高架橋は新池橋との名であった。ウルグアイラウンドによる道路だそうだ。山行で山村や農村を訪れると、温泉にせよ、ウルグアイラウンドによる施設が本当に目につく。


新池橋のたもとの百七十三町石では金剛山を背景にいい写真が撮れた(左の写真)。すぐに竹林となり、急な道を朝日を背に上ると紀ノ川平野が雄大に広がった(左下の写真)。最近設置されたと思われるかつらぎ町教育委員会の標識が随所にあり(右の写真)枝道の多い畑地帯では助かる。さらに進むと柿畑の百六十六町石が青空に映えていた。その先を見ると何と軽自動車が横転していた。なぜか単独行のときは他人の救出が多いので、今回も人がいるのではと急ぐが、人はいず、ほっとする。


町石道から少し右手にはずれた展望台に立ち寄る。ここには東屋とともに三枚の展望解説写真があり(1枚は心無い者に壊されていたが)、右から弁天岳(984.5m)、雪池山(988m)、楊柳山(1008.5m)、2枚目は国城山(552m)と高見山。紀ノ川をはさんで金剛山(1125.3m)、三石山(738.6m)、岩湧山(897.7m)が確認できた。特に高見山が見えたのはラッキーだった。


分岐に戻り、急な道を上がると、百六十五町石で左に金剛山が見え、ここもいいアングだ。何と早くも前方北斜面に雪がある。標高はまだ300m強だが。雪道は凍っておらず、右手に紀ノ川と和泉山脈を眺めながら進むと、携帯の電話が鳴る。妻からの行き先の確認電話であった。こんな日に歩く人はいないだろうということでの心配の電話である。ちょうど植林帯に入る直前であった。


百六十町石は植林、百五十六町石からは舗装してない山道となった。雨引山分岐の標識には距離400mとあった。山頂の標高は477m、標高差は80m強であった。山頂には石碑が祀られていたが、三角点はなく展望もよくない。下山途中分岐があり、町石道にショートカットできるのではと考えたが、手持ちのMAPからはあやしいので、元に戻る。


百五十町石から林で杉林を行く。フラットな道で不安になるが、百四十四石で確認できた。百三十七町石から石段があり、ほどなく六本杉峠であった。ここからは天野の丹生都比売神社に行ける。解説版には町石・石造卒塔婆は216本。平安時代の1266年から20年間で建立されたとある。


百三十町石からもフラットで雪道であった。古峠には上古沢駅への分岐があり2.5kmとあった。右植林で左自然林の道は雪どけでぐちゃぐちゃであった。二つ鳥居は文字通り2つの鳥居が並ぶ。この鳥居は819年弘法大師によって建立され、1649年石造に再建されたとのことだ(右上の写真)。標高600mだ。東屋があり天野の里が見える。伝説の里で夏には蛍で有名な山村も雪化粧で趣がある。


ここからは下りで、標高100mほど下ると10時過ぎ紀伊高原GCの13番Hティーグランド前に出た。今日初めて出会った人がゴルフプレイヤーというのもおもしろい。その先の神田地蔵堂前で雪の山村を見ながら甘いものを取り冬の山村風情を楽しむ(左の写真)。 ここからもフラットで、10:40にゴルフ場ネット横に出て真っ白のフェアウェイにキャディさんが赤旗をもって立っていた。こんな積雪でゴルフをしても楽しいのだろうかと思う状態だ。


アカマツ林の中を進むとまたもゴルフ場が現れ、10:51ようやくゴルフ場と分かれる。10:54八十六町石と納屋がある笠木峠に着く。標高は545mだ。上古沢駅3.5kmの標識であった。お腹もすいてきたので、七十ニ町石過ぎは雪がなく樹の根がいい椅子がわりとなったので、昼食とした。


昼食後後片付けをしているとマウンテンバイクの2人がやってきてびっくりする。確かに自転車の格好の道かもしれないがあまり感心しない。自動車の音が聞こえ出し、しばらく進むと矢立であった。R370とR480の合流地点だ。ガソリンスタンドや新しい公衆トイレもある。標高は460mに下がる。矢立茶屋には名物のやきもちもあるが昼食をとったばかりなので、先を急ぐ。とはいうものの少し時間をとったのは久しぶりの長距離歩行で足がつりそうになり紀伊細川駅にエスケープしようか悩んだ時間である。ほどなく赤い前掛けをした六地蔵と五十九町石があった。



12:23に袈裟掛石に着く。弘法大師が袈裟を掛けたという石は下をくぐると長生きすると書かれていたが余りに狭く大人には難しそうだ。その先の押揚石は弘法大師の母公が結界を抜けたとき雷雨が火の雨となったので大師が母を守るため石を持ち上げたという。両手の跡と見えるものがあるのが不思議だ。


ここからは杉の巨木も多かった。四十四町石は2つもあった。12:52に車道出る。 クマ出没注意の看板があったが本当だろうか。標高は690mだ。車道を横切り眼前の町石道を少し上ると東屋のある展望台だ。写真解説によると西北西に飯盛山と龍門山 が見え確認できた。ここから下ると再度車道に出会う。三十七町石は車道の逆にあり、その左の道を進むのかと思うと、そうではなく、車道を渡らず下に進むのが正解だ。案内があり助かる。


三十三町石は日が当たり、右に展望が開ける。更に進むと渓流沿いの道となり雪が多くなった。バイク跡があり、ベンチのあるところからは左上の車道にエスケープルートがある。まだフラットで木橋の多い道を進むと十ニ町石から急な道となり、最後は階段を一登りで14:03に大門に着いた。ようやくであった。標高845mなので慈尊院との標高差は800m強だ。


弁天岳は名残惜しいが、足も疲れているので根本大塔の一町石までを完遂することとする。一町石を見つけることが出来ず、根本大塔前でお寺の方に教えてもらう。境内に入る直前の道沿いの柵の中にあった(左上の写真)。高野山駅までのバスは9千手院バス停まで行かないとないので急ぐとNHKの人が歩いてくる。行く年来る年の中継があるのであろうか(その通りであった)。千手院のバス停に着くと同時にちょうどバスが来た。バスには結構人が乗っていた。


10分弱で高野山駅に着いた。なつかしいケーブルカーに乗り下り、極楽橋で急行に乗る。30分ほどで九度山駅に着いた。西への道を真っ直ぐ進むと350mで真田庵、駅から1km強で慈尊院だ。折角なので百八十町石を確認し帰宅する。


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