雲取山 |
【データ】
【メンバー】 |
日本百名山を完登されたI先輩から、残りできる限り同行するから、プランニングするようにとの激励を受け、昨年も三座とめっきり、ペースが落ちているので、せめて、出張ついでにというぐらいはと思い、雲取山に出かけることにする。これで今年も三座、計89座目となる。 しかし、計画を立てると、意外とアプローチも時間がかかる。そんなとき、山楽日誌のAさんの今年の記録で、奥多摩駅野宿を見て、これがあったかと思い立つ。家族は親父狩りもある時代にと心配するが、そんな駅とは思えない。 しかし、折角の三連休も付き合いゴルフや仕事で、つぶれ、出発は、日曜日の夜しかない。日曜日には急な仕事と法事をこなし、寮に帰ると、奥多摩駅最終の新幹線にぎりぎり間に合うことが判明。しかし野宿もこの時期しかできないと思い、重い腰をあげる。 エクスプレス予約のメリットを活かし、新幹線を取り直し、JR尼崎行きのバスに乗る。新幹線でも眠ろうとするが、野宿への興奮か(^^ゞ 眠れず、ビール片手に、田部重治の「山と渓谷」を再読する。徐々に山への想いが高まる。東京駅で、奥多摩駅行きの最終に立川駅でつながる中央線快速に座る。中央線の車両も私が学生の頃とは雲泥によくなったと月日を感じる。 立川からの最終の各停にも結構人が乗っている。ここまで来てもさすが東京である。青海で切り離される車両に乗っていたので、車両を移り、うとうとしようとするが、眠れない。結構きつい雨に明日の天気を心配する。 奥多摩駅行きの4両は、新型だが、下りるとき自分でボタンを押し、ドアを開けるシステムに冬の寒さを思う。奥多摩駅(右下の写真)では若者も複数降りたが、何と一人が私と同様の野宿者風だ。 目が合い、話すと確かに同じ考えで、二人で心強いと喜び合う。Aさんの記録の改札口近くの椅子は(朝気づいたがこちらは電気がさえぎられ暗い)、マラソンランナー二人が出発準備をしていた。仕方なく、その隣が、ちょうど二人寝れるスペースなので(左下の写真)、横に並んでシュラフを広げる。 ![]() ![]() 電灯に集まる虫も寄ってこず、雨で温度も快適だが、駅の明かりに加えて、駅横のトイレを借りる大型トラックが頻繁に泊まり、眠ることはむつかしかったが、横になれただけでも、また、車中泊に慣れた身には、これでも良しだ。また、雨音や秋の虫の音が今も頭に残り、野宿初体験の何とも言えない思い出となった。 相棒の方は、消防自動車で有名なM社に勤められていると言う。雲取山荘に泊まる友人の下山と合流するため、日原に向かうと言う。山頂を目指すのではなく、本当の山好きである。 不要荷物を駅のコインロッカーに預け(改札内だが自由に出入り出来た)、朝食とトイレ(駅横にあり割合きれい)を済ませ、鴨沢西行きの始発に乗る。私以外は、始発で来た人3人だ。 2人は、鷹ノ巣山や三頭山を目指すようで途中で降り、鴨沢で下りたのは、私ともう一人であった。奥多摩湖は、87名もの犠牲を出した小河内ダムでできたもので、想像していたより大きかった。途中の国道の気温は18度であった。 鴨沢は、終点の鴨沢西の二つ手前で、40分足らずで着いた。情報通り、道路の湖畔側に10台ほど置ける駐車スペースがあり、反対側にはトイレもある。降りて取り付きをと見回すと、鴨沢西方向に、道路右手に手書きの表示(左下の写真)と左側に真新しい標識があり、迷わずに済んだ。 ![]() ![]() 百メートルほど車道を登ると、さほど大きくない黄色の手書きの案内が左手にあり(右上と左下の写真)、それに従い、左折すると、急な上りで車1台がようやく通れる幅の道を進む。左はコスモスの咲く向こうに湖が見え、右には急傾斜地に家々が並ぶ(右下の写真)。何かなつかしい風景だ。奥多摩湖も見える。 ![]() ![]() 百メートルほどで道は右に大きく曲がり、ほどなく、左手に、人一人が通れる山道がある。ここには明確な標識があり、迷うこととはないが、熊出没注意の真新しい看板がある(右下の写真)。 ![]() ![]() 途中、左下に小屋を見ながら、10分強、植林帯を登ると、鴨沢と小袖を結ぶ車道林道に合流し(大きな広場があり、数十台止められるスペースがある。私有地で進入禁止の看板があるが数台止めていた。左下の写真)、標識に従い、左手に進むと、百メートルで分岐があるが、ここも標識に従い直進し、さらに百メートル進むと、左手に上がる山道が取り付きで明確な標識がある(右下の写真)。ここは路肩に数台なら止められるスペースがある。この辺りで、鴨沢バス停(標高540m)から200m強の標高差だ。 ![]() ![]() ここからは、ほど良い傾斜の道がずっと続く。こんなにほど良い傾斜の登山道はあまり記憶がない。植林もこの辺りは手入れが行き届いている。10分足らずで、植林の倒木があり、跨いだり、くぐったりして通過する。台風によるものだろうか?わずかな距離だけに、ここだけの理由が不思議だ。 さらに5分ほどで、左に大きな廃屋があった。さらに5分ほどでブロック小屋があり、崩壊地の植林を保護する鹿除けネットがあったりして、厭きずに進むと、前方で先行者の叫び声がする。その辺りに行くと何とも大きなヒキガエルが登山道を占拠していた。全く動こうとしない。写真におさめる。 美しい植林帯がガスで幻想的な道を進むと、石積みの小屋跡・井戸跡があった。そこから15分ほどには、道の左脇に水場があった。ビニールパイプなので、苔がついているが、飲むと冷たく ![]() ![]() さらに進むと、小岩が道路をふさぐようにあり、その少し先に、またもや大きな蛙が道を占拠していた。そして少しで、堂所と思われる稜線に出た。ここは、片倉谷方面に作業道が下るようにあり、コツツガかオオシラビソと思われる立派な枝振りの巨木があった(右の写真)。ここから巣箱がここかしこにかけられていた。 すぐに枯れ木にバスの時刻表がかけられていた。これは便利である。その先には右が小広くなったところを過ぎると、左に沢音を聞きながら、巨木を楽しむ。どんどん下山者がおりてくる。雨がぽろぽろきそうで雷を心配したが、何とか大丈夫であった。 ![]() 七ツ石小屋とブナ坂の巻き道でも数人休んでいたので、私も一息いれていると、山岳マラソンの人が来て、駆け上がっていった。ここから七ツ石山までと町営雲取小屋までの2箇所のみが、急登だった。 ![]() 小屋でもカップルが出発準備をしていた。昔ながらの風情のある小屋(左上の写真)で富士山の展望地だが、今日は全く見えない。ここからも急登をゆっくり登ると、まず、巻き道への分岐、そして鷹ノ巣山への道を分け、苔むした石など楽しみつつ登ると石尾根の縦走路だった。 ここから雲取山山頂まで、黄色のマルハダケブキのオンパレードである。ほとんどが枯れているが、中には見頃のものもある(右下の写真)。七ツ石神社(右上の写真)は朽ちかけているが、それがかえって風情がある。 ![]() ![]() 本来なら富士山・南アルプスの展望が素晴らしいという七ツ石山も見るものはなく、三等三角点に触れ、腹ごしらえをしてから、道を下る。ここからのマルハダケブキは、これでもかという感じで延々と続く。 ![]() ![]() ブナ坂でまき道と合流してからは、防火帯の広い道(右上の写真)で、ヘリポートまである。ヘリポート過ぎると左にキャンプ地と水場を分けると、町営奥多摩小屋(左上の写真)で、ここは素泊まり3500円とのことだ。七ツ石と同じで昔ながらの感じの小屋だ。 ネット情報に従い、ヨモギノ頭は右の巻き道で回避し、すぐに合流する。雲取山頂から下ってくると、案内表示がないので、巻き道の情報を知らないと悩むかもしれない。 ここから富田新道の分岐を越え、2つの急登をこなすと、富田新道と合流し、小雲取山の肩とのことだ。資料によると、富士山や登ってきた石尾根ルートがよく見えるとある。急登では、単独行の女性から、「展望がなく残念ですが、涼しいですね」と声をかけられたが、涼しくなくても展望がある方 ![]() ![]() ここからは、さほどの苦労なく、頂上避難小屋、すなわち山頂間近に着く。小屋手前の道にウメバチソウが一輪咲いていたのは、お疲れ様とも言われているようでうれしかった。避難小屋は美しく、一人が休んでいた。一等三角点のある雲取山山頂にも、先行者は一人だけだった。 「すぐそこに子鹿がいましたよ、見ませんでしたか」と言われたが、見かけなかった。途中、鹿の捕獲をしているとの表示があったので、複雑な気持ちになった。それにしても山頂付近もマ ![]() ![]() 山頂には、一等三角点の横に、明治16年に埋設された原三角測点もあった(左上の写真)。昼食を済ませ、写真をとってもらい、下る。 石尾根はガスも流れ、幻想的である。気持ちよくずんずん下ると、MTBをかついで登る二人に出会う。聴くと、「下りはもとより、上りも、結構乗れる道 ![]() ![]() ブナ坂(左上は七つ石山・巻き道方面、右上の写真は雲取山方面)からは、巻き道を使う。思ったより距離はあるが、やはり楽だ。ダケカンバと思われる大木もあった。鴨沢への下りは快適で、気を使わない道なので、休憩を入れても3時間はかからず、思ったより早い14時38分のバスに乗れた。乗客が多いとみたのか、2台のバスで到着したのには驚いた。バスでは、ぐっすり眠る。 電車も15時25分発のホリデー快速おくたま号に乗れラッキーだったが、駅で思わぬハプニングがあった。大事には至らず、中野駅で地下鉄に乗り換え、宿泊ホテルに向かう。思わぬ展開であった。Oさんご夫妻と極めつけの楽しい山行の後の展望のない寂しい単独行であったが、それでも山はいい。今回は、野宿の雨音と秋の虫の音、奥秩父のガスに包まれた樹林の雰囲気がいつまでも記憶に残りそうだ。 数日後、登山家の山野井さんがジョギング中、奥多摩で熊に襲われるというニュースを聞き、再三の表示は、おおげさではなかったのかとほっとする。 |