越中おわら風の盆2011

 


データ】     

2011年9月2日(金)曇り
乗車時間7時間 片道正規 7040円
5:32行徳駅発 5:59日本橋駅発 6:15上野駅発 8:02予定→09高崎駅着 8:24→48高崎駅発(渋川まで減速運転 モハ115、9:49発に乗れず、上毛高原駅までタクシー相乗り) 新幹線たにがわ乗車 11:42越後湯沢駅発ほくほく線 13:07直江津駅着(当初予定は、12:01着) 13:12直江津駅発 15:15富山駅着 15:35富山駅発快速 (当初予定は、15:09着)23:51越中八尾駅発 0:12富山駅着

乗車時間7時間31分 片道正規7670円
5:46富山駅発(普通3両編成 モハ474かび臭い) 7:39直江津駅着 8:09直江津駅発ほくほく線 9:20六日町駅着 9:26六日町駅発(モハ114) 10:28水上駅着 10;34水上駅発(モハ114−1038 3両編成) 11:38高崎駅着 11:58高崎駅発 13:50上野駅着 13:53上野駅発 13:56秋葉原駅着 14:02秋葉原駅着 14:28西船橋駅着 14:34西船橋駅発 14:41行徳駅着  

メンバー
    単独
   


昨年、風の盆の最終日を見て、再度、演舞場でのステージも見たくなり、出かけることにした。青春18切符を使っての旅である。演舞場の指定席のチケットは、ローソンチケットでの発売だが、どの席がとれたのか分からないまま、ネットで申し込み、店に受け取りに行くと、まずまずであった。

しかし、台風12号がちょうどやってくることになり、天気が怪しい。しかし、開演ぎりぎりでないと、実施の可否も分からないとのことなので、駄目もとで出かける。台風は西寄りなので、富山には予定通りたどり着けるだろうと詠んでいたが、群馬県の大雨で、高崎着が少し遅れ、何より上越線の車両切り離しの担当がどこかに行っていたようで、15分もかかった。

JRの不手際なので、水上では3時間に1本だし、待っているだろうと思ったが、水上に着くと発車していた。駅長に厳しく詰め寄る乗客もいる。高崎駅の駅員は、水上で待っているとの話だったようだ。連結作業が普通なら、待つことも可能だったように思われ、釈然としない。

挽回策の最短は上毛高原駅から新幹線を使うことである。上毛高原駅までバスだと、本数の少ない上越新幹線では、遅れが大きくなるが、タクシー乗り合わせだと、当初予定より1時間遅れだと分かり、4人で相乗りした。和歌山の先輩のNMさんとTKさんを足して二でわったような人がユニークで、民宿泊まりらしい。高橋治の風の盆恋唄の小説を友人に薦められ、熱心に読みながらの旅とのことだ。

上毛高原駅には、D51の静態保存があった。駅長に皆で、JRの不手際なのだから、青春18切符とはいえ、特急券だけで乗せろと詰め寄るが、駄目で、気休めにタオルをくれた(^^ゞ若い一人が、株主優待券を寄こせと詰め寄ったのはしたたかだなぁと思う。

越後湯沢からのほくほく線は、別料金で950円必要だ。キセルもできてしまうシステムだが、立場を考え、車内循環の車掌に支払った(結局払った乗客は私だけであった(^^ゞ きっと、この行いが演舞場で、天候が持った原因だろう)。ほくほく線では、八海山も見えた。

北陸本線の「つついし駅」は、上越線の土合駅と同じく地下トンネルのようなので、女性車掌に聞くと(女性車掌が本当に増えた)、やはりそうだった。北陸本線は、海岸ぎりぎりを走る箇所も多く、風情がある。クモハ475の車両は古く、天井のクーラーをガムテープで止めていた(^^ゞ この日の日本海は波静かであった。

富山駅からの越中八尾行きは一旦改札を出て、整理券をもらう必要であったが、全員ゆったり座れた。駅の中はJRも八尾観光協会もおわらのポスター一色だ。

八尾駅前でもらった今年のパンフレットは、輪踊や流しのスケジュールも詳しく書かれていた。福島の輪踊りをちらりと見て、下新町を通ると、聞名寺の鐘が聞こえ、行ってみると、おわらを踊る人が鐘をつき、寺の縁で見守る踊り子もいる。ただ、解せないのは女性の年齢が高いこと。その謎は後で解けた。

















調べると、「聞名寺は、浄土真宗本願寺派で桐野山聞名寺と言い、正應三年(一二九〇)美濃国各務郡平島村に、本願寺三世覚如上人の高弟願智坊覚淳が創建。その後飛騨に教線を拡げ、應仁二年(一四六八)五代覚玄が越中に進出。天文二十年(一五五一)現地に到り、濃飛越三州の中本山各となる。神保、斉藤、秀吉、前田、金森氏など歴代武将の崇敬厚く、関係古文書類など多し(県文九十五点)。寛永九年に県下最古の寺子屋を開設、境内に東西町など四筋の家並み建設を認め、八尾町の母胎となる。現本堂は京都の名匠柴田新八郎貞英の傑作(文化九年完成)。総欅造りの豪壮な作風は、堂内の華麗さとともに、本願寺様式建築としては全国白眉のもの。地区民の誇りである寺様式建築としては全国白眉のもの。地区住民の誇りである」とある。八尾町は、この聞名寺の門前町として発展したとのことだ。

聞名寺の縁で、長時間、司会もついて踊りが披露されるというので見入る。ここは、今町の踊り場だと思っていたら、「高岡・・・・」というような紹介や男踊りの方も女性であったり、おかしいなと思った。ただ、八尾の名刹が舞台で住職も関係しておられるので、てっきり八尾の方の踊りと思っていたら違った。それでも踊りの指導あり、解説ありと、楽しめたし、お堂の前という舞台がいい。また、美しい白の着物の方もいたが、25歳以下の女性には似合わないであろう。そして休憩前の閉めには、「南無阿弥陀仏」と唱えながら祈る姿勢があり、大震災もあったから余計、じーんときた。

















夜、雨宿りしていると、浴衣姿の地元の粋な男性から、聞名寺境内で踊っているのは、11団体の代表者によって構成される「富山県民謡越中八尾おわら保存会」の人ではなく、地元以外の県内外から集まった「越中八尾おわら道場」(1985年設立、本部は下新町)を母体とした「聞名寺 風の盆講中」の人たちであることを教えられる。道場は住職が後見人であるとのことだ。

その後、簡単な夕食を取り、八尾小学校グランドのおわら演舞場に向かう。今日出る支部は、父と一緒に見た2005年と同じであった。その後、おららへの知識は深くなったので、同じ支部でも楽しみだ。取れた席は19列70番。まずまずの場所だった。

















ただ、台風で団体客のキャンセル(遅刻)があったようで、最もいい指定席が多数空いていた。司会の方が、天候の都合で、東町、諏訪町、鏡町、西新町、天満町の5支部が予定されているが、3支部しかできないかもしれないと言う。胡弓等の楽器が濡れることが致命的であるし、西新町や天満町は遠く、雨の中、来れないかもしれないとのことだ。しかし、ぱらぱらはきたが、最後の支部までできた。

















支部ごとの記憶に残ったことを書き留めると、@東町は、男踊りのストップモーション、A諏訪は、男性が上手く、比較すると女性がもう一つという感じ。歌の長老が上手い(右上の写真)、B鏡町は男踊りの上手さ、男性の歌の上手さ、胡弓の長谷川氏のさすがの音色、三味線の古川氏の音色、C西新町は、男踊りが力強く(左下の写真)、男女混合踊りの上手さ、男性のブルーの着物(右二つ下の写真)、E天満町は、若い男性の歌の上手さ(大きな拍手)、舞台では珍しい輪踊り、男性の大男のストップモーションの長さ


















後は、この日は一回だけ予定の、おたや下段の鏡町の踊りを見た。昨年に比べて、男性陣が上手くなっていた。途中、演舞場に出た若い男女がサンバの歌を大声で歌いながら、歩いていたのが印象的で、自身の心のバランスをとっているのかなどと思った。このサンバもなかなかよかった。 

















残念ながら、雨足が強くなり、上新町で来年のおわらのカレンダーを買い求め、道の駅百選に選ばれた、しかし雨で信じられないぐらい人の少ない諏訪町(公民館で人数限定で踊っていたが入れず)を歩く。そして寄付をした民家での踊りを西町、天満町で見て、福島の公民館で、この日最後の踊りを楽しみ、23:51の快速で富山に向かう。途中、雨宿りしていると、先に書いた地元の浴衣姿の男性から聞名寺の踊りの話、今年は震災でステージ、観客も少ないことを教えていただいた。

富山への電車内で会話する年輩の男女の話では、クラブツーリズムのバスツアーは、15時到着予定が、高速が一部通行止めで、20時到着となり、全然楽しめなかったようだ。私はラッキーだったようだ。

富山駅の待合室は閉鎖されていたので、腹ごしらえをしようと歩く。県庁前から丸の内、 城跡を巡り(ライトアップが美しい)、上海亭という中華料理店で腹ごしらえして、駅に戻ると、15人ぐらいの女性がシートをひき、ごろ寝をしていた(朝の話からは関西人が多かった(^^)vさすが関西のおばちゃん)。

皆さん、諏訪町あたりで、一夜を明かす予定であったのだろう。私は心強く、同じくシートをひき、リュックサックを枕に、ホームレス体験をする。奥多摩駅以来だ。心地よい風が吹き、1.5時間眠った。何かこういう体験も幸せと思うようになってきた。変なおじさんである(^^)v

朝4時になると、駅員の仕事がはじまるので、寝ているわけにはいかない。案の定、台風影響で、サンダーバードや特急しらさぎの運休を盛んに告げる。

直江津方面の始発は予定通り出発した。古い車両だ。いちぶり駅まで海岸のひなびた景色が続き、日本海の風情を感じる。直江津に近づくと学生が多くなった。

直江津では時間があったので、駅の改札を出る。駅舎が新しい以外は変わらない。蕎麦を食べ、腹ごしらえをして、1両編成のほくほく線に乗り込む。

越後湯沢からは雨。利根川は濁流だった。この日はSLみなかみ号が運休だったので、高崎駅で明日の予定をきくがわからないという。

さすがに今年で、おわらは卒業だと直後は思ったが、日が経つにつれ、今度は1日目の舞台を見てみたいなぁと思ってしまう。

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