北穂高岳と涸沢紅葉 |
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10/2(火) 晴れ 涸沢の紅葉を見て、北穂高岳に登ったのは、2000年で、もう20年以上にもなる。当時は、青空の下の紅葉写真とならなかったこと、北穂高岳からもガスで絶景が見れなかったことの悔いがある。 また、山登りをいつまで続けられるのはいまでだろうかと思い始めると、どうしても再度と願ううちの一つは、やはり涸沢の紅葉だ。また、あこがれの北穂高湖屋に泊まれていないのも残念だ。 いくら平日に行くことが可能だとしても、晴天の下での涸沢でないと再訪の気持ちは湧かない。天気予報はなかなか定まらないし、猛暑の夏のせいで、紅葉も遅れ気味だ。行くかどうかの決め手は、何より、大阪からの高速バス「さわやか信州号」が予約可能かだが、5日の帰路が一席だけ空いていたので、まず抑えて、行きは、2日と3日の両方、予約した。 一方、山小屋は涸沢はもとより、横尾や徳沢も満室だ。考えて、先ず、徳沢でテント、翌日は北穂高小屋、テントは空テント(500円安い)、再度、徳沢でテント泊とした。横尾でなく、徳沢としたのは、重荷と徳沢ロッジでの入浴が可能だからだ。 日程は、前半の方が良さそうだったので、2日に経つことにした。阪急梅田の高速バスターミナルを7時に出発する。バスターミナルへの道に自信を持てずに、家内に早めに東生駒駅に送ってもらった。前日にあったM先生の叙勲パーティーの懐かしさ・素晴らしさの余韻を残しながら、出かけることになった。 荷物は夏より少なくしたが、一つのリュックでは不可で、前に抱き抱えるようにもう一つ持つことにした。近鉄では、両手に杖の人が乗ってきたので、席を譲った。 環状線も座れたが、大阪駅の御堂筋口を出てからが不明で、一度間違う。空港バスターミナルの方に聞いて、新阪急ホテル内を通らせてもらい、何とかたどりつけた。一度、経験すれば、どうというルートではないのだが。 バスは、空きが多く、隣席はいなく、快適だった。ほとんど、渋滞もなく、新御堂→名神→東海北陸道経由で高山ICで降りた。途中、草津・ぎふ大和・松木峠で休憩したが、予定より30分早く、上高地に着いた。 梅田で乗車前に親しくなった、米国・コロンビアで長らく暮らしたという帰国子女で、社外人ダンスの講師をしているというコージさんと親しく、歩く。河童橋のライブカメラ、小梨平キャンプ場のポイント等紹介し、YAMAPやモンベルの野遊び保険の情報が役に立ったとのことだ。彼が泊まる明神までは、あっという間だった。彼は奥穂高岳と前穂高岳を目指すという。 ![]() 明神から徳沢では、夏と同じく、多数の猿に出会った。この時期でも、子猿を抱えた親子も複数いた。また、出会う人に外国人が多い。 夏と違い、リュックを前に抱えると、通常のスピードで歩けて、通常コースタイムより早く着いた。 ![]() この日の夕食は、途中の草津PAのセブンイレブンで購入した幕の内弁当、お酒は寒くて、ホットウィスキーとした。 ![]() 夜は冷えて、使い捨てカイロがありがたかった。月明かりで星は見にくかったものの、オリオン座が燦然と輝いていた。 10/3(水) 晴れ後曇り 18時に寝たので、2時過ぎには目覚めて、前日、コンビニで買った、おにぎりと関西風肉うどんのカップ麺を朝食とし、暗い中、ヘッドランプをつけて、4時半に出発した。熊は気になったが、結果は、早出は涸沢からはバテテとんでもない時間がかかったので、正解だった。 横尾でトイレ休憩をして、本谷橋に向かう。途中、屏風岩をめで、また、本谷橋が近づくと、北穂高小屋も確認できた。橋は仮設の小さいものもできていたので、渋滞はしなかった。 ![]() ![]() ここからが上りだ。紅葉はほとんどしておらず、下山する人から、紅葉が見頃であることを聞いたのは良かったが、今夜からみぞれになり、稜線小屋に泊まる計画は見直した方が良いとの山岳警備隊の忠告が出ているという。おまけに、途中、おニューのゴアテックスの赤の手袋を置き忘れ、探したが見つからず、30分ほどロスした。親しくなったテント泊のカップルが下山してくるのを不思議に思ったようだ。くだりの人は多く、小3の三年生の女の子もいたのは驚いた。 ![]() 下山者に手袋を見つけたら、横尾山荘に届けてもらうように頼む。涸沢ヒュッテが見えてからもひと登りあるある。ナナカマドはほとんど色づいてはいない。色づいていないというより、枯れている感じのものも多い。 ようやくたどり着いたヒュッテのテラスからは、待望の青空の下、念願の涸沢の紅葉写真が撮れたが、肝心のナナカマドの色は赤ではなく、ショックだった。小屋の人に聞くと、今夏の猛暑と雨不足で枯れているという。残念だが仕方ないし、これまで紅葉の当たり年と言われてきた年の言葉も理解できた。 小屋で手袋が届いていないかを聞くがなかった。また、雪のおそれは北穂高小屋と警備隊に相談するように言われた。小屋に電話すると多分大丈夫とのことだった。 ![]() ![]() この後、折角になので、空身でパノラマ新道からのカールの全景を見に行った。やはり、色づきは期待ほどではなかった。 ヒュッテのテラスに戻り、名物のおでんやビールは我慢して、北穂高岳を目指す。警備隊の詰所に立ち寄り、掲示板には計画の見直しを促しているので、相談すると、この時期は根雪にはならないし、9時頃まで珈琲でも飲んで待てば、大丈夫だという。ただし、登山届や山岳保険の加入等聞かれた。 ![]() ![]() ![]() しかし、折角の空テントを活かせず、スマホ2台・カメラや充電器等余分な荷物で重くて、バテバテで一向に進まない。11時半に涸沢を出発したのに、2800m地点で、144時半。そこから300mの標高差を登るのに2時間かかり、コースタイム3時間のところを休憩のとりまくりで、5時間もかかった。過去に経験したことのない、体たらくだ。 途中で荷物をデポしようかと本気で何度か思う。写真撮影や休憩多数で、何とかたどり着いた。途中の記憶を喚起すると、 ・鎖場と梯子(ネット情報の22段ではなく30段)の難所は、鎖場は、右側を行くべきところ、左側を行き、行き詰まり、やり直すことになる。 ・上の鎖場以外もスラブやガレ場帯等気を遣う箇所も多かった ・富士山や八ヶ岳等も見え、何とか気力に繋げられた ・稜線近くになると風もあり、寒かった ・南陵のテント場には、一つだけ張っていたが、夜間の風雨と雪に耐えられたのか心配した ・テント場を越えても一度下るのには閉口した ・23年前の記憶は全くと言えるぐらいなかった ・途中、追い越す方々に ・下山者は欧米人の女性の単独行者等外国人が多く、大キレットからの人も多数いて、very difficult と言っていた ![]() ようやくたどり着いた山頂は誰もいなかったが、槍ヶ岳はもとより、後立山連峰の鹿島槍や笠ヶ岳等大展望が広がっていた。滝谷も迫力ある。リュックサックを山頂碑に立て、記念撮影をした。 ![]() ![]() 小屋は真下にあり、手続きをする。キャンセルが相当出たようで、28人しか泊まっていないようだ。三階の第三尾根(上)となり、ふとん2枚分のスペースが貸切でありがたい。コロナで一泊14000円と高額になったが、やはり小屋の安心感はテントとは隔世の感がある。 ![]() ![]() ![]() 折角なので、テラスに出て、おられた方に槍ヶ岳を背景に写真を撮ってもらう。この後、この方とは、翌日まで、大変、親しくなる。 夕食は17時15分からだったが、少し遅れた。豚の生姜焼き夕食は、評判通りで、ごはんも大変美味しく、おかわりをした。ビールも飲まずに、ごはんおかわりは初めてだ。 夕食後、ラウンジになり、有名なコーヒーも飲めるとのことで、わざわざ連絡に来てくれた。クラシックを聞きながら、生花の飾られた花瓶を横に飲む。スタッフの方に写真も撮ってもらえた。さらに、モンベルと提携のザックも残り各色一つずつだったので、記念にグリーン系のものを購入した。登山道整備協力金にも寄付した。 その後、富山の一つ年上の男性と三重の女性の方と親しくなり、消灯時間まで歓談できた。富山の方は私の一つ年上とは見えない若々しさで、山スキーもしているという。女性の方は、女優に似ていると思い、聞くと若い頃、松たか子に似ていると言われたと言うが、私は、かたせ梨乃似だと思った。伊藤新道や雲の平の話になった。 10/4(木) 曇り時々雨 予報通り、12時から雪、2時頃から雨となった。朝、のき先に長いつららができていた。 朝食は5時15分。目玉焼きやウインナーの食事も美味しく、ごはんをまたもおかわりした。 7時半に雨が止んだ。出発前に昨夜の三重の方と再び、会話し、写真をいっしょにと言われた。「山への想い」を紹介する。 北穂高山頂からは岐阜側は雲が切れ、冠雪した白山、槍ヶ岳もうっすら冠雪し、立山も見えた。若手三人組が腕に自信があると言って、たくさん、写真を撮って下さり、65歳の記念になった。 ![]() ![]() 下りは、それでなくても事故が多いのに、冠雪も少ししているところもあり、慎重に進む。カメラ等もしまい、鎖場が終わったところで、取り出し、のんびり下ると、意外に良いナナカマドもあり、たっぷり撮った。 ![]() 涸沢小屋に立ち寄ると、昨日、写真をとってくれた千葉の御夫妻がいらっしゃった。百名山も97座。百高山も意識しているという。やはり鋸岳がポイントだという。実に仲の良い御夫婦でごいっしょにいると気持ちが良い。御夫妻ともにアーリーリタイアをされて、自由に山登りをされている生き方にも共感を覚えた。千葉からだと4〜5時間走れば、良い山に行けるとおっしゃっていた。 チャーシュー麺を頼まれ、美味しそうなので、私も早い昼食とした。なかなか美味しく注文は正解だった。その後、お二人と別れて、カールの上部の奥穂へのパノラマルートを見上げると、カメラマンが紅葉を撮っていたので、近づくと、涸沢小屋の小屋番の方で、小屋裏や前穂へのバリエーションルート途中の穴場を教えてもらった。近くのナナカマドも良いものがあり、青空でないのが残念だが、結構良い写真が撮れた。 ![]() ![]() さらに、上りと別の分岐から涸沢小屋への道を進むと、本年唯一と言える真っ赤なナナカマドの木があった。仲里依紗に似た女性に写真を撮ってもらう。 ![]() ![]() 本谷橋では、何と6歳の女の子を連れたお母さんに出会う。お父さんが外国人と思われ、英語で話していた。コースタイムは2時間だが、3時間はかかるだろう。子供は歩くのを嫌がっていた。 本谷橋から横尾までは長く感じた。残り1.3kmも20分かかった。横尾山荘には、赤の手袋は残念ながら、届いていなかった。 横尾から徳沢までの間で、木津川市に住む夫婦に会い、ご主人と共に歩くが転倒。おでこと手の指をけがされた。水で洗い流し、持っていた除菌シートでふいているうちに、奥様が追いつかれ、後は私がということになった。 日頃、歩いていないのに、上高地から本谷橋まで、3万歩も歩いたということで、足に来ていたのであろう。 徳沢に着くと、千葉のお二人が浴衣姿で、徳沢キッチンで、ビールを飲んでおられた。これまでの状況を話す。 木津川市のお二人は、この日、徳澤園に宿泊されるとのことなので、お二人のことを連絡して、到着が遅いなら救援をということと傷の手当てをフロントにお願いする。 テント泊の手続きとテイクアウトのおでんをお願いした。 荷物の整理後、木津川市の方が心配で、徳澤園に着いていなかったら、救援にということで、空身で園に確認に行くと無事、到着されて、怪我の治療をするところだった。 安堵して、テントに戻り、徳澤ロッジに入浴に出かけた。ここは、夏もお世話になったが、夏は貸切のため、16時までにと言われてあわただしかったが、この日は、ゆっくり入浴でき実に気持ちが良かった。 17時45分にテイクアウトのおでんを取りに行き、500mlのスーパードライも買い求め、寒いのでテントでなく、キッチンで、一人誕生会をしていると、千葉のご主人が部屋では飲めないということで、来られて、長時間の雑談となった。 ご主人の6月の飯豊や礼文島縦走という私のあこがれの山行の写真を見せていただく。私のHP、ご主人のYAMAPのアドレスを教えていただく。 ただ、話がはずみ過ぎて、ヘッドランプもなく、テントに戻るのに苦労した。追加の食事をするのも面倒で、ホットウィスキーとつまみで、済ませた。夜はやはり冷えて、カイロで助かる。 10/5(木) 雨時々曇り 朝食はカップヌードルで済ませ、帰りの準備をしていると、千葉のご夫妻がお声がけしてくださった。 雨雲レーダーを信用して、テントの乾きを待っていて、ほぼ乾いたと思ったら、雨が降り出し、結局、濡れたテントをビニール袋に入れて、持ち帰ることになる。直前でも雨雲レーダーは全く当たらない。 明神まで、傘をさして歩き、雨足が強くなってきたので、明神館で早めの昼食とし、明神カレーの大盛りを頼む。大正解で、風雨ともに強くなる。 雨が止んだところで、上高地を目指せた。それにしても、外国人2人連れが何組も手ブラで涸沢を目指すのには閉口した。富士山の弾丸登山と同様だ。 雨は止んでいたが、ときおり突風が吹き、小梨平キャンプ場で突風で、数メートルカラタ゜を横に持っていかれた。ビジターセンターがあったので立ち寄る。 その後、折角なので、恒例で、郵便局から風景印でハガキを出す。 靴を洗うと、何と加水分解で、右かかとの靴底の半分がはずれていて、ぞっとした。 幸運に感謝し、気を取り直してもビジターセンターの渡辺幸雄写真展をみる。 バスはキャンセル多数で空いていて、横の席が空いていた。ウィスキーの水割りを楽しみつつ、ぼんやり過ごす。休憩は2回で、30分早めに梅田に着いた。 吉野家で、豚汁・たまご・おしんこのフルコースを食べ、環状線に乗る。近鉄は座れてありがたかった。 色々思い出の残る登山となったが、涸沢から北穂への登りに時間がかかり過ぎたのがショックで、3千メートルの山は卒業かと落ち込むことになった。 |