小雲取越 |
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翌朝、雨足の音で4時には目覚め、テレビをつけると、何と和歌山市近辺は、午前4時までの1時間雨量が110ミリ(実際はその半分程度だったようだが)とのニュースが流れている。私と妻の実家を心配する。 Mさんは、この大雨に躊躇するが、Iさんの大丈夫との激励に出発を決める。鮭や温泉たまご等おいしい朝食を6時にしっかり食べ、Iさんの車で、橋の袂のあずまやまで送ってもらい、小雲取越の石碑の前で記念撮影して出かける。 ネット情報によると、「小雲取越えの名は、近傍に「小雲取山」という特定の山がないこと(小雲取越えの尾根道周辺の山を指す総称として用いられることはある)、大雲取越えの場合に同じく最高地点でも1000mにはるかに満たないことなどからすると、厳しい山道であることを強調した表現、または、大雲取と対をなすことから付けられた名と考えられる。」とのことだ。また、『紀伊続風土記』の記述によれば、小雲取越えとして今日知られているルートは新道であるという。すなわち、小雲取越えの途中、如法山(610m)から東に方向を変え、番西峠(ばんぜとうげ、現在は萬才峠と書く)を越える番西道(ばんぜみち)を経て、志古に下り、熊野本宮大社まで熊野川沿いに北上するルートが本道であったという。事実、『山家集』には西行による次のような歌が収録されている。雲取や志古の山路はさておきて 小口が原のさび ![]() ![]() 今日は、桜峠までが頑張りどころとみて、その手前の桜茶屋跡の休憩所目指してゆっくり進む。民家の軒先を進み、7時頃から本格的な上りとなった。上り始めてほどなく、川と集落が見え、なごむが、合流する川の片方の濁流が昨夜の大雨を証明し、実家が心配となる。 我々は、心配したほどの雨でなく、Iさんに借りた折り畳み傘で十分だ。このぐらいだと却って、涼しくてありがたい。NHK・WTV塔分岐からは、フラットになり、ほどなく、あずまやの桜茶屋跡休憩所に着いた。展望もよく、少し雨足が強くなったので、有り難い。さすがに世界遺産なので、トイレや休憩所もよく整備されているが、山歩きという点からは、整備され過ぎと思う人も多かろう。しかし、最近、しっかりした山登りをしていない私には、ちょうど良い足慣らしだ。 ![]() ![]() 桜茶屋は、明治時代まで人が住んでいたとのことで、名の通り、桜も多かったようだ。ガスっているのが、水墨画のようで、なかなかの場所だ。ここから急な道を桜峠まで上り、そこからは、下り、フラットになって、16番の表示のところで、林道を横切り、石堂茶屋跡に着いた。ここのあずまやで一息入れ、いよいよコース中、最も展望の良い百間ぐらを目指す。 途中、昨夜の雨で道が川のようになっていたところを過ぎると、百間ぐらであった。天候が心配されたが、展望を得た。ネット情報によると、「「百間座」とも記す。雲取越えで最高の眺望点。北西方向に視界が開け、果無山脈や大塔山系の山々を遠望する。」とある。 ![]() ![]() Mさんとどのアングルで良いかと思案し、最後にMさんが少し高いところに攀じ登り、写真を撮ってくれた。小さな地蔵もあり、なかなか絵になるところだが、小スペースが前が高くなっているので、地蔵と展望をいっしょに撮るのは難しい。 ここからは、急な下り坂を進み、万才峠のある伊勢道分岐を過ぎると、松畑茶屋跡だが、ここにはあずまやはなく、道の両側がベンチになっていたが、道が水浸しなので、ベンチの上を通る。 ここから請川までは下りだが、昨日の大雲のときのような下りではない。一旦川と集落が遠くに見え、励みになる。近くに見えるようになるとすぐで、立派なトイレのある請川に下り立った。 Iさんの車がないので、電話してみると、少し向こうのバス停のところにいるのが見えた。時間をもてあまされて、今日は渡瀬温泉に入っていたという。実はIさんが温泉好きというのは初めて知った。いつも烏の行水だったのは、その後、汗をかくのをさけるためだつたらしい。 我々のためにIさんが川湯温泉に向かってくださったが、駐車場が有料なのはもったいないと、湯の峰温泉に変更となる。川湯温泉の前は、濁流で溢れんばかりであった。湯の峰の公衆浴場は名湯で、気持ちが良い。シャンプー等も持参していたのでばっちりだ。 私とMさんが入浴中にIさんは温泉卵をつくってくれていた。店によって一つ30円と50円と生卵一つの値段が極端に違う。30円でも安くはないが。それを食べつつ、浴場横の食堂で昼食をとり、帰路に着く。311号と高速道路のおかげで、湯の峰から阪和道の阪南ICまでわずか2時間であった。 Iさんには退屈な思いをさせたが、おかげで無事終える。前泊・前夜祭も含めこんな手厚いサポートをしてくださる方がいることに心から感謝する。 |