蝶ヶ岳(徳澤テント泊)

 


データ】     

2023年7月22日(土)〜25日(火)
7/22(土) 
20:53後楽園駅 21:15毎日新聞 22:30バス発車

7/23(日)  
5:20 上高地着
6:30河童橋発 7:25明神 9:00徳沢着 9:30〜10:30テント設営 11:00ソフトクリーム 12:30〜13:30横尾方面散策 17:45おでん受け取り 18:30就寝

7/24(月) 
3:00起床 4:30出発 5:25〜5:50横尾 6:15〜6:25槍ヶ岳展望 6:33槍見台 7:22〜7:30第2ベンチ 蝶ヶ岳まで3km 15:07徳沢 15:40徳澤ロッジ入浴 

7/25(火) 
15:55上高地発 15:20沢渡 15:35奈川ダム 16:50新島々 17:11松本IC  17:32〜17:50諏訪湖SA  19:15〜19:35 19:57八王子料金所 21:30東京駅着
  
情報
 徳沢キャンプ場 1500円/泊
 徳沢ロッジ入浴 1000円 15:00-20:00(19:30)
 小梨の湯 800円 14:00(正午)-18:00

メンバー
    単独
   


7/22(土) 

役員退任記念に、5泊6日の北海道旅行を計画していたが、家内が入院し、キャンセルとなってしまった。

やり残し感があることでは、登山だ。昨年は、夏山もスキップしている。どういう登山をしようかと悩み、思い立ったのが、テント泊だった。

涸沢に張り、北穂か未登の涸沢岳に登るのが理想だが、ソロでのテント泊は初で、この歳での重い荷物を背負っては、無理だろうと、登る山は、「蝶ヶ岳」とした。

キャンプ場の候補は、小梨平、徳沢、横尾のどれかで悩んだ結果、徳沢とした。決定ポイントは、徳沢ロッジで入浴できること、蝶ヶ岳に登るにも効率的なこと、井上靖の氷壁で有名で牧場跡でキャンプ場としてグランドが草地で心地よいこと、徳澤園で夕食のテイクアウトも可能なことだった。

往復は毎日アルペン号にした。往路は3列、帰路は4列で、テント泊応援の1000円割引後、17700円だった。2018年は13000円しなかったので、値上がりは大きい。往路は竹橋の毎日新聞本社か新宿の選択で私は竹橋から乗り、帰路は新宿か東京駅が選択できたので、東京駅とした。

梅雨明けが微妙だったが、運良く、出発日に間に合った。ただ、荷物は徳沢まで、2時間、平坦な道だから、大丈夫だろうと携帯の折りたたみ椅子まで欲張ると、リュックサックに入りきらずに、衣料と食料はadidasのカバンに詰めて抱えて歩くことになった。

二つの荷物は、バスも大丈夫かと危惧したが、案内には70kgまでとしかなく、結果も大丈夫だった。保険も遭難はないだろうが、蝶ケ岳で、ばてて歩けなくなることもあり得ると考えて、モンベルの保険に入った。500円という安価で有難い。バスもゴールドカードで購入し、事故があっても家内には安心とする。

久しぶりの毎日新聞本社は、竹橋駅を降りてからの案内を確認しておらず、適当に進んで苦労したが、結局、外に出て正面玄関から入ることになった。早すぎたからか、ひと組しかおらず、親しく話すようになると、何と鹿児島からの男性二人だった。小屋の空きがなく、三股から登り、常念岳を経て、蝶ヶ岳ヒュッテ泊だという。男性の一人は、初めてのアルプス、絶景が見れたらと願っての計画とのことだ。飛行機代を考えると、運が必要だ。
大崩山や屋久島など九州の山のことなど話して、坊がつるに行きたいという気持ちが強くなる。

バスは22時半出発で、受付は15分前からだ。毎日新聞ビルの変わらずの美しいトイレで用を足し、乗り込む。JAMJAMライナーの三列シートは、2+1で、残念ながら2の方だった。カーテンで仕切る。シートもJRの高速バス程よくなく、首が痛かった。新穂高温泉方面に行く方も6人いたが、定員の2/3ぐらいの乗車率だった。何回か起きたが、ハルシオンとデパスの両方を飲んだ効果で、上高地到着の5時20分まで寝た。

7/23(日) 

早朝の上高地には、沢渡の駐車場のシャトルをはじめ、各方面からバスが続々と到着し、登山届提出も賑わっていた。

トイレを済ませ、登山届を提出し、河童橋に向かう。穂高岳にガスは少しかかっていたが、写真を撮ってくれた女性が、これも朝らしくて良いという。ガスが晴れそうなので、河童橋のベンチで、のんびりしていると期待通り、晴れてきた。焼岳は晴天で素晴らしい。やはり日本を代表する景観だ。早朝から散歩する外国人も多い。



















景色を満喫して、出発する。ほどなく、小梨平のキャンプ場。ここもテーブル・ベンチなどがあり、穂高の景観が素晴らしいK又はLのゾーンでなくてもなかなかだ。一方、クマに注意の看板が多数ある。7月にも目撃されたとのことだ。

流れる川の水は澄み渡り、湧水しているのも確認できた。樹林帯の中を歩くのは気持ちが良い。明神までは、ほぼフラットで、重い荷物も手に持つのでなく、抱えることで、少し楽になった。散歩する外国人の方たちと抜きつ抜かれつのペースだが、登山者には、どんどん抜かれる。無理せずに何回も小休止ししつつ、明神館に何とかたどり着いた。朝食のおにぎりを食べてシャリバテを防ぐ。明神岳がくっきり見えた。

数分で、徳本峠への分岐だった。徳本峠から先は、登山道が崩壊して通行止めだという。この日は、徳沢から徳本峠までのハイキングを考えていたが、天候イマイチで展望も期待薄でとりやめた。

徳沢までの道は、一箇所、少しの上りがあった。途中、数十頭の猿の集団に出会う。子猿を連れた親子も7組ぐらい見つけた。背中につかまったり愛くるしい。





















梓川沿いのクマよけベルのある辺りからの明神岳と前穂は絶景だった。ここからはほどの距離なく、徳澤ロッジへの道を分けると徳澤園のキャンプ場だ。ハルニレの木が点在する牧場跡地のキャンプ場は素晴らしい。フラットで草地なので、ゴツゴツしていない。

テントを撤収している人にも状況を聞いて、明神岳と前穂が見える木陰の場所にテントを張ることにした。手続きは、徳澤園でする。

タイであろうか日本語の話せない女性から写真を撮るのを求められる。身振り手振りで通じて、私も撮ってもらえた。

テント泊代は、1500円/泊・人だ。アミノバイタルの試供品をもらう。
テントはK君と楽しんだ北八ヶ岳のみどり池のしらびそ小屋以来10年以上振りで、前日、チェックしていて、全く問題なく張ることができた。風もなく、苦労することなく張れたのでほっとした。

雲が少し出てきて、明神岳と前穂は十分に見え、これだと徳本峠からの景色もさほど変わらないだろう、ガスっていたら、苦労だけだ。明日のハードな蝶ヶ岳日帰りにかけ、無理しない方がよかろうと判断し、一日のんびりすることにした。

それで、先ず、徳沢園名物のソフトクリーム(500円)を食し、夕食のテイクアウトのおでん(750円)を予約した。徳沢園は情報通り、趣のある建物だった。井上靖の氷壁縁の宿との案内もあった。

私は、きゅうりや魚肉ソーセージを肴に持参の赤霧島をちびりちびりやる。しかし、家内からも、あまりののんびりさを指摘され、横尾までの半分まで、小一時間散歩した。新村橋の架け替え工事をしていた。 

戻ると、右隣のテントは神奈川県からの御夫妻で、蝶ヶ岳日帰りをしたそうだ。良いカメラを持参され、大展望と高山植物に満足していた。左隣は、男性のソロが撤収した後、女性のソロキャンパーだったが、この日は話さなかった。

夕暮れ時、有料トイレ後(最新の洗浄トイレと美しさに驚く)、徳沢園の食堂が見えて、夕食をとる浴衣姿なのに驚く。山小屋でなく、旅館なのだ。

夕食は、尾西の五目かやくごはんだったが、あまり美味しくなかった。明日に備えて、早々に寝た。

7/24(月)

3時頃に起床して、4時を過ぎて薄明かりとなって出発した。夜が明けないと熊が怖い。最小の荷物なので足取りは軽い。また、YAMAPの位置情報が有難い。

コースは、ネット情報から、樹林帯で何も見えない徳沢からのコースより、急登でも槍ヶ岳が見える横尾からの方が励みになるということで、横尾からとした。

食事は、朝食も作らず、レーズンネオバーロール6個入りを中心に懐かしい森永のクッキー、豆せんべい、いちごのアポロチョコなど行動食とした。工夫したのはパインとオレンジの果物ジュースで、結果、正解だった。

横尾は高校生の集団がいた。橋のたもとで写真を撮り、トイレ休憩する。高校生の男子が和式トイレを忌避して、使わないのが面白かった。

横尾から登り始めると、続々と高校生の集団が登ってきた。先ず殿の女性の田中先生と親しくなり、お話を伺うと、滋賀県から8高校の山岳部、約100人の生徒さんが来ていて、蝶ヶ岳には、守山高校、東大津高校、草津東高校の3高校が登っているという。





















一年生と二年生とのことだが、失礼にも中学生と間違えてしまった。槍見台手前で、槍ヶ岳が見え、槍見台からは、青空の下、見事な槍ヶ岳を見ることができた。このコースを上りとして正解だった。高校生に写真を撮ってもらうが、露出調整が上手くいかなかった。

もうひとりの引率のO先生は何と私と同じ年で、今年の12月で、再任用も満了という。若い頃、青年海外協力隊でネパールにも行かれたという理科の先生だった。今年の4月から顧問になられたというので、大変だ。山岳部の顧問も世代替わりを迎えているという。




















T先生は大学の頃、ワンゲルだったとのことだ。草津東高校の引率の先生も男女一人ずつだった。女生徒の部員もいるからだろうか。東大津高校の女生徒は二人いたが、一人は夜行バスでの睡眠不足等懸念して来なかったという。好天だけに残念だ。

バテそうな子もいたので、小幅で歩くことを推奨する。T先生とO先生とはすっかり親しくなり、YAMAPで高度を確認してくれるT先生の言葉を励みに登る。稜線分岐手前で、ようやく森林限界を抜けて、絶景に感動し、O先生と記念撮影をする。私は、写真撮影タイムとなり、先生と名残惜しく別れた。




















それにしてもの大絶景で、前回のGWのときと違い、青空の下となり、この景色を、再度、見れたことを喜び、呆然と見とれていた。何故か乗鞍岳だけにガスがかかっていた。

すぐに稜線となり、左手の「蝶槍」を目指す。蝶槍からは、槍ヶ岳も指呼で、常念岳までの縦走路がよく見える。もう少し歩いてもと思うほどではない。ガスが湧き上がり、しばらくして常念はガスに隠れてしまった。

分岐に戻り、蝶ヶ岳を目指すと、先行していた守山高校の生徒さんたちが蝶槍を空身で目指そうとしていた。ほどなく、草津東・東大津高校の生徒さんたちとも出会い、親しくなった先生と言葉をかわす。

稜線は二重稜線と呼ばれ、なだらかで広い。ゆるやかに登り返すと、山名方向盤があり、下ると蝶ヶ岳ヒュッテがある。ここも外国人の方が結構いて、単独の欧米人の女性が、二階の展望テラスに上がったので、ついていくと、確かに最高の休憩場所だった。少し先の蝶ヶ岳山頂に着くと、宮崎から来られた単独行の70歳ぐらいの女生と親しくなる。宮崎からとなると、計画や変更は困難で、今日の絶景にただただ感謝されていた。山を愛する人だなあとしみじみ感じた。

ここまでで不思議だったのは、昨日、隣のキャンパー夫妻から、高山植物も咲いているとのことだったし、途中、出会った良いカメラを持った女性も、そこそこ咲いていると言っていたが、見かけたのは、イワツメクサぐらいだった。 

不思議に思っていたのだが、徳沢へのコースを下り始めると、ハクサンシャクナゲ、ウサギギク、ハクサンフウロなどを見かけ始め、一転した。これは嬉しかった。

その先に、ハクサンイチゲの群落があり、槍ヶ岳も見える絶好のアングルの場所があった。
ここは、窪地を取り囲むように道は二手になるが右手を進むと、小沢のようなところに何と「クロユリ」の群落があった。喜々として出会いに感謝する。

さらに進むと上半身裸の男性二人と女性二人の米国人グループが休憩していたので、クロユリの場所をカタコトの英語で説明する。山口県で働いているとのことだ。

さらに下ると何箇所か池があり、右手の池には、シナノキンバイの、左手の池には、ミヤマユリの群落があった。中国人の団体と抜きつ抜かれつ下る。

標識のある長塀山では、滋賀県のテント泊の二人と親しくなり高校生のことやクロユリのことなど話す。樹林帯の下山は長い。単独光のテント泊女性にもクロユリの存在を教えてあげる。下山で目に付いたのは、下山に苦労する男の子を連れたお父さんと三世代の女性三人グルーブだ>

さらに14時半頃、標高1900m辺りで上りの若い単独の女性に出会う。聞くと、蝶ヶ岳へ戻ると言う。戻るという意味を尋ねると、この道を歩きたかったが、時間を読み違えたという。クロユリのことを教えて励ます。

それにしても延々と道は続く感じで、適当に休みながら進むと川音が聞こえ出し、徳沢園の建物が見えるとほっとした。

ようやく下り着いた登山口には、宿泊客専用のラウンジまで設けられていた。また、老夫婦が私と同じテントを張りつつあり、声をかけた。

テントに戻ると、残念なことに私の前にテントが張られて、くつろぎ場所がなくなっていた。集団で来てタープも張り、楽しんでいた。長髪の男性も多く、不思議な集団だった。

何はともあれ、徳沢ロッジに入浴に出かけると、この日は貸切で、16時までしかダメとのことだが、何とか間に合ったが、16時前には団体がどっと入ってきた。ゆっくりはできなかったが、汗を流せて気持ちが良かった。

戻ってから、500mlの缶ビールを徳沢園で買い求めて、ぐびっと飲むと至福の時だった。隣の女性のソロキャンパーとも親しくなり、雑談した。テントは新しかったが、神奈川県の補助で新調したようで、山はベテランだった。この日は、涸沢を往復したという。

炊事場で、岐阜からの男親、7 歳の女の子、5歳の男の子の親子と親しくなる。お父さんは、根っからの山やで、両親もすごくて、何と小3で、大キレットに連れて行き、ロープも使わなかったという。女の子は小2だが、考えられないと苦笑いされていた。女の子は、縫う怪我を5回、男の子は1回と自慢していたのが、何ともたのもしかった。そんな兄弟なので、始終、飛び回っていた。奥さんは、8ケ月の子の世話を自宅でしているという。

夕刻に守山高校の生徒たちが到着して、沢山のテントを張り、すきまもなくなるほどだった。

この日の夕食は、焼酎をのむことが主で、尾西のエビピラフとしたが、五目ご飯と違い、美味しかった。

7/25(火) 

守山高校の生徒は、焼岳に登ると言っていたが、何と2時頃から起き出して騒がしい。何とも迷惑だが、満天の星空を見て、カシオペア座を確認できた。 

朝食はカップヌードルを食べて、その後は、夜露に濡れたテントを日向に持っていき、乾かすなど、のんびり片付けを進めた。その間、再度、岐阜の親子と雑談できて、楽しかった。隣の神奈川の女性ソロキャンパーは、早めに出発された。

私は、昼食を五千尺キッチンで生ビールと決めて、3時間かかっても良いとの算段で歩き出す。荷物が重く感じて、数百メートル進んでは休むというペースだ。上りが2箇所あったが、わずかだのに辛い。しかし、その分、これまで気づかなかった知らない花をいくつか見つけた。

明神で長めの休憩をとった後、ようやく小梨平キャンプ場に着く。川が流れ、穂高の見えるサイトでは、椅子に座り、のんびり絶景を見ているキャンパーをうらやましく思う。BESTサイトは、3つぐらいだが、どうしたらとれるのか聞いてみたいものだ。

川沿いで穂高を背景に写真撮影していた方と交互に写真を取り合う。後ろ姿を撮ってほしがったのは面白い。SNS用であろうか。

河童橋手前の橋の袂には、トリカブトが咲いていて、写真撮影されていた方のおかげで気づけた。待望の五千尺キッチンでは、並んだものの、さほど待つことなく、穂高の超えるカウンター席に吸われた。人気のから揚げ定食はにんにくを使っていたので、帰りのバスでの迷惑を考え、生ビールと味噌ラーメンとした。ラーメンはチャーシューメンがたっぷり入っていて美味しかった。隣に来たカップルの写真を撮ってあげ、小梨平のキャンプ場からの絶景を教えてあげる。



ロッジを出ると、中国人のカップルの女性が虫が顔近くを飛ぶので大騒ぎして、男性に厳しく叱られているのが不快だった。

上高地郵便局から記念に風景印の消印でハガキを出した後、インフメンションセンターで、くつろいでいると、産業医のI先生から電話があり、現実に引き戻された。

帰りのバスはインフォメンションセンターで待つようになっていたが、その前の駐車場に早く着いていて、そこに行くのが正解だった。4列シートだが、乗客は新穂高からの方も含めて、10人もなく、2席を独占でき、くつろげた。

残念ながら、夕食は楽しみにしていた諏訪湖SAでの、おぎのやの釜飯は売り切れていたが、談合坂SAの「新宿さぼてん」の三元豚弁当がディスカウントされていた上に美味しくありがたかった。

私は最終の東京駅までだったが、丸ノ内線の東京駅に近い場所が降車場所で、その点も助かった。おぎのやの弁当は、引越し後の帰郷の新幹線乗車の際、東京駅で購入でき、満足した。

天候と絶景と出会った人たちのおかげで、思い出深い山行となった。テントと滋賀県の山岳部の生徒さんや鹿児島と宮崎の方たちの日頃の行いのおかげなんだろうなと心から感謝する。やはり山はいい。何とか体力を維持して、できれば、秋の涸沢の紅葉や今夏、40年振りに整備された伊藤新道を歩いてみたいと思う。

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