長浜曳山まつり・子供歌舞伎 |
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歌舞伎も一度は見たいと考えていた。特にNHKのBSで「片岡仁左衛門」の世界をやっていて見て魅了され、W部長の奥さんが大ファンとなったのもうなづけた。しかし、伝統芸能の指南役のM部長から、長浜の「曳山まつり」の子供歌舞伎を見てはどうかと薦められていたところ、今年は曜日がよく、帰省もできたので、行ってみることにした。 「長浜曳山まつり」は京都の祇園祭、飛騨の高山祭と共に三大山車祭りと賞され、国指定重要無形民俗文化財である。 自宅から四条畷駅から大阪に出て、新快速で向かう。春の関西1デイパスを使い、安価で座れて本も読めということで、いい旅となった。ただし、この日は、マンションの草抜きで、スタートが遅くなったが。 「長浜曳山まつり」の子供歌舞伎は、舞台のある12組の曳山のうち4組が演じる。 今年の演目は 一番山 高砂山 一谷嫩軍記軍記 須磨浦の段 組討の場 ![]() ![]() 二番山 猩々丸 御所桜堀川夜討 弁慶上使の段 ![]() ![]() ![]() 三番山 壽山 小磯原雪柵 お静と礼三郎 ![]() ![]() ![]() ![]() 四番山 鳳凰山 奥州安達原 袖萩祭文 ![]() ・ 資料によると 壽山の「小磯原雪柵-お静と礼三郎」は、旗本の次男が武士を嫌って町人となり、妻子に恵まれるも、兄の急死にともなって武士の社会に戻る物語。妻子との別れと再会が胸を打つ。 鳳凰山の「奥州安達原袖萩祭文」は、源氏に滅ぼされた奥州安倍氏の遺児兄弟による復讐劇。家族より、忠義や仇討ちを優先する武家社会の非情さを伝える。 高砂山の「一谷嫩軍記-須磨浦の段組討の場」は恩義に報いるため我が子の首を身代りとして差し出す物語。猩々丸の「御所桜堀川夜討-弁慶上使の段」も弁慶が主の義経のため、初めて会った我が子に父親と名乗ることもなく、手にかける。両山組とも義理や主君のために我が子の命をも差し出す武士の美徳を表現する。 とある。 ・また違うHPには、 「小学生だから学芸会レベルの演技でしょうね・・・」 始めて長浜を訪れた歌舞伎通のご婦人グループがつぶやく。 やがて引き込まれ、遂にはハンカチで目頭を押さえる。 最後には感嘆の声と惜しみない拍手が送られていた。 これが長浜の子ども歌舞伎である。 とある。 このように感じる人が非常に多いと思う。私も、ぐいぐい引き込まれ、八幡神社で、三番と四番の山を見た後、米嘉席で二番と御旅所で一番のすべてを見た。 特に印象に残ったのは、舞台と衣装の素晴らしさはもとより、どの演目も特に女形が素晴らしく、寿山の「お静」と猩々丸のおさわ、高砂山の玉織姫には「参った」という感じだ。艶やかさや美しさそえ感じた。男役では、弁慶と熊谷次郎直実であろうか。いや、このように特定の子供をクローズアップすること自体、失礼かもしれない。「猩々丸」は12組の曳山の中で唯一の船型曳山で人気が高いそうだが、ここでは弁慶役のおじいさんからパンフレットをいただき、孫への想いを聞き、「故郷」を真に持つこと、地域の連帯ということの素晴らしさを感じた。 都会化や通信技術の進化とは正反対のところに、守るべきものがあるように強く感じるのは、私だけであろうか。 また、これを支えているのは。「ヨイサァー、ヨイサァー」との掛け声とともに子どもたちの世話や狂言の運営など、祭りの中心を担う「若衆(わかしゅう)」たちだ。若衆というのは、高校を卒業した青年から45歳くらいまでが加わる「山組」の組織。子供と大人の強い絆、この強い絆があれば、「孤独死」などの現代社会の闇は無縁であろう。我々は、どんな社会を築きたいのであろうか。そんなことまで帰りの電車内で考えさせてくれる機会となった。子供が主役で町全体で「育てる」ということを実感させられた。 そして私は、また、曜日に恵まれ、チャンスがあれば、喜んで出かけるだうと強く思うまつりであった。 |