越中おわら風の盆2017

 


データ】     

2017年9月1日(金)〜2日(土)

メンバー
    単独
   


双六岳に登った後、特筆すべきは、朝日上方落語会の米朝一門会だ。初めて奈良県文化会館であり、ざこば、南光、米團治、吉弥等錚々たる顔ぶれが揃い、ざこばこそ、闘病中で顔見世だけだったが、南光は「青菜」、吉弥は「七段目」、米團治はなんと「地獄八景亡者の戯れ」を演じ、実に聞き応えがあった。吉弥さんは実力派、米團治さんも芝居ものだけでなく、十八番を広げられているのであろう。ざこばさんの回復が待ち遠しい。

そして、読響の三大交響曲など、相変わらずの多趣味路線をひた走っているうちに秋風が吹き始める季節となった。風の盆の季節だ。

昨年、風の盆の最終日を予定していたが、前日に癌告知を受け、急遽キャンセルした。今年も休日につながる日程なので、やり残した宿題のように出かけることにした。風の盆は、父と行った2005年、2010年、2011年、2012年についで5度目だ。富山には東京からは飛行機、青春18切符など色々な交通手段を経験してきた。今年は先日乗った北陸新幹線の便利さはあるが、安価な高速バスとした。急ぐ旅でもなく、景色を楽しむならコスパは高い。池袋を7時20分に出て、13時50分富山駅に着く。

朝マック(「まくど」という言い方に軍配が上がったそうだが)を買い込み、乗車したバスは西武バスの3列シート。乗り心地は良い。

曇天も埼玉に入る頃には青空が広がり、秩父の山に続いて、赤城山や浅間山が見え、車窓を楽しめた。特に何度見ても妙義山は圧巻だし(左下)、今回は戸隠、高妻、飯縄、妙高と火打も楽しめた(右下が妙高から火打)。二度登った火打山には特に思いがある。ただ、折角の富山からの北アルプスは雲がかかって見えなかった。

















休憩は、上里SA、松代P、越中境Pで15分ずつ、特に松代Pに吹く風は涼しく、越中境Pは海が青く、つくつくぼうしが鳴いていて、夏の終わりを感じた。この景色に恵まれたバス旅だけでも幸福感は高い。富山駅には定刻に着いた。富山駅は新幹線開業により、見違えるほど立派になっていてびっくりした。市電のニュートラムも乗り入れている。

















八尾の風の盆のスタートが気になるが、とりあえず、東横インに荷物を預けに行った。富山駅は、臨時列車も整理券方式で、切符の購入と乗車も整列だ。整理券も非常に立派だ。臨時列車は氷見線のもので、外観は色落ちはなはだしいが、クーラーは効いていた。ぎりぎり座れず、車窓を楽しむ。八尾までは、ノンストップの快速であろうが、なかろうが、単線での対向待ちがあるかないかで、所要時間が決まる。20分前後だ。

八尾駅は変わらなかった。ただ、福島(ふくじまと濁るそうだ)の道路の屋台は、5年前より多い気がする。晴天だが、気温は例年より低い。

十三石橋が架け替中なので、坂の町大橋を渡り、天満町から禅寺橋に向かう。以前、西町のスタートが石垣をバックにした禅寺橋上での踊りだったので、それを見てみたかった。

天満町では若い人の踊り後のかけ声が聞けて、5年振りの感覚が蘇る。今町は坂をおりて来る流しで胡弓の年配の方がすばらしい音色で聞かせていた。川岸で並んでの踊りは初めてで、風情のあるスタートとなった。気持ちは一気に高まっている。ただ残念なことに、西町の禅寺橋はとうに終わったらしく、全く気配はなかった。




























































最初からの幸運を喜びつつ、石垣を見つつ上を目指すと、東町の流しに出会った。そして 西町輪踊りと早くも一通りの風の盆を楽しめたことになる。上新町は笠を被らず、踊っていた。

胡弓奏者で有名な若林美智子さんのお弟子さんがいて、今夜も1時から流すという。ホテルなど泊まらないで徹夜されたら良かったのにとアドバイスされる。術後一年たらずなので、今年は仕方ない。

恒例の八尾小学校の演舞場は、今年から3日開催となる。指定席は3600円、自由席は2100円だが、早く指定席を申し込んでも、良い席が取れなかったので、前回より自由席で早めに行くようにしている。

玉生酒本店でにごり酒、はやし精肉店でコロッケと焼き鳥を仕入れ、17時半に入場すると中央の通路側の4列目がとれた。のんびり待っていると後ろの席に、豊中市在住のJTBツアーの夫婦が来たので、親しく話す。ツアーには演舞場の券がなく、聞きつけて来たという。ツアーは22時前には出発なのであわただしい。

開始直前には自由席も埋まり、5年前の司会者と同じ方が現れた。三回となったのは、町の流し等も楽しむためとのこと。入場料は変わらないから増収にはなろう(^^)v

この日は東新町、天満町、鏡町、今町の4支部。東新町は人数は少ないが、小学生の早乙女姿の踊りが見れるのが良い。天満町は、地方も良く、11支部の中でも上位にあるのは間違いないと思う。特に囃子や女性の歌声が良い。鏡町は以前より注目しているが、踊りは以前の方が切れがあったように思った(下の写真)。今町支部は破れ傘の太鼓と囃子が印象的だ。男踊りのストップモーションが喝采を浴びていた。



























終了後M君と合流した。藍の絞りの浴衣はさまになっている。玉生酒本店で再度にごり酒を買い、街流しを求める。西町の流しのしんがり二人の上手さを褒めた後、おたや階段に行くが、すごい人で見れず、諏訪町も上の方でやっているようだが、あまりの人で見れなかった。岩手県から来られたという高齢親子と親しくなる。

上新町の一般人も参加できる輪踊りを見て、M君が前年親しくなったという身障者支援の店でのどの渇きを癒す。

折角なので、鏡町に行くと、運よく、おたや階段での最終を、おたや階段に座ってでは初めて、見た。ただ前の神戸の女性の方がスマホで撮ろうとするのが邪魔になり残念であった。天満町はまだやりそうだったが、終電(0時50分)1本前を目指すと、0時10分発が7分遅れで到着したので運よく乗ることができた。

翌朝は8時に起きて、東横インの朝食を食べて、10時32分発の快速に乗った。55分に着き、のんびり歩き出す。駅前のホテルから出るカップルがあったので、いくらくらいかかるのか聞くと、朝食だけで1人15000円、一人でも二人分で3万円だという。徹夜か東横インが無難なようだ。

天満町を通って向かうが、天満町も古い家並みが意外とあり(左下)、古風なお店もあり、風情があった。闇名寺への坂の途中の寿司屋で、お勧めのますの棒寿司を買い求め、闇名寺のスケジュールが貼られているのを確認したりしながら進む。この日は案内パンフレットの地図に、記載されていない酒屋や焼き鳥屋、喫茶店など来年以降も参考になりそうな場所・情報を書き込むことにした。

5年前バルコニーでの踊りが印象的だった「八尾ぶらっと館」の下のベンチで休む。地元の年輩の女性と明石市にお住まいのN氏と懇意になり、雑談を楽しむ。N氏は昭和25年のお生まれとのことで、関西の方とは思えない上品な紳士だ。八尾のことだけでなく、病気や趣味の話まで広がり、色々、一致点が多いのに驚く。N氏は7年連続で通われていると言う。宿泊ホテルの一致も理由も同じで面白い。教えていただいた情報の中でも若林美智子さんの深夜の町流しの情報が有難かった。女優の柴田理恵さんのご自宅の話も興味深かった。来年以降もお会いできたらと願い、名残惜しく別れた。

















日本の道百選の諏訪町(右上)や最奥の東新町の若宮神社まで行き、おたや階段に向かうと、20時まで自由にというN氏の席は若いカップルがおさえていたが、少し上の段に座るご高齢の方の横に座った。この方は神奈川県の方で齢80歳、何と30年以上通い続けているという。鏡町のファンで古川さんや胡弓の長谷川さんをよく知り、風の盆の知識をたくさん教えていただいた。八尾在住の方とも親しくなり、民泊までさせてもらっていたという。また、この方も同じく東横インに泊まり理由も同じなのが面白かった。
 
鏡町は残念ながら輪踊りだったが(下の写真)、おたや階段でのベストの席で楽しめたのは良かった。さらに諏訪町に移動した鏡町の輪踊りも見ることができた(下の二つ目)。そして今町は地方、西町の歌の上手さに感心した後、下新町に下ると八幡神社はひっそりとしていたが、流しに出会い、歌と胡弓の女性の上手さを堪能する。井田川のほとりの輪踊りは吹く秋風と共に記憶に残ろう。西町は、二日目も禅寺橋がスタートのことで、来年以降、楽しみたいと思う。
















































































































そして実力のある天満町に行ってみると、運よく輪踊りが始まったT氏とN氏の囃子は抜群で、歌も女性人が良かった。踊りは笠を被らず、将来有望な男女がいた。T氏は囃子をN氏に代わった後、輪踊りに入っていた。根っからのおわらを愛しているのだろう。
 
正直、今日の夜は小学校の演舞だけしか楽しめないので昨日だけでも良かったかななどと思ったこともあったが、昼間にこれだけ楽しめると二日いた甲斐がある。






























聞名寺をちらっと見た後(上の写真)、今日も玉生酒本店でにごり酒、また、たこ焼きやはやし精肉店のねぎまを買い求め、昨日とほぼ同じの17時半ごろに八尾小学校の演舞場に向かうと中央2列目が取れた。にごり酒、たこ焼きやとねぎまという一見侘しい夕食は本人にはそうではなく、食事の美味さはTPOかと思う。

最初の福島支部は人口が多く層が厚い。太鼓と歌が良かった。次の西新町は深く沈む男踊りが有名だが、しっかり伝統は引き継がれ印象に残った(下の写真)。この日は月が美しかったのに三番目の諏訪町のときに俄かに雨か降り、観客の8割近くが退席してしまい気の毒だった。降っていたのは15分ほどだったが。驚いたのは、諏訪町の囃子であった。どう聞いても音程がはずれていた。諏訪町は人口減で親戚等の応援で成り立っているとのことだが、実力維持は大変だ。最後の西町は安定感があり、良い〆となった。






















































下新町での八幡神社の舞台が最後で名残惜しく駅に向かう。駅前にDJポリスがアベックで車両の天井から、「富山は薬で有名です。けがは富山の薬で治りますが、心の傷は治りません。ケガをしないように、駅の係員の指示に従って下さい。」とアナウンスしていた。若いイケメンで時代は変わった(^^)

何とか予定の列車に乗れてほっとする。東横インに預けてあった荷物を受け取り、トイレで汗をぬぐい、着替えるとすっきりした。加越交通の3列シートのバスは、JRに比べるとシートは劣ったが、定刻より早く、5時5分に池袋に着いた。あれから二週間経つが、時折、おわら節が脳裏に蘇る。


  HOMEへ