インドネシア・タイ
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1月27日土曜日 インドネシアに加え、タイに立ち寄っても、航空運賃は数千円しか変わらないので、社長の強い勧めもあり、タイにも立ち寄ることにした。タイは一昨年、予定していたが、胃がんでスキップしていたので、現地視察ができることは有難い。以下、業務外のことを記す。 インドネシアは、初めてで生活環境調査も是非にということで、土曜日に出発して、現地会社社長に案内いただくことにした。ジャカルタの欠点は、渋滞が尋常ではないということだ。 空港から100qの高速道路も半日かかることがあるという。円滑だと2時間かからないとのことだが。日本との時差は、インドネシアもタイもどちらも2時間だ。 京成上野駅までは、今回も国際交通にお願いした。少し早く来てくれたので余裕があった。 スカイライナーは若いカップルが2組いて、女性が吉野家の牛丼をしっかり食べていた。 経費節減のため、敢えて飛行機はビジネスでなく、プレミアムエコノミーとした。シートがエコノミーより間隔が広く、スリッパやアメニティもつき、食事は変わらないが、飲み物は数種、多い。ラウンジが使えるのも良い。価格はビジネスより、10万円ほど安く、飛行時間を考えると十分だ。 朝食を食べていなかったので、ラウンジでしっかり食べた。 当初の窓側の17Aから17Cに変更してもらったが、17Aは空席で空いていて快適だ。隣の通路をはさんで3列席に小さな子供を連れた母と祖母が座ったが、トラブルはなかった。 火曜日から飲み会が続いたので、アルコールは白ワインだけにした。食事は、35歳以下のシェフコンテストを勝ち抜いた人が作っただけあって「味噌味すき焼きとおばんざい」は美味かった。デザートにプリンとハーゲンダッツのアイスクリームまでついた 映画も役所広司と福山雅治「3度目の殺人」、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を観た。どちらも面白かった。それでも時間があまり、クラシックとジャズを聴く。 飛行機は定刻に着いたが、念のため、VISAを購入し、入国審査に並ぶが、17時前になると、別の列に並ばされ、手間取った。同行の現地会社に出向中のH君が「係官が定刻に帰りたいからだ、けしからん」と怒ったのも分かる。スカルノハッタ空港は第3ターミナルまであり、我々は古い第2ターミナルだが、ジャワ風の趣ある建物だ。 ![]() 現地会社社長が出迎えてくれ、車に乗り込む。一か月前にようやく空港に乗り入れる鉄道ができたという。ホテルまでの間、いかにジャカルタが渋滞するかの話を聞く。この日は極めて順調な流れで、渋滞は体験しなかったが。一般道も日本に比べるとバイクは多いが、ベトナムのような感じではない。 ホテルでは二回セキュリティチェックを受けた。最初は車の荷物、二度目は玄関でだ。今日のCROWN PLAZA HOTELは、ロビーラウンジが立派だった。室内も広かった。 荷物を部屋に置き、一階の焼き鳥「ちどり」で、5人で会食した。まぐろさしみ、おばんざいセット、焼き鳥セット、枝豆、エビから揚げなどだ。どれも日本に劣らない。 話題はイスラム教に関しては、 ・一日五回祈る基本 ・ムスリム女性たちの頭を覆う布"ヒジャブの話、特にインドネシアではヒジャブをオシャレに着こなす、いわば「ヒジャブ女子」が急増していること ・ムショーラ(お祈り場所)は、会社にもあること 等 社長は、滞在7年を超え、風貌も現地化してきた感さえある。実に頼もしい。H君も、タイ、中国と、三か国目で良い意味で日本人離れしてきている。22時(0時)過ぎ、就寝した。 1月28日日曜日 この日は、生活環境調査プラス街中探索だ。イスラム最大のモスクとオランダ植民地の名残を残すコタ地区にも連れて行ってもらう予定だ。社長と共に同行してくれたI工場長も初めてで楽しみだという。 最初は、独立記念塔に向かう。花を飾った馬車が行きかう。 記念塔の駐車場から記念塔までの道には、屋台や土産物の店が並ぶ。ヤシのジュースなど特有のものもある。土産物はTシャツなども多い。記念塔は並ぶ時間と上からの景色はミートしないということで、写真だけ撮り、モスクに向かう。 ![]() 途中のカトリック教会も立派だった。インドネシアはスマトラ島以外は、戒律もさほど厳しくないムスリムだと言う。しかし、ムスリム人口の最も多い国でもあり、ジャカルタは最大の都市でもあるので、そこにあるモスクは最大、「イスティクラル・モスク」という。ちょうど礼拝の後のコーランの説法を聴く。人が何万人も集まっていた。入口は裏手にあり、靴を預ける。日本人などいなくて経験のある社長がいないとたくさんの信者の中に入っていく勇気は持てない。入り口付近で白い装束の高校生が隊列らしき練習をしていた。 二階に上がるとコーランの説法を聴く人で溢れかえっていた。写真を撮る人もいたので、さりげなく撮る。それにしても、壮大なドームにたくさんの人に圧倒される。説法中、笑い声も起こったのにはびっくりした。この体験は貴重だった。海外出張時にはできるだけ、その国の幹となる感覚に触れられたらと願う。観光旅行と違い、現地の感覚に触れられる機会があるのがありがたい。 次にコタの中心ファタヒラ広場にあるジャカルタ歴史博物館等の建物を外観だけ見て、有名な「CAFE BATAVIA」に入る。VOC(オランダ東インド会社)のアドミニオフィスとして使用されていた歴史的建造物を1990年にフランス人がギャラリーとして買収、その後1991年には現オーナーであるオーストラリア人が買収し、1993年に「CAFE BATAVIA」としてオープンするに至ったそうだ。 ![]() ![]() 二階には洒落たバーカウンターもあり、生ビールのサーバーまでもが用意されている。二階は開放感を演出する高い天井にオランダ様式の細長い窓、そして高級感あふれるチーク材の造りという憎いほどクラシカルな雰囲気が演出されている。壁一面にぎっしりと飾られたクラシックなポスターや写真。これらの写真コレクションはトイレの壁まで覆い尽くしている。 ![]() ![]() この後、広場を散策する。銅像風の人のパフォーマンスが印象に残った。建物もオランダ時代の雰囲気が残っているが、改修中のものも多い。観光地としての整備を進めているようだ。 社長の着ているバディックシャツがうらやましく、土産物も有名な老舗のデパートに行く。サリナデパートは、インドネシアの各島の土産物のほとんどが揃う。ここで、社長と同ブランドのバティックシャツを買う。価格は素材と染で一桁違う。私のものは後で洗濯して分かったが、化繊であった。ここの土産物は国内すべてのものがあるのではと思うほど充実している。ここで人形を買い求めるが、何とデパートを通さないとまけてくれるという。それでも空港の土産店の方が安かったのは面白かった。 今日のホテルは、ゴルフ場に隣接していて、真新しく、快適だ。チェックイン後、巨大パークで、ダイソーまであるのを確認し、社長の住むマンションのイタリアンレストランで食べる。味は正直イマイチだった。 ![]() 1月29日月曜日 朝食は日本宿泊客が多いからか、日本食もあり、白米とした。この日はHGMの話が有意義だった。昼食も夕食も日本食の「裕」だが、味は日本には劣る。ホテルには大浴場まであるので夜に入った。実に快適だった。 1月30日火曜日 朝食後、ゴルフ場を散歩した。キャディは若い女性が一人に一人ついていた(結果、右下の写真のようにグリーン上は全てキャディさん(^^)v)。年齢制限があるとのことだ。ゴルフをしていたのは、中国人と思われる夫婦と女性だった。 ![]() ![]() この日もHGMから有意義な話を聞き、池のほとりにあるインドネシア料理店で会食して、空港に送ってもらった。ここはリゾートっぽい雰囲気で、イチゴのジュースが美味しかった。 ![]() ![]() 空港までは順調だったので、空港では時間を持て余した。2時間前にようやくチェックインして、スターバックスで時間をつぶす。CAも来て甘いものを食べていた。 バンコクのスワンナプーム空港には順調に着いたが、ホテルまでは遠かった。特に高速道路を下りてから海岸線や山中を走り、どこに行くのだろうという感じだった。ホテルは悪くなかったが、45分お湯が出ずにシャワーも浴びずに寝た。 1月31日水曜日 昨夜は1時の就寝だったが睡眠不足だが、5時半に起きてシャワーを浴び、朝食もとる。エレベーターで現地会社の制服を着た「Iさん」らしき人に会う。 昼食はIさん自炊のカレーをいただく。 午後は、生活環境視察にKGMと出かけた。まず、仏教国ということで、寺院を訪ねてみた。情報通り、金ぴかで日本とはずいぶん違う(下の写真)。 ![]() ![]() その後は、駐在者の住む住まいを順に訪ねる。シラチャには6000人も日本人がいるとのことで、中には150軒も日本人だけの日本仕様のマンションもある。中学校までは、日本人学校がある。学年が進むにつれて、受験のために帰国し少なくなるという。小1で4クラスだったのが、中学校では1クラスという具合に。 住まいも良い。KGMの住まいは景色も最高だが、クーラーは室外機がダイキン、室内機は違うメーカーで効かないという話は、日本ではあり得ない話だ。全体印象としては、タイは相対的に恵まれている感がある。 店もJ−PARKには、マックスバリューやダイソー、ツルハの他に飲食店も、和食の「さと」やとんかつの「さぼてん」、ラーメンの幸楽苑などたくさんある。 ![]() ![]() 街中は三輪、ピックアップトラックの荷台に乗せて運ぶなど独特の雰囲気がある。このシラチャという町は海が近く、古い町と近代的な高層ビルが混とんとしていて、面白い。 ![]() ![]() KGM邸で、美味しいミニパイナップルなどの果物をいただいた後、市場の案内や再度、寺院に行く。市場は朝4時頃からにぎわうという。ホテルからも散歩できる距離だ。寺院では、タイでは墓がないという話を聞く。 ![]() ![]() 今夜はムーンアロイというタイ料理レストラン。海岸にあり、絶好の夕陽が見れた。タイ料理は口に合うものも多く、IさんやKさんの人柄で実に楽しいひと時となった。 二次会はホテルで前の勤務先の時代の部下であったK君、I君に加えて、K夫妻、奥さんは 旧姓、Wさんで、室長時代の新入社員の方だ。 彼らが来るまでも、ピアノの弾き語りが上手く、Iさんたちもよく知っているので楽しいひと時となった。K君たちが来られて十年以上も前の話をすると、タイムスリップしたかのような懐かしさがあり、実に幸せなひとときとなった。ここでも、N君が地元のミニパイナップルを用意してくれた。 睡眠時間は短かったが、眠気のない思い出深い一日となった。 2月1日木曜日 この日も睡眠不足だが、朝起きることができたので、朝食を済ませ、短時間だが、ホテル(一番下の写真)近くを散歩した。今日は、別工場の視察と面接だ。昼食はキャンティーンでタイ料理たった。 ![]() ![]() ![]() 夕食は日本亭で、ここは完全な日本料理だった。 バンコクからは5時間もかからずに、羽田に着くので、眠って朝、マフィンを食べたら着いていたという感じだった。787のプレミアムエコノミーは夜行便でも十分だった。その分、満席だった。 2月2日金曜日 羽田の荷物待ちは時間がかかったが、一度寮に戻り、シャワーを浴びて、会議から 夜の懇親会までこなした。我ながらタフだ。 |