檜洞丸・蛭ケ岳 |
【データ】
【メンバー】 |
いよいよ当社S事業所前山岳部長のMさんが日本百名山を達成する日がやってきた。行いのいい人なので、天気予報も良い。今回のポイントは、折角のM部長の百名山めなので、ルートは主脈縦走とし、大倉バカ尾根から、塔の岳・丹沢山・蛭ケ岳・檜洞丸を登頂し、西丹沢自然教室に下るルートを推奨した。Iさんと私は、丹沢は登頂済みなので、皆(大倉で合流2人と尼崎からの9名で計11名中の9名)を大倉で下ろし、西丹沢自然教室に車を回送し、そこから蛭ケ岳を往復し、縦走をサポートすることにした。蛭ケ岳山荘で縦走隊と合流するという算段だ。 さらに、ETCの1000円乗り放題と10人乗りのハイエースを確保できたので、費用はすこぶる安く、若い人たちも参加でき、東京からの参加組も合わせて11人が集まった(往復2000円/人未満)。 金曜日の20時30分に阪神尼崎駅に集合して、いざ出発といきたいところだが、ETCの差し込み口が分からないという。電話で識者に聞き、ようやくルームミラーにあることを知る。最近の車はこんなところまで凝っている。(^^ゞ 目的地までは、名神・京滋バイパス・新名神・伊勢湾岸・東名と乗り継ぎ、約480qだ。交替運転なので、楽で、登山口の大倉には、何回か休憩したものの、3時には着き、仮眠もとれた。 東京組と予定の4時30分に合流し、公共駐車場の開門が8時半からなので困ったが、何とか民間の駐車場もすぐ近くに見つかり、5時前に、西丹沢自然教室に向かった。大倉からは34q、道も空いていて、ナビ頼りで40分ほどで着いた。Iさんと二人だけの山行は実に久しぶりでよもやま話をしているうちに一度分岐を通り過ぎてしまったが(^^ゞ 丹沢湖や中川温泉という名所があり、キャンプ場も多い。八重桜が見ごろであった。 西丹沢自然教室の駐車場は舗装区画部分が20台ほどで、何とか2台分空いていて、ぎりぎりだった。ただ、少し手前の左手の路肩空き地が広く、何台かは止めることができる。 ![]() ルートは、舗装道を5分ほど歩くと、右手に古くてそう大きくはないが檜洞丸を指す道標があった。山頂まで4.8qとのことだ。トイレは、西丹沢自然教室の施設が閉まっていて使えなかったので、途中のキャンプ場のトイレを借りた。 山道に入り、小沢沿いを進むとすぐに左手に上がる道がある。しばらく我慢して上ると、快適な道がゴーラ沢出合まで続く。登り始めてすぐに、白いしっぽがかわいい子鹿が逃げ去った。また、山桜の大木が多くて見頃で美しかった。 ゴーラ沢までは快適な道でゴーラ沢はピンクのリボンの個所を飛び石づたいに進むと、足を濡らすこともない。河原を横切ると、向かいは、コンクリートの階段がある。すぐに終わり、急登が始まる。 途中、ミツバツツジになぐさめられるが、なかなか道は急登で手ごわい。折角の富士山の絶景地の展望広場もガスで見えない。天気予報ではよくなるはずなので、信じつつ上る。それにしても檜洞までの高度差1000mは、きつい。自然林なのが救いだ。 途中、雷の音かと心配したのは、自衛隊の富士演習場の大砲であった。 整備された木道の階段が出てくると、ほどなく、箒沢から石棚山経由のルートと合流した。 その先は、バイケイソウを保護するための木道が続き、ブナ林とともに、すばらしい景観だが、鹿よけネットが目障りだ。大きなうろのあるブナ林に見とれたり、芽吹いたバイケイソウの瑞々しい緑に見とれていると、ついつい時間が経ち、先を行くIさんの姿も見えなくなった。 ![]() ![]() その先には、何に使うのか分からないが、太陽光発電パネルと小さな風力発電用風車があった。そこからの上りで、ふと振り返ると、「あっ」と声がでるほど、雲海の上に大きな富士山がどーんと迫っていた。もしかしてと右に目をこらすと、何と、甲斐駒から聖岳まですべて見渡せる。甲斐駒の右には、八ヶ岳まで(写真左下上は、八ヶ岳、右下上は甲斐駒から農鳥、左下下は、悪沢・赤石・聖、そして富士山)。Iさんの名前を呼ぶが、声は届かないところを見ると、山頂までは、もう少しあるようだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ここでも写真等で時間をとってしまった。「Iさんは、やきもきしているだろうな。山頂からの展望はどうだろう、Iさんはこの大展望を見ているだろうか」と思いつつ進むと、ほどなく思ったより広い檜洞丸山頂であった。 古い山名表示板や祠とともに、正方形のベンチが多数あった。Iさんと西側に進むと、ずっと山々が見渡せた。富士山も樹間から見えた。山座同定しながら、至福の時を過ごす。丹沢は、鍋割山を含めて三度目だが、今回が最高の天気だ。山の楽しみは多々あるが、この展望は何よりの喜びだ。ずっといたいが、そうもいかないので、頑張って蛭ケ岳を目指す。 ![]() ![]() 距離で150m下ると、青ケ岳山荘があつた。有料のかわいい公衆トイレもあった。ぶな林と芽吹いたバイケイソウ、さらに名前は不明の手のひら大の葉が芽吹く道を、遠い蛭ケ岳を正面に見ながら、ひたすら金山谷乗越まで、結局、標高差280mも下る。 今回、Iさんは標高差のグラフも持参されていて、当然その情報通りで、先が思いやられる。何しろ、蛭ケ岳山荘は水はなく、500mlで500円のペットボトル(350ml缶ビールも同値段)なので、今日は頑張ってアクエリアス等3?、ビールや牛乳やゼリーやら持っていて重いのと、久しぶりの山できつい。 金山谷乗越には臼ケ岳1.4q・檜洞丸1.2q標識があり、エリアマップでは危険となっているが、人工梯子等を設置し、安全対策がとられているので、無雪期は大丈夫だ。 ここから臼ケ岳までの道には、左手にビラミダルナ蛭ケ岳が見える。 ![]() ![]() 神ノ川乗越を越え、あえぎながらも、臼ケ岳まで着くと、眼前に 尊仏山荘から蛭ケ岳までの稜線が一望だ。大倉からの縦走隊は、双眼鏡があれば見えないだろうか?聞こえるはずもないが、主役のMRさんの名を叫んでみる。それにしても蛭への上りはきつそうで、どこを登るのかと凝視してしまった。 ここからは最低鞍部まで下り、きつい上りが待っていた。最初の鎖は鎖を頼りに足の力で上る必要があったが、足がぱんぱんで踏ん張れない。その先の鎖場も下が滑りやすくて、明日はもうやめようなどと珍しくIさんから弱気の発言がある。 ようやく難所を越えたと思ったら、いばらが待っていて、Iさんから気をつけるよう促される。唯一の嗅ぐさめは大展望。しばし見とれると、Iさんが菊咲きいちげを見つけられた。そこでしばらく山を眺める。きりがないので、ようやくなだらかになった道を山頂に向かうと正方形の板ベンチが多数あり、10人ぐらいの人がくつろいでいた。 ![]() ![]() Iさんと縦走隊が到着していないことを確認し(丹沢山につながる道は笹原が続き、実に楽しそうだ)、富士山を愛で、乾杯用のビールだけは残し、ウイスキーと梅酒で到着まで1時30分も歓談した。兄と慕ってきたIさんと展望・気候にも恵まれ、実に楽しい一時を過ごす。 縦走隊がようやく到着し、ビールでの乾杯と記念撮影後は酒宴だ。主役のRさんが何と「響」を重い瓶ごとかつぎあげていた。やはり美味い。しかしここからは、ハプニングの続出。 先ずは、主役のMRさん。何と2?の南アルプスの天然水に入れていた芋焼酎を水と間違え、響をそれで割って飲んでいたのである。記念写真を撮ったり、記念の挨拶等一連の行事は無事終わっていたが、気づいたときには時には既に遅し。MRさんは夕食もほとんど手に着かず、夜間嘔吐と下痢で悩まされることに(-"-)。 ![]() ![]() リーダーのHさんも、疲れと喜びで相当酔っ払っていたと思われ、夕食時の翌日の山開き清掃活動の説明では、缶と瓶の違いをしつこく質問するや夜自分の寝床を間違え、案内してもらうや、酔っ払い軍団と化した我々は、暴走直前であった。ただ、流石のメンバーで、他のお客様からは失笑を誘う程度で済んだので、私にとっては実にいい思い出となったのである(しかし朝食時会社の名前が出たときは少し困った(^^ゞ)。 さて、話を戻し、富士山を愛でながらのMRさんを祝う宴は、皆、必死でかつぎあげた数々の酒と肴類で、実に楽しいものであった。しかし、17時になると、早、夕食とのことで、山荘に入った(酔っ払い軍団から、宿泊費を集めるのも大変であったが。ただ、お二人全く飲まない方がいたので自制の効いた集団であった)。 夕食はおでんと佃煮という質素なもの。食後の飲食は、就寝場所は禁止で、夕食場所でくつろぐことに。私は、夕陽を見損ねたが、仲間の写真によると、滝雲の上に富士山と言う実に雄大なものであったようだ(私はひたすら、宴に参加していた(^^ゞ)。 夜景がきれいだというKW君の言葉に促され、外に出ると、何と下界の明かりがまばゆい。蛭ケ岳は奥まったところにあると思っていたが違った。夜空には北斗七星が輝く。いい気分で戻り、KW君、KM君、S君、H君と5人で消灯時刻の20時まで飲み続けた。 就寝場所はふとんと毛布はあたたかく、一枚ずつあり、立派な枕もあつたので、よく眠れた方だった。皆、4時頃からごそごそしていたのは、ちょっと早過ぎるか。 朝食は佃煮と味噌汁と海苔だけの質素なもの。トイレは順番待ちとなるがきれいだった。 清掃活動中(埋められた缶や瓶を集める)、日の出も見れたが、富士山はすっきりしない。春の朝は、こんなものとのことだ。 再度、記念撮影し、大倉に戻る者とグループ分け確認する。檜洞丸に向かうのは、若手のKW君、H君、KM君、S君に加え、最高齢のMさんと私の6人だ。肝心の今回の主役のMRさんがいないのは誠に寂しい。相当悩んだが、体調不良により、上り返しと途中の危険地帯の通過を懸念してとのことだ。私も丹沢山と蛭ケ岳間が未経験の上、鎖場のくだりや上りが結構あるのがいやで、正直縦走の方が良かったが、Iさんと二人とも抜けるわけに行かず、若者軍団との山行は楽しかろうと腹をくくり、ピストンとした。 ![]() 風が強くて、それも気になったが、慎重に下り、懸念した鎖場も思ったより短く、事なきを得た。昨日は、Iさんも私も相当ばてばてだったので、危険箇所が長く感じたのであろう。30分ぐらいの下りで危険地帯も脱し、標高差400m弱を下り、最低鞍部に達し、一息入れた。 昨日塗りまくったアンメルツは相当効いて、足取りは皆、しっかりしていた。 臼ケ岳まで、200m弱の標高差を上り返す。臼ケ岳では、残った缶ビール2本を飲む。酒を飲みにきたのかと疑われそうだが。KW君やH君、S君、KM君皆本当にいい仲間だ。それに70歳を迎えるMさんの何と健脚なことか。途中の演習場の大砲がなければ最高なのだが。 再度、神ノ川乗越まで、200m弱を下ることになる。ここから、金山谷乗越までは、差し引き上りで標高差60m、そこから280mの標高差を上り、ようやく檜洞丸山頂だ。 青ケ岳山荘で単独行の容姿・雰囲気もいい素敵な女性に出会い、檜洞丸山頂で、彼女から昨夜の状況を詳細に聞く。彼女は上段から笑いながら、見ていたとのことで、H君が謝ることしきりである。楽しく温かい雰囲気の中、私はパンと牛乳の昼食とした。皆の昼食は小屋の提供のレトルト赤飯。意外といけるらしい。 南アルプスこそ見えないが富士山は美しく、今日も絶好の登山日和で、登ってくる人も多い。ここからバイケイソウの木道までも富士山が美しかった。今日は、登ってくる人が多い。 メンバーからは、これを上るのはしんどかっただろうなあと同情される。確かに上り一辺倒なので、大変だった。 展望広場からは、富士山が満開の桜とみつばつつじの下、期待以上に正面にでーんと見え、文字通りの展望広場(スペースは小さく、正方形の板状ベンチ一つだが)だ。再度、単独行の女性に出会い、雑談する。Mさんからお許しが出たので、昨夜のお詫びがてら、バスの時刻が不便なら同乗をお誘いする(実は我々は、これまで頼まれ誘い、結構同乗させてあげているのだが、中には相当厚かましい方もいて、閉口したことがあり、長老のMさんに判断いただいた。Mさんいわく、今回は◎とのことで、お誘いした次第(^^ゞ) ![]() ![]() まばゆいばかりの新緑と満開の山桜に感動しつつ下ると、たまたま単独行の女性に登山口付近で追いつき、西丹沢教室まで雑談しながら、歩く。合気道の練習からの登山がおもしろくなり、今は合気道より登山とのことだった。どうりで単独行でもへっちゃらなわけだ。 ![]() 昨夜のおわびがてら渋沢駅まで女性を同乗させてあげ、楽しい一時となったが、あいにく丹沢まつりだったので、渋沢駅に行けず、大倉から、KW君が横浜まで送ることになった。KW君の帰宅が遅かったので、よもや変なちょっかいだして合気道の練習相手になったのでは?と皆で笑う(^^ゞ(彼は超紳士で、そんなことを冗談にでも言うのは失礼極まりないが) 尼崎への帰路も渋滞個所は一か所だけだったので、ほどよい時刻に帰宅でき皆で喜ぶ。失敗談も含めて実に思い出深い山行となった。いい山友達、大展望に恵まれて幸せである。 改めてMRさん日本百名山達成おめでとうございます。 |