笠捨山・行仙岳 1352.3m,1226.9m 

 


データ】     

2002年12月22日(日) 曇時々晴れ 4時間20分  

12月21日(土)  

5:25中松江 5:50M氏宅 コンビ二 7:13R370 8:00〜10大滝ダム 9:05下北山村R425 9:30〜40白谷トンネル 10:05下北山スポーツ公園バンガロー 宴会 きなりの湯 昼寝 再び宴会 20:40就寝

12月22日(日) 

5:35起床 朝食 6:55出発 7:25白谷トンネル手前行仙岳登山口 7:35スタート <13分> 7:48〜52青い小屋 <20分> 8:12〜20行仙岳山頂が見える場所 <9分> 8:29〜33奥駆け合流 <15分> 8:48〜55行仙宿小屋 <17分> 9:12〜14檜の大木 <24分> 9:36〜39休憩 <11分> 9:50笠捨山見える <27分> 10:17〜11:18笠捨山西峰 <2分> 11:20〜23東峰 <51分> 12:14〜17檜の大木 <9分> 12:26鉄塔 <5分> 12:31〜43行仙宿小屋 <19分> 13:02白谷トンネル分岐 <3分> 13:05〜10行仙岳山頂 <3分> 13:13分岐 <32分> 13:45ゴール

13:54発 14:41R168 14:46〜15:26湯泉地温泉 16:52五条市県道55号 18:05M氏宅 18:35中松江


駐車場
   行仙岳登山口前路肩(3台)

温泉】 
   下北山温泉きなりの湯(露天風呂有、500円)、湯泉地温泉泉湯(露天風呂有、
   400円、石鹸・シャンプーなし)


メンバー
   I夫妻、M氏
   


山小屋の中でも、霧ガ峰のコロボックル・ヒュッテ、北八ツ岳のしらびそ小屋は是非訪れたい山小屋である。どちらも雰囲気と主人の手塚氏と今井氏にお会いしてみたいという願望である。そして無人小屋では、2年前に訪れた大峰奥駆け上にある行仙宿小屋である。すばらしい施設、中でも大きな囲炉裏、清潔な毛布とトイレ。そして何より誰もいないという幸運に恵まれた静寂が再訪の心を大きくした。張り詰めた寒気と風の音。星の輝きを忘れることはできない。昨年は思わぬ事故で急遽取りやめとなり、待ちに待った今回の山行である。前回宿泊した際、持ち主の新宮山彦グループの納会の日は避けてほしい旨の張り紙があったので、念のため確認すると問題ないという。23日はIさんが出勤なので、21日笠捨山の行仙宿小屋泊、22日は車での玉置山と玉置辻からの大森山経由五大尊岳登山を計画する。


しかしながら天気予報は週間予報も悪く、忘年会と出張続きで前夜も深夜となったが、心待ちから4時半には起床。だが起きてみると雨である。早速ネットで予報を確認しても完全な雨。ほどなくIさんからも電話がある。一瞬お互い躊躇したが、妻が準備してくれた鍋も楽しみだし、ともかく出かけることとする。


I夫人も仕方なくM氏も同様だったであろうか。私も二日酔いと寝不足でグロッキー。M氏の運転で最近仕入れた馬鹿話でようやく醒めて来る。大滝ダムもほぼ完成していたのに驚き、杉の湯でトイレ休憩の際、ホットコーンスープとおにぎり朝食。雨は降り続く。車は快適に走るが、降り続く雨に、池原ダム手前では下北山スポーツ公園のバンガローに泊まろうかとも思いつくが、兎も角白谷トンネルまで行く。R425で雉が横切る。皆はよく見ているが私は初めてだ。準備もままならない雨なのでトンネル内で着替えることとする(それほど車は通らない国道である)。しかし風雨が激しく、M氏がバンガローに行くことを提案。賛同を得る。もし手配できなかったら、覚悟をきめ、再度戻り小屋まで行くこととする。ちなみにドコモも通じない。


途中道を横切る猿を見かける。あれ犬に出会えば桃太郎となるが、何故か犬はいない。30分ほどで下北山スポーツ公園内の平成の森センターハウスに行くと、どのタイプも宿泊可能な上、何とこの時期は村民料金で、2
/3の値段である。壁に詳細な写真が張ってあり、じっくり選択する。我々は5人用のC型とする。ロフト型で、室内に流し、トイレ、エアコン2幾、2段ベツトと2階にはマットレスが3つ敷け、寝具付である。その上新しい。おまけに本来14時チェックインだが、前夜宿泊がいないので、すぐ入室可能。それで10000円+駐車代500円である。室内にトイレがないタイプや少し離れた平成の森にあるものはなんと5000円ほどである。


というわけで、10時すぎには宴会が始まった。忘年会をしたかったので、あれだけあこがれていた行仙岳宿小屋も、雨足の強くなった雨と真新しいエアコン付のバンガローの前には、心から離れてしまった。うーん私の山への想いとはこの程度のものなのか(^_^;)


持ち込んだI氏のサントリー白州工場のピュアモルトや私の高級スコッチ。どんどん気持ちは天国に近づく。そして昼間から温泉。雨の中の早い時間。大変人気のある「きなりの湯」も貸し切り状態である。そして心地よい昼寝。目覚めて鍋の再度の宴会。これを幸せと呼ばずして何たるか。就寝時刻は山タイム。しかし暖房が効きすぎ、飲み過ぎでトイレばかり行ったが、これも室内にあるおかけで助かる。


 

明けて22日。この日は雨でもということであったが、期待通り雨は上がっている。早々に準備し、夜明けと同時に出かける。トンネル手前の登山口のNTT巡視路の階段近くの路肩に止め、準備を急ぐ。登山口(右上の写真)には真新しい「富士山の見える山、笠捨山 富士山から301km 富士山の西南西240度」という標識があった。記憶に新しい階段の道をゆっくり上る。昨日は雨で休日となったからかチェーンソーの音が聞こえる。作業小屋の前でみすると、何とI夫人のザックにカメムシが。夫妻は結構カメムシに縁があって、ひどい匂いに痛い目にあっている。つぶれなくてほっとされている。

見覚えのある行仙岳山頂の見える箇所に出る(左上から2つめの写真)。展望がよく、ガスが切れ、台高山脈南部が見える。10分足らずで奥駆け道に合流。標識に行仙岳5分、行仙宿小屋15分、白谷トンネル40分と書いてある。行仙岳はガスが晴れることを期待して後に回し、行仙宿小屋に向かう。雪は全くなく、標識通り15分で到着。まきを蓄えていた小屋がなくなっているので不思議に思い、小屋内を覗くと、新たな小屋建設のための資材がたくさん置かれていて、半分くらいのスペースが占拠されていた。従って、下に泊まって正解であった。小屋の前の温度計は3度となっていた。


小屋前の標識には笠捨山まで120分となっている。エリアマップでは、1時間20分でネット情報でもその程度であり、標識は間違いか奥駆けする荷物の多い人のことを考えてのことであろう。すぐにから池が左手にあった。大蛇伝説があるという。ほどなく捲き道との分岐で捲き道は荒廃していると新宮山彦グループの標識があった。稜線伝いで鉄塔に出る。ここから少し下る。ネット情報通り、アップダウンがあり、多量の雨の後だからか踏み跡の薄いところもあり、イメージしていたより厳しい。昨日だと途中リターンしたかもしれない。喘ぎながら上ると、大きな檜の大木(右上の写真)があったので、一本立てる。


ここからも上りはきついが、ぶなの大木も出だし、気持ちが良い。ピークを3つばかり越え、笠捨山(左上から3つめの写真)を眼前に仰ぎ見るすぱっと切れ落ちた箇所を慎重に下り、急登を上ると、西峰と東峰の鞍部に出て、右手の西峰を目指す。東峰には蛇崩山という矢印の標識があった。エリアマップには点線もないが、踏み跡程度の道はあるのであろう。すぐに西峰でM氏が先着されていた。新しい道祖神のようなものが祀られ、南北が切開かれ展望は良い。二等三角点(右上の写真)のある北側からは雪をかぶった釈迦ケ岳(右の写真)と行仙岳の奥には、大普賢岳(左上の写真)が顔を覗かせている。昨日、雨の中を強行せずによかったと思う。


南側は分かりにくいので、地図と磁石で玉置山の方向を確認するが、あいにくガスがかかっている。写真を撮ったりした後、ビールで乾杯し、少し早いが昼食とする。日清のgootaは、カップ麺と思われないほど、おいしかった。醤油とんこつは、和歌山ラーメンの味である。折角なので反射板のある東峰に寄る。北側の展望はこちらの方が良く、小屋や行仙岳の電波塔もはっきり見える。すばらしい展望を目に焼きつけ、帰路につく。青空も広がり始め、快適に歩き、小屋に着く。行者堂が開けられ、小屋に2人いた。

 

行者堂には亡くなった3人の大行者の功績が書かれていた。短命であったのが悲しい。Mさんが2人と話されていたので、話の輪に入ると、お2人は新宮山彦グループのメンバーだという。一昨年お世話になり感激したこと等お話し、いろいろお教え頂く。小屋内の資材は、奥駆けの際には、数名の世話係の人が午前2時頃から炊き出ししなくてはならないのに、手狭なので、管理人小屋として建設すめするためのもので、十津川村管下の植林の伐採木が使えるので思い立ったとのこと。5月の奥駆けに向けて3月頃に建設予定であること。現在の小屋は2000万円ほどかかったとのことだが、600万円ほどは寺からの援助だったものの、後は自分たちの負担であったこと。計画から完成まで10年もかかったこと。


きっかけは、行者堂に掲げられていた大行者の一番奥に飾られている方が太古の辻からの整備を目指され、持経の宿を建設された後、2年でなくなったので、後を新宮山彦グループが引き継いだとのことであった。しかし新宮山彦グループは10人ほどになり、55歳のお二人が最年少。最高は80歳近くで、平均65歳ぐらいとのことであった。各地に支部が結成され、可能な範囲で援助されているとのことであった。なんと塩じいこと塩川大臣が大峰奥駆けに関心があり、各省庁との許認可に尽力。新宮での完成パーティーに夫人とともに参加されたとのことであった。小屋内に塩川大臣の筆によるものが掲げられている。お二人も本当に感じのいい方で盛んにコーヒーを薦めて下さるが、玉置山に寄ろうと思っていたので、残念ながら遠慮した。お二人をHPに掲載したいことを申し上げ、写真を取らさせていただく。

 

行仙岳を目指し、登り返して行く。山頂に着く頃には、残念ながらガスで展望はきかなかった。三等三角点を確認し早々に下る。30分ほどで、国道に下り降り、R168を目指す。Iさんが明日は出勤なので、玉置山は別途ととし、湯泉地温泉に向かう。途中不動滝の立派な姿に感激する。湯泉地温泉泉湯は中八人のときと違い、にぎわっていた。硫黄のにおいがするいい湯だ。帰りは五条市でR24に入らず、ずっと紀ノ川左岸を走り思いのほか早く着いた。M氏の道路知識のおかげだ。いいメンバーで忘年山行ができたことを喜ぶ。帰宅して調べると、笠捨山の名は、吉野から熊野への逆峰の道で、この山で過ぎてきた山々を振り返り笠を捨てたことに由来するという。これで近畿百名山66座、関西百名山69座となる。


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