黒部川第四発電所見学

 


データ】     

2010年10月23日(土)快晴 
10月22日(金) 
8:33西ノ庄 9:07和歌山市駅発和歌山バス 9:48和歌山駅発オーシャンアロー8号 10:49新大阪駅着 11:46新大阪駅発サンダーバード17号(一富士弁当) 15:01富山駅着 ホテル専用バス・高速道利用 16:20ホテル黒部着
18:00夕食

10月23日(土) 
7:45ホテル発 電気記念館 8:37宇奈月駅発 黒部峡谷鉄道 9:54欅平 10:04エレベーター 10:23上部軌道(バッテリーカー・高熱隧道) 10:46〜53仙人ダム 11:00黒部川第四発電所 12:06インクライン 12:26作廊 バス 12:35〜50タル沢からの裏剣 13:10〜50黒部ダム 14:05トロリーバス 14:21扇沢 14:30タクシー 15:05信濃大町発あずさ26号 15:43松本駅着 15:53松本駅発しなの18号 18:01名古屋着 18:22名古屋駅発ひかり521号 19:30新大阪駅着 20:19四条畷駅着  


黒部川第四発電所・通称くろよんの見学は、黒部の太陽の映画やドラマだけでなく、前任地の所長からと父から、是非、機会があれば経験したらと言われ、是非一度はと思っていた。関電さんからN所長のおかげで、四年前からお誘いをいただいていたが、一年目は重要会議、二年目は関係会社の副社長から私と一緒にとまで、所長に言ってくださっていたのに、同じ会議で駄目、昨年は妻とのリフレッシュ旅行で駄目だった。

関西電力さんもわざわざ神戸支店から和歌山支店につないでくださり、今年ようやく念願がかなった。これもN所長のおかげである。天気が気になったが、見学日の予報はよかった。事前にスケジュールの説明までいただき、さらにメンバーを見ると、若い頃から仕事を共にしてきたMさんと一緒であり、喜ぶ。

JR和歌山駅に集合し、オーシャンアロー号ではMさんと会話が弾み、あっと言うまであった。いただいた新聞も読む間もなかった。新大阪駅も待ち時間が長かったが、喫茶店で、同行の皆さんと楽しく話す。

新大阪駅からは、JA和歌山のHさんと一緒だったが、従兄弟の夫と親しく、趣味も登山で同じで、話が弾み、富山までは早かった。

富山駅には、ホテルのバスが迎えに来ていた。駅前には立派な北陸電力の本社ビルがある。バスの中で少しうとうとし、ホテルに着く。宇奈月温泉に泊まるのは初めてだ。ホテル黒部は古いが釣バカ日誌の13作目の映画のロケにも使われたとあって、管理はよくされていた。

部屋は黒部川に面し、何と一人一部屋でとってくれていた。早速、温泉に入る。ここは黒薙温泉から引湯しているとのことだ。無色透明だが、湯量は多く、かけ流しとのことだ。少しぬるめの露天風呂も楽しんでいると、対岸をトロッコ電車が走る。露天風呂の前は、桜の古木で、花の季節は、さぞ美しいであろう。

18時からの夕食は、本陣という広間であった。Hさんが隣で楽しい一時となった。豪華で、食べきれないぐらいだった上に、吟醸酒立山も美味しく、堪能した。さらに、カラオケの二次会も皆さん上手くて盛り上がった。トイレのスリッパでカラオケに行くなど(^^ゞ、私も、すっかりいい気分であった。22時に眠りに着く。

朝から朝風呂を楽しむ。天気予報通り、空は快晴だ。朝食もたっぷりだが、しっかり食べた。荷物は最小限にということで、信濃大町駅まで宅配される。チェックアウトに向かう関電の方から、スリッパばきのままであることを教えられる(^^ゞ。昨夜から、履物間違い続きだ。二日酔いではない。

バスで、宇奈月駅前の電気記念館に向かう。ここは朝早くからオープンしていて、ガイド役の女性もスタンバイしていた。何より、ライブで黒部ダムの映像がうつされていた。快晴の下、朝の斜光が紅葉最盛期の山に当たり、今にでも、ドラえもんのどこでもドアがあれば、すぐに移動したいぐらいの景色だ。

二階で、黒部ダムまでのルート等、説明を聞き、一階で映像を見たりしているうちに、すぐに出発時間となった。我々以外の見学者にも、合流された神戸のグループに県庁の元幹部がいらして驚く。

説明で興味深かったのは、何故、黒部川が関電となったかは、戦後の九電力分割の際、当時、送電されていた地域で決まったということだ。関電は、黒部以外にも神通川や庄川、木曽川も関電となったとのことだ。それで東海支社と北陸支社があるという。

記念館の前で、写真を撮り、トロッコ列車に乗り込む。今日は何と観光バスだけで98台も来るという。天気も案内役の畑さんの話しによると、この秋一番とのことだ。我々は関電関係の社員用で、客車もいい仕様であった。多数の作業員の方が既に乗車していて、観光列車では止まらない駅にも停車する。

各車両ごとについてくれた案内の方の説明は絶妙で、我々の「畑さん」は、本当に話上手で楽しく、さらに写真スポットも事細かく、教えて下さる。
















走り出して間もなく、昨夜泊まったホテル黒部が見え、テラスから仲居さんたちがたくさん手を振って見送ってくれている。次に右手の山頂に平和の像、そして古城のような新柳河原発電所、赤い服が褪せた仏石、後曳橋では右にルートが曲がり先頭車両が写真に撮れるポイントだ。

冬期歩道は今や大町側から行けるので、あまり使われないという。出平駅で猫又の補修用のダイナマイトを積んだ列車に出合った。それにしても各駅で多数の作業員の方が降りる。中には一週間泊り込む人もいるという。

人気の黒部峡谷鉄道・トロッコ列車も土砂崩れ防止用の立山杉が成長し、展望が優れなくなっているのと、近年急速に進む楢枯れが悩みとの説明が畑さんからある。出平駅で関電専用一番列車とすれ違い、その後の駅では、早くも下り列車待ちの人も多い。出し平ダムを過ぎると、出六峰そして、ねずみ返しの岸壁と続く。トロッコ列車は鐘釣までは進行方向の右、鐘釣からは左側が渓谷に面し、わざわざ席も変わってくださった。トロッコの吹き抜けの普通車両は寒くて、添乗員の方は、マフラーをしていたが、寒さ対策のポイントだと畑さんが解説してくれる。

黒部川第二発電所と赤い橋(右上の写真)は有名な建築家山口文象氏によるものと言う。サンナビキ山は紅葉が盛りで美しかった。鐘釣温泉は、工事資材を沿線に積んでいるので、名物の露天風呂は見えなかった。

















欅平では、トイレ休憩後、ヘルメット着用となり、列車を短くして、500mほど走り、スイッチバックすると、欅平下部駅(竪坑下部駅)だ。ここから昭和16年に作られた高低差200mの竪坑エレベーター(左上の写真)に乗る。戦前に50階建てにも相当するエレベーターとはすごい。それも4.5トンも積載できる。


















欅平上部駅(竪坑上部駅)からは志合谷から前方に白馬鑓ケ岳と天狗の頭、右手には泡雪崩があった箇所の奥に鹿島槍ケ岳の南峰が見えた。それにしても畑さんがこの秋一番とおっしゃる秋空に、雪山のように見える白馬鑓ケ岳は素晴らしい。ずっと眺めていたい景色だ。

また、私は、吉村昭の「高熱隧道」を読んでいたので、泡雪崩の話も興味深く聞く。これは、四階建ての宿舎の木造部分の三階と四階が吹っ飛ばされ、何十人も亡くなったのに、とんでもない距離を飛ばされていたので、二ヶ月も分からなかったというすさまじい話なので、記憶に残っている。ここからは、黒部川第三発電所建設のために作られた高熱隧道の6.5kmだ。ここは、阿曽原温泉から仙人谷までが昭和15年に165度にもなり、工事に難関を極めた高熱隧道区間がある。

















燃料に引火しないよう、蓄熱式のバッテリーカーで一両に10人しか乗れないが、客車も耐熱のために超高価とのことだ。高熱地帯も今は低く、今月に入りさらに低いというが、それでもドアを開けてくれたが外気は温かい。硫黄の匂いと窓が曇る。

ここの工事は、黒部川の水で冷やし、20分で交替し、一時間は休んだという。それでも作業員は激やせしたそうだ。ダイナマイトの自然発火による8人もの死者も出ている。畑さんの話だと、黒部の太陽の破砕帯の話と間違う人も多いというが、第四では170人、第三では300人もの、尊い命が亡くなり、国策のすさまじさを思う。特に断崖の日電歩道の古いフィルムや泡雪崩、高熱隧道のことを思うと、人間が自然に向かう力と思いに考えさせられることは多い。

















仙人谷ダム(右上の写真))では、紅葉と雲切谷の三段の滝(左上の写真)を望む。逆光だが、本当に美しい。再度、バッテリカーに乗ると10分もかからずに、地下式の「くろよん」に着いた。到着手前には2002年の紅白歌合戦で中島みゆきが歌った場所があった。黒部川第四発電所は建設後年月は経っているが、美しい施設であった。入ってすぐに右手に大田垣社長のプレートがある。

発電所の概要説明と破砕帯の苦労等を描いた建設ビデオを見た後、施設見学をしたが、発電施設の上部とタービンの回っているところを見学した。保安要員を含めて、全く常駐者はいないと聞き、びっくりした。国立公園の中なので地下として、自由なレイアウトも可能にしたとのことだが、時代からすると、土木技術の高さに恐れ入る。























ところで、中島みゆきは、氷点下2度で歌った後、扇沢の雪崩の危険を避け、仙人谷の関電宿舎での宿泊を薦められたが、1km、15分歩くのを嫌がり、発電所内の応接室のソファで眠ったそうだ。今は「みゆき部屋」の「みゆきベット」と呼ばれているとのことで、昼食後、中島みゆきファンの私は、そのソファで、記念撮影する(^^ゞ

ここからは、インクライン(右上の写真)という標高差456m、斜長815m、斜度34度(白馬のジャンプ台並み)で25トンの積載量もあるという乗り物に乗った。この急さにはびっくりした。人間はすごいものをつくるものだと。特別に対向車が来たとき、前方ドアを開けてくれたので、写真を撮ることができた。その後は、NHK紅白の中島みゆきのビデオを流してくれた。いろいろ気をつかっていただいていた。












































作廊からは、専用バスで、約10kmを黒部ダムに向かう。途中、タル沢で下車し、少し歩き、裏剣を見学する。一番楽しみにしていた景観で、紅葉と共に本当に美しく、一時間は見ていたい景色であった。これを見ると、何としても仙人池に行き裏剣を見て、ヒュッテの志鷹お母さんにもお会いしてみたいものだと思う。

バスで黒部ダムに着くと、トロリーバスの道を少し歩き、黒部ダム駅に着く。220段の長い階段を頑張ると、ダム展望台があった。途中に、湧き水があったが、冷たくはなかった。

















ダムからは、雄山や大汝山やダム湖の向こうに赤牛岳も見えたが、その方角の空は曇り、逆光でもあり、電気記念館で見た朝のライブとは違っていた。しかし、白馬岳方面は見事に晴れ、案内の畑さんも、ここまでこの時間に見える日はないと言う(上の右の写真の真ん中奥)。畑さんの話で面白かったのは、ダムは富山県だが、長野県と勘違いしている人は多いが、コンクリートの土砂も大町側から運ばれ、ほとんどが関電トンネルを通じての長野側の資材なので仕方ないかという点だ。

















折角なので、Mさんとダムの真ん中まで歩き、日電歩道の橋を確認する。是非、近いうちに水平歩道と日電歩道を歩いてみたくなった。お薦めの山葡萄ソフトクリームを買って、トロリーバスに乗り込む。




















破砕帯は、わずか80m、それに7カ月を要した。それでも突破できなかったら、ダムは完成していない。表示が明確にされていて、よく分かった。

扇沢の紅葉も美しく、大町に出てからも後立山連峰の山々も堪能できた。大町から松本までは、同行のMさん、名古屋までは関電のOさん、新大阪までは関電のSさんと親しく話し、楽しい旅となった。また、天候にも恵まれ、自然の素晴らしさへの敬意わ新たにすると共に、人間と自然との共生のあり方を考えさせられる記憶に強烈に残る素晴らしい旅であった。隅々まで気を使っていただいた関電さんに心から感謝したい。 

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