桜島・開聞岳展望 |
【データ】
【メンバー】 |
2010年1月10日(日)晴れ時々曇り 買い物等で溜まったマイルの有効期限が近づいている上に、二人で17000マイルで旅行できることを知り、八重山諸島への旅をたくらむが、妻は、飛行機嫌いで、八重山諸島は海だけだと屁理屈を言うので、鹿児島旅行となった。私は、鹿児島へは高校の修学旅行と、霧島と開門岳に登るために行ったことがある。ただ、街や桜島の記憶は薄いので、鹿児島もいいかもしれないと計画をたてた。 3連休初日の9日は会社の行事で、昼間はフットサル、夕刻は中松江にある春日神社の宵恵比寿の直来で、だめなので、12日を有給休暇とし、二泊三日の旅だ。残念ながら、天気予報はよくなく、二日目は曇り、三日目は雨の予報だ。 自宅から始発のバスに乗り、生駒駅に向かう。予定の快速に乗り、上本町駅で、空港バスに乗る。バスは、空いた高速道路をすいすい走り、20分あまりで空港に着いた。仙台に行ったときと同じく、JALの子会社、JEXだ。アナウンスでは満席近いと言っていたが、搭乗者は7割ほどか。 窓側の席をとっていたので、妻に眼下の景色を教えながらの旅だが、妻は飛行機嫌いなので、上の空だ。さほどの揺れはなく、鹿児島空港に着いた。全面曇り空だ。空港前でトヨタレンタカーの送迎車に乗りこむ。 今日の車は、PASSOだった。シフトやサイドブレーキが我が家の車と違うので、妻は運転する気がない。妻は、飛行機怖さで、朝食をとっていなかったので、先ずは朝食という。空港近くに適当な店はなく、結局、JOYFULのモーニングセットとなった。ここで当初の霧島見学を曇りのため、変更し、仙巖園とした。 仙巌園まで一般道でも二十数キロメートルで、さほどの時間もかからず、着いた。折角なので、磯御殿も見学することにした。先ず、うれしかったのは、見事な寒牡丹がここかしこで満開だったことだ。ボタンは島津家の花とのことだが、丁寧に育てられ、非常に美しかった。大きな花の好きな妻 ![]() ![]() 磯御殿に向かう道沿いでは知覧茶が振舞われていた。知覧はお茶も有名なようだ。写真をとるうちに、御殿内の案内の時間となった。御殿内は見事で島津家の財力を思い知らされた。案内の人の説明も丁寧で、楽しめた。御殿の見事さに、中庭の美しさ、寒牡丹が色を副え、実に立派だ。 ![]() ![]() この後、竹徑亭で抹茶と縁の茶菓子をいただき、曲水の庭など園内を周回した。所々に大河ドラマ篤姫のロケで使われたと案内看板があった。再度、鶴灯籠など撮り、薩摩切子の展示の数々を楽しみ、松風亭で、名物の黒豚料理、かつ定食と黒豚丼を分け合って食べる。名物のきびなごもついていた。 そうこうしているうちに、天気もよくなってきたので、桜島をバックに記念撮影をする。三脚を持ってきてなかったので、苦労していると、店の人が来て、撮ってくれた。 尚古集成館はさほどのものではなかったが、一通り見て、天気は益々よくなったので、桜島フェリーで桜島に渡ることにする。ただ、奇しくも、その日の朝日新聞の一面に桜島は噴火が激しく、観光客が激減していると写真付で載っていたので、フェリー会社に問い合わせてみる。問題ないことを知り、向かうこととした。 PASSOは車輌長さが4メートル以内なので、二人の運賃分も含め、1220円と安価だ。二階建てで車輌を詰める大型の船も含め、ひっきりなしに行き来している。 一本待たされ乗り込み、折角なので、デッキ上に上がり、展望を楽しんだ。桜島の迫力は想像以上で妻も感心していた。 上陸後、目指すは湯の平展望所。人は意外と少なく、三脚台まで用意された記念碑前で、撮影した。まるで北アルプスを思わせるような岸壁と火山らしい崩壊は、強烈な印象を与える。この方向は、噴煙被害はないが、次に行った林芙美子文学碑では、火山灰だらけだ。木も灰色だ。噴煙を上げる桜島は、先ほどまでとは別の山のようだった。 ![]() ![]() さらに島内一周ルートを進み、有村溶岩展望所に行くと、そこは死の世界と言っても過言ではない殺伐とした景色が広がっていた。眼を赤くしている妻は、さらに喘息もでるのではと心配するほどだ。展望所から帰ってきた人も車に乗り込む前に、灰をはらっているので、展望所まで歩くのも躊躇したが、こんな機会もないだろうと、妻と出かけた。岩もわずかの樹木も火山灰だらけだ。退避場所のあずまやのベンチさえも灰だらけだ。妻とこんな景色見たことないなあと感慨を覚えた。車も灰だらけになっていた。 ![]() 陸続きの大隈半島の垂水への国道224号線を分けると道は狭い箇所もある。黒神埋没鳥居も桜島の観光スポットで、順に観光客が来た。途中、溶岩流後を整備した河から荒々しい景色を楽しみ、港に向かう。この方向からの噴煙は迫力があった。 港は予想以上の車だったが、臨時便も出ていたので、助かった。鹿児島東急ホテルは、ネットで取るとあまりに安いので心配したが、さすが東急ホテルで部屋も景色もすばらしかった。価格が異常に安かったのは築年数が相当経っているからであろうか? 夕食は明日がフランス料理なので、今日は和食レストランの山吹とした。月代わりの柊会席はなかなかのもので、妻も満足していた。 料理は、先付けは、たらの白子雲丹豆腐、吸い物はズワイガニと松茸の土瓶蒸し、刺身は旬のお造り三種盛り、一人鍋は黒豚豆乳味噌鍋、半月盆は海鮮なすの田楽焼き、盛りは数の子の西京漬け、あんこうの唐揚げ、海鮮サイコロちらし寿司、季節の酢の物あしらい、蒸し物はカワハギのチリ蒸し、御飯は鮭焼きおに茶漬け、漬物、果物と鹿児島らしいものも多かった。私達は大満足だったが、レストランは混雑してきて、予約していない人は対応が遅れ、注文を聞きに来るのさえ遅く、腹を立て帰る人も出る始末だった。 2010年1月11日(月)曇り後雨 朝食はレストランハイビスカスで櫻島を見ながらのバイキングだ。前日に宿泊者が予約すると1800 円が1050円となるので混雑していた。鹿児島名物の鶏飯まであり、満足だった。 今日は天候がもつうちにということで、妻の希望で、知覧の武家屋敷に向かう。ここは私は既に開聞岳登山の帰り立ち寄ったが、是非とも妻を連れて再訪したかったところだ。知覧に向かう道路は、途中まで指宿に向かう道路で、道の両端は、椰子とフェニックスの並木が続き、いかにも南国だ。 右折して、知覧に向かう道を走ると峠沿いには知覧茶の看板がかかっていた。武家屋敷の入り口に当たる町営の駐車場に止めた。武家屋敷の入り口付近には、無料駐車場もあった。武家屋敷は、茶店もやっているところもあるが、観光地化せず、昔の風情が色濃く残っている。 ![]() ![]() 歩く方向としては、我々が歩いたとのと逆の方が、母ヶ岳が借景に見え、いいと思われた。最初に森重堅庭園を見た。知覧茶が振舞われていた。ここの屋敷は、どの家も入り口には直線的に入れないように灰って直ぐに塀がある。まだ松の内ということで、門には、門松のように、火山灰を盛り、松ノ木を指していた。 立石のそびえる佐多直忠庭園、巨石奇岩を組み合わせた佐多民子庭園、知覧庭園で最も豪華で広い佐多美舟庭園を見た後、二ツ家で桜島小みかんを買う。さつきの季節には美しい平山亮一庭園、母ヶ岳の姿を取り入れた借景園の平山克己庭園を見た後、イヌマキの生垣の見事な西郷庭園を見る。ここでは、地元の奥さんがいろいろ説明してくれ、かぶとをかぶせてくれたり、折り紙のひなをくれたり思い出に残った。このような古家の維持は、町が庭の手入れ等を補助していること、住むとなると寒いこと、何年か前に電線を地中に埋めたり、道を舗装して美しくなったことなど教えていただいた。 この知覧の武家屋敷は、人通りが少ないと本当に風情がある。何度来ても落ち着きのあるところだ。 冨屋食堂まで歩き、私だけUターンし、車を取り、妻を迎える。薩摩英国館で昼食とした。ここの紅茶は美味しく、MAYUMIという英国の陶器もなかなかのものであった。折角なので、展示物も見た。 その後、知覧特攻平和記念館に向かう。記憶では武家屋敷のすぐ近くの感じだったが、数キロメートル離れていた。 ![]() ![]() 知覧特攻記念館は、二回目だが、今回はじっくり見れた。映像も心に重く響き、妻も涙ぐんでいた。こういうのをじっくり見学させる教育が必要だと映像を見終わった人が声高に言っていたのもむべなるかなである。知覧の町は、平和を祈る町だ。隣のミュージアムは、さほどの展示はなく、映像も今ひとつで訪れる人は、ほとんどいなかった。 ここから指宿に向かわず、開聞岳見たさに池田湖に廻った。昨日、指宿菜の花マラソンが行われたばかりで、池田湖の回りも菜の花が美しかった(右上の写真)。小雨で煙っていたが、開聞岳もぼんやり見えた。イッシー君という恐竜伝説の湖で、イッシー君の銅像に妻は喜んでいた。 ![]() レストハウス内には、天然記念物の大鰻が何匹も買われていた。小魚を食事にするそうだ。風力発電もしているアグリランド・えいを通り、開門岳に向かうとガスがかかっているが、菜の花畑と開聞岳の絵になる場所があったので、写真におさめた。登山したのは2003年の10 ![]() ![]() ![]() 開聞岳に近づくに連れ、山はぼんやりなので、そのまま指宿に向かうと、妻がJR最南端の駅の標識を見つけたので、Uターンして立ち寄った。にしおおやま駅では電車が出発したばかりで、シャッターチャンスを逃したが、次々にてっちゃんがやってきて、さすがという感じだった。最南端の標識も背後に開聞岳の雄姿があるので映える。2月7日の「田舎に泊まろう」という番組を見ると、なんと、この日、KONISHIKIが全く同じ駅に降り立ち、池田湖も見ていたのには驚いた。 日没前に指宿いわさきホテルに着いた。奮発してタワー階の部屋と、最上のフランス料理のプランだ。 部屋もいかにもリゾートでバルコニーの植栽もブーゲンビリアだ。窓からは、間もなく岡田JAPANの合宿が始まる美しいサッカーグランドを含む広大なホテルの敷地が広がる。 スカイレストランでフランス料理のフルコースを楽しむ。プランにはカクテルのサービス付で、地元のたんかんの焼酎カクテルは、美味しかった。エスカルゴ、伊勢海老のサラダ仕立て、コンソメスーププランタニエール、欽江湾真鯛のポワレ野菜添えバルサミコ酢ソース、鹿児島黒毛和牛ヒレ肉のグリルトリュフ入りソース、サラダ、シェフ特製デザート、コーヒーであったが、どれも美味しく妻も満足であった。 ![]() 食後、温泉大浴場を楽しむ。今日は客が少なく、スカイレストランも10組もなかったが、風呂も貸切状態だった。 2010年1月12日(月)雨後曇り 朝食のバイキング会場では、韓国人の観光客が多かった。チェックアウト後、妻が従業員の方に教えてもらったところ、この季節は、暖かさを求めて、韓国の人が多いとの事だ。 せっかくなので、朝食後、妻をくどき砂湯にチャレンジする。この季節はテント内で雨天でもテントの中なので心配ない。残念なのは、砂湯の後の浴衣のまま入れる展望露天風呂に掃除中のため入れなかったことだ。 ![]() ![]() 砂湯にも韓国女性の先客三人、後続も韓国女性が二人だった。この辺りの海岸は1kmにも亘り、このような砂湯のできる浜が続くとの話だ。砂浜に寝転がって、係りの人がスコップで砂をかけてくれる。係りのおじさんは無愛想だったが、写真は撮ってくれた。 妻は苦手なので、そそくさと終え、私は、15分ぐらい横たわった。終えると、シャワールームで砂を洗い、せっかくなので、空中温泉向かった。ここの和室館が最初にできた建物で、最上階が温泉浴場になっている。 天気はよくないので、維新ふるさと館に向かった。ここの展示や映像は素晴らしく、妻と感嘆した。 西郷や大久保のロボットを使った「維新への道」だけでなく、「薩摩スチューデント、西へ」の映像もテーマがあってよかった。 展示室もそれぞれ歴史がよく分かり、 ![]() 鹿児島空港では、今回は見れなかった霧島連山の遠景を楽しんだ(左の写真)。帰りの飛行機は、揺れて、飲み物はでず、飴だけになったが、揺れは長時間でなかったので、妻も何とか持ちこたえられた。伊丹からは難波まで、高速道路が事故渋滞で閉口したが、これぐらいは仕方のないことで、なんば駅近くの蓬莱で夕食を取り、別れた。 |