燧岳 |
【データ】
【メンバー】 |
いよいよIさんが日本百名山を達成する日がやってきた。百名山目は燧岳だ。和歌山からはI夫人とMさんとS君、大阪・尼崎からは私とM前山岳部長とK君、関東からKW君も参加となった。KW君のわざわざの参加は、彼の人柄とIさんの人柄の競演というところか。 折角なので、翌日は、高層湿原で有名な田代山と日本二百名山の帝釈山を登ることにした。さらに帰りにM部長に糸魚川で降ろしてもらって、K君と雨飾山に登り、青春18切符で帰るなどというむちゃな計画も立案しかけ、白馬でのレンタカー(最後の一台)と雨飾高原キャンプ場の予約までとったが、スケジュールを詰めると、白馬到着が夕刻遅くになり(そもそも糸魚川と白馬間の電車は極端に少ないし、糸魚川には地元の高いレンタカー会社しかない)ので、無理はせず、M部長と楽しく帰ることにした。 前夜は仮眠を尼御前SAすることにし、和歌山組は、17時前には着き、宴会に入っていたようで、我々尼崎組も買い物を済ませ、17時半に尼崎ICに入ったものの、賤ケ岳SAにて夕食をとったこともあり、尼御前は、20時半過ぎとなった。車の中では、M部長のカラオケ自慢のテープを聴き、玄人顔負けの腕前に私は聞きほれてしまった(われもこう、最期の川、栄光への架橋等どれもすばらしい)。 気心知れたM部長やI君との車中は、話題も豊富で退屈さはない。SAに着くとIさん達和歌山組は睡眠モード。我々は、入って左手の木立Pにてテントを張り(違反でしょうが(^^ゞ)、1時半出発なので、ビール1本だけ飲む。 Iさんのアドバイスで急遽蚊取り線香を買ってきたが、蚊帳のテントと蚊取り線香は何ともなつかしい。しかし、この夜は、風がなく、車の音とで、眠ることは難しかった。正味1時間ほどで、1時には起き、Iさん達に先行して出発する。 それでも3人の交代運転なので楽だ。名立谷浜SAで給油をしようと休むと、Iさん達も休憩していた。越後川口SAでも会い、朝食とする。小出ICから銀山平までは、過去キャンプしたなつかしいみみずく広場を過ぎると、トンネルだらけのシルバーラインだ。小出から尾瀬までは70km強の表示があった。 銀山平からは曲がりくねった道で車酔いしてしまったM部長が運転する。鷹ノ巣公衆便所で一息入れると、道もようやく走りやすくなる。御池Pには予定より早く着き、KWさんの到着を待つ。ここのトイレは最先端のウォッシュトイレには驚いた。 KWさんも高速からの催促の電話のためか早く到着したので、予定より早く出発する。スタートとなる木道ゲートには、入山者を数えるカウンターがあった。ほどなく、分岐で左折して、木道を進むと、おばけ葉となった水芭蕉がここかしこにあった。30分ほどで一息入れて20分ほど頑張ると、最初の見所の広沢田代であった。特にワタスゲとタテヤマリンドウが多く、数は多くないがヒオウギアヤメも見頃で、別天地の趣である。サワランに加え、トキソウも見つけた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 尾瀬ケ原だけでなく、会津駒から中門岳等、東北には高層湿原が多く、関西の者にとってはたまらない風情である。池塘もいくつか見られた。吹く風を楽しみ、久しぶりに一眼レフの腕をふるうMさんと共に撮影を楽しむ。ワタスゲは最上部の湿原が一番多かった。 ![]() ここから再度の上りである。広沢田代と御池の駐車場の見渡せるところで一息入れる。会津駒ケ岳が正面に山頂のみ雲で隠れがちに見えた。 ほどなく、熊沢田代手前の木道に出ると、青空の下、俎グラが見え、誰ともなく歓声が上がる。一瘤越えると、前はゆるやかに下り、上り返す熊沢田代と燧ケ岳の絶景が広がっていた。花はそう多くはないが、最低鞍部の二つの池塘がアクセントになり、すばらしい景観だ。 ![]() ![]() ![]() フィルム一眼レフの腕前をふるうM部長に加え、私もMさんも何枚も写真に撮るが、きりがないので、先に進む。M部長とKWさんは、景色を楽しみ軽食をとると言う。スピードの遅い私は、ぽくぽく木道を上る。ワタスゲの湿原にダケカンバがぽつんと一本たっているのが印象的だ。ウグイスの鳴く中、ダケカンバの大木の樹林帯を進むと、冷たい流れが二箇所あり、涼風が吹く。どちらも残雪から流れる水で、顔や首を洗うとたまらなく気持ちが良い。 ![]() ![]() 二つ目の残雪流水から数分で、雪渓に出た。急斜面を十数分登る。アイゼンなしで済んだ。がれ場を横切り、小休止後、いよいよ最後の上りだ。ハクサンシャクナゲが見頃で、白とも淡いピンクとも言える色合いは清楚で美しい。 ![]() ![]() 俎グラは岩石帯で、三角点はあるが、柴安グラの方が高く、10分弱下り、10分強上り返す必要がある。柴安グラの左手には、尾瀬ヶ原と至仏山が見える。左手には尾瀬沼だ。しかし、ガスがあがってきて、柴安グラが隠れたので、とりあえず最高峰に向かう。 ![]() ![]() しかし、大変な人で大行列で、コースタイムの20分では難しかった。柴安グラに着き、尾瀬ヶ原を見渡せる箇所に荷物を置くとI夫妻が達成を祝い、がっちり握手する。続いて皆で、Iさんの百名山達成記念の写真撮影だ。M部長がいつものように立派な横断幕を用意してくれていたので、写真も絵になる。何枚も撮った後、余韻を味わうかのように、ゆっくり昼食をとる。 ![]() ![]() 山頂にもハクサンシャクナゲが満開で、Iさんの完登を祝うかのようであった。2カ月のお子さんがいるのに無理やり誘った感のあるK君も実に満足そうだ。眼前に広がる尾瀬ヶ原は、大学時代に前橋に単身赴任の父や弟と水芭蕉の季節に来たのと至仏山登頂の際、秋に少し歩いただけなので、花の季節に妻と歩きたいものだと思った。 ![]() 帰りは、出会う人も少なく快調に下るが、雪渓はアイゼンなしなので、ストックを使い、慎重に下ろうとするが、何と齢70歳になろうとするMさんがストックもなしで、ずんずん飛ばしていく。スキーも現役とはいえ、おそるべしMさんである。私も20年後かくありたいものだとしみじみ感心する。 水場で顔や首を冷やし、一頑張りすると、熊沢田代で、最低鞍部のベンチでMさんと吹く風に何ともいえない幸せを感じ、のんびり後続を待つ。M部長が痙攣気味だというのでゆっくりである。最近の疲れと寝不足等であろうが、事なきを得てよかった。 広沢田代でも惜しむように一息入れ、最期の下りだ。これが実に疲れた身には応える。このコースは、整備された階段や木道と段差の大きい道とが極端で、疲れる気がするが、二つの田代が慰めになり、いいコースであった。 寝不足と暑さで最期はへとへとだったが、ゴールまでIさんと走って競争する元気が残っていた。御池Pには、バスの乗客用とも思われる靴洗い場があり、泥だらけの靴を洗えた。 さぁ、民宿に行ってビールだ。 檜枝岐村の民宿は「ひのき屋」だ。Iさんは、ネットの最上段に載っていたということで、予約したそうだが、実によかった。 先ずは、檜風呂で汗を流す。湯船は小さく、洗い場も二つだが、温泉でなかなかの風呂だ。そして待望のビールだ。百名山完登を祝し、かんぱーい。ぐびくび。実に美味い。Iさんから百名山の記録が記された資料が配られ振り返る。同行の最多はI夫人。私も半数近くごいっしょしている。一番しんどかったのは、高妻山だったとのことだ。 ![]() ![]() そして夕食。岩魚や山菜に名物裁ち蕎麦やはっとう。さらに舞たけごはん心づくしで実に美味い。Iさんの希望により私と妻と用意した赤ワインで再度かんぱーい。Mさんがここで乾杯の音頭と一句「燧にて 百名山を達成し 仲間と祝う 尾瀬の夏」「夫婦にて 百名山をむ完登して 仲間と祝う檜枝岐」。Iさんからビールや地酒の冷酒もたくさん振る舞われ、宴は盛り上がる。 二次会は、寝不足と酔いで疲れたI夫妻とMさんは、隣の部屋で就寝。残りの悪い子軍団は、私とM部長、KWさん、K君、S君。明るいKWさん、M部長に連れられ、K君もS君も饒舌になり、実に楽しい。年齢差は大きいが山好きな人は、何故こんなに良き連中ばかりなのだろうと思う。しかし、肉体は限界で21時過ぎには眠る。パンツ一丁の姿にKW君は危険でよと言う。確かに夜、S君は若くて元気なので寝相で、私には危険な時間帯もあったようだ(^^ゞ 尾瀬の夏花の紹介 |