木曽駒ケ岳 |
【データ】
【メンバー】 |
夏の甲斐駒・仙丈から後は、読響のクラシックや文楽、補修の終わった平等院を訪れ、文化的な面が充実していた。特に読響のワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」と紀尾井ホールでの日本初演「オリンピアーデ」が印象に残った。また、平等院の阿弥陀如来坐像は、見るのに2時間待ちを要したが、定朝作と唯一確認できるだけあって、画一的であるにもかかわらず、感じるところがあった。 しかし秋の山も是非と思っていたところ、K君からお誘いがあった。どこにしようか悩んだが、テレビで見ていた木曽駒のクラシックルートを思い立つ。 天候は週間予報が確率Aの晴れ時々曇りだったにもかかわらず、二転三転し、出発日を悩んだが、結局、金曜日出発とした。K君が山下達郎のコンサートに行ったので、23時半に小石川を出発した。K君の新しいVWゴルフは、追尾機能がついていて、すこぶる運転が楽なようだ。渋滞もなく、よもやま話をしながら、順調に諏訪SAに着き、仮眠する。外は寒い。 起床後、ナビで目的地を小黒川渓谷キャンプ場を目指す。伊那ICからも遠くはない。ただ、登山口の桂小場は初めてで、狭そうな道で、新車なので、夜が明けてから向かうこととした。道は、対向は困難だがほぼ舗装していたが、駐車場はダートだった。10台ほど止まっていた。 ![]() ![]() 登山道はさすが学校登山にも利用されるだけあって、登り易い道が続く。また、水場もあり、助かる。アサヒビールが寄付したとの案内が数か所にあった。一部崩壊で迂回路となっていたので迂回路を使ったが、後で崩壊路を歩いた人に聞くと、迂回の必要はなく、かえって迂回の方が危ないと思った。 急坂は九十九折りになっていた。標高1800m辺りは、ダケカンバの純林で美しく、近くに落雷事故で亡くなった中学生の碑があった。下山者に聞くと、前日は大変な風だったそうだ。今日も展望が良いとのことで、うれしくなる。紅葉は、この辺りまでが盛りだ。 ![]() ![]() 大樽小屋付近は、シラビソの大木も多い。曇りだが高曇りで、槍ケ岳も見え喜ぶ。目指す西駒山荘の小屋も見えた。途中数か所大木が倒れていて、くぐるのがおっくうだった。胸突八丁を頑張ると、胸突の頭の標識があると、ほどなく稜線で御嶽がガーンと出迎えてくれた(右上)。風は強いが、大展望に歓声をあげる。 ![]() ![]() 小屋までは、巻き道でほっとする。巻道から見える山腹の紅葉が美しかった(右上)。今日の小屋は、「西駒山荘」で、先日、NHKの「小さな旅」でも取り上げられていたので、楽しみだった。 ![]() ![]() 小屋からの展望は最高で、槍ケ岳が正面に見えた(右上)。管理人の天気が崩れないうちに山頂をというアドバイスに従い、石室にリュックを置き、昼食を急いで済ませ向かう。昼食はこの小屋下に豊富な湧水あり、湯を沸かして温まる。 ![]() ![]() 小屋から少しで南アルプスや富士山の大展望(右上)、近くは日本庭園のようにハイマツと花崗岩が美しい。いい日にいいコースを選んだと喜びあう。思っていたより、はるかに大きい聖職の碑の遭難碑(右下)を越え、濃ケ池を左下に進む。紅葉が残っていたら、さぞ美しいだろうが、ダケカンバの幹も美しい。 ![]() ![]() 谷の向こうに、宝剣山荘や宝剣岳、空木岳が見えた(右下)。標高差300mほどだか、睡眠不足と高度がこたこたえてきて、足が上がっておらず、すねを岩にぶつける。 ![]() ![]() 前から来る人はロープーウェー利用の初心者が多いと思われ、頭から靴まで新品ぞろいの人が多かった。私とは大きく違う(^^)v山頂と濃ケ池(左上は池と甲斐駒)を周遊するようだ。頂上宿舎傍のテント場にはいくつか張っていた。あえぎながら、ようやく山頂に着く。 ![]() ![]() 大展望に満足し(左上は、頂上手前から空木岳)、ほどほどに小屋に戻る。濃ケ池や将棋頭山も行かず、ひたすら小屋に戻ると、ヘルメットをかぶり、テント泊風の単独の女性に会い、日没を心配する。 小屋に着くと、甘酒の振舞があった。管理人の宮下さんは、冬は杜氏だそうだ。K君持参の「醴泉」は美味かった。せっかくなので小屋にある信濃錦等3種すべていただいた。 ![]() ![]() 今日の宿泊は10名、前年に新築され、ふとんも良く、実に快適だ。トイレは袋式となっいている。夕食は名物のカレー。食事後、教えに従い、紙できれいにふきとる。 その後、3本のビデオを見せてもらう。管理人の宮下拓也さんは、何と「小さな旅」に2回も出演していた。3本は、紹介スライド、小屋の建て替え、1回目の小さな旅だった。 前夜は2時間の快眠だったので、眠いので、20時に就寝。トヨタの親子と4人部屋だった。息子さんは高山病のようで食事をされず心配だ。一人一枚のふとんで快適だ(右上の写真)。夜半からは暴風雨で、2時頃目覚め、テント泊の人達を心配した。 ![]() 朝食は豪華で、おでん、煮込み、スクランブルエッグなど大満足の食事。しかし外は吹雪(左は、しだいに積もる小屋前の景色)。下山できそうになく、天気予報を信じ、回復を待つ。その間、宮下さんは信大OB、この日も信大縁の人が多く、宇野重吉に似た単独行の方から紅茶オーレをいただきつつ、「信州哀歌」「春せきりょう」などの信大寮歌や山の歌を、伊那山の会の人たちも交え、アカペラやハーモニカで聞かせてくれた。下山できるかは心配だったが、何とも言えない至福の時間を過ごす。 小屋閉めは二日後。また一つ山のいい思い出ができた。9時過ぎ、少しおさまったので、皆で出発した。 無事に樹林帯に入ることができ、下山は飛ばした。道が良いので、景色の良いところだけ止まって、秋山を惜しみ、膝に負担のないよう小走りもした。 ![]() みはらしの湯も温泉のポンプが回復し、最高。夏に入った「みのやさくら亭」で再び、ミニソースかつ丼セットで新蕎麦も堪能し、 ほとんど渋滞なく帰京した。温泉でも、さくら亭でもトヨタ親子に会い、再会を誓う。息子さんも回復していた。 渋滞がないと和歌山からの信州に比べ非常に近い。後は洗濯の苦労だけだった。今年は、東駒(甲斐駒)と西駒(木曽駒)を図らずも続けて登った。 この翌週、家内と角館を訪問した際、機内から冠雪した鳥海山を見て(上の写真)、感激した。山はいい。 |