丸山(奥武蔵)

 


データ】     

2月6日(土)曇り時々晴れ 歩行時間4時間25分(上り:2時間45分、下り1時間40分)
7:31後楽園 8:45西武池袋線池袋駅 8:05長瀞行き快速急行 9:33芦ヶ久保駅 
9:52スタート <25分> 10:20合流 <50分> 11:10鹿よけネット <20分> 11:30日向山・丸山下部ルート分岐 <35分> 12:05舗装道 <5分> 12:10学習展示館分岐 <10分> 12:20あずまや <30分> 12:50〜13:55丸山山頂 <45分> 14:40日向山ルート上部分岐 <25分> 15:05日向山・丸山下部ルート分岐 <30分> 15:35道の駅
あしがくぼ氷柱見学
16:33特急ちちぶ 17:46西武池袋駅 17:53地下鉄池袋駅 18:03後楽園駅

メンバー
    K夫妻
   


年末に登山家谷口ケイさんが亡くなった。私が山を始めるきっかけをつくってくださった会社上司のご令嬢である。NHKのBS番組等にも出演され陰ながら応援していた。後輩にも非常に慕われていたと言う。御両親のお人柄を引き継がれたのであろう。一流のクライマーであるだけにお父様もかねてから「覚悟」を口にされることもあったが、余りに残念な出来事だった。心からご冥福をお祈りしたい。
その訃報に続き、今年は、悲しい出来事から、年が明けた。公使ともに敬愛して山仲間であったH氏が元旦に亡くなった。戸隠のタンネ等思い出は多く、3日の通夜では、既知の奥様にお会いし、涙が止まらなかった。早過ぎるご逝去だ。通夜会場には山の写真が飾られていた。

そんな中、年始に中国出張があり、元気をもらった。中国は4年前の西安に続き、2度目で、広州と無錫に行ってきた。片側4車線もある高速道路や何十棟も立ち並ぶ高層マンション街の点在には驚くばかりだ。広州は中国第四の都市とのことだが、街並みは東京に負けておらず、治安も良い。一方、工場で働く人たちの住居地を案内してもらうと、市場や住まい、懐かしい風景が広がる。日本も同じと言えば同じだか。今回は、中国人の人達と過ごす時間が長く、色々な話題から生活も垣間見え、非常に有益だった。上海の浦東空港から関空までのフライトは、1時間40分。確かに隣国である。

その後、文楽やクラシックを楽しんだ。文楽は人間国宝・嶋大夫さんの引退公演、クラシックもコバケンの十八番のチャイコフスキー「悲愴」、読響と辻井氏のピアノでベートベーンのピアノ協奏曲を聴けたのは良かった。辻井氏は、テレビで何回か見ていたが、席が良く、手元がよく見えたので、どうやって入るのかもよく分かった。それにしても彼のピアノの音色は優しく聞こえる。

後、良かったのは、念願の「田宮模型本社」を見学できたこと。中学生ごろまで、ミリタリーミニチュアシリーズに凝っていて、その趣味を家内は知らず、驚いていた。それにしても当たり前だが、展示物は出来栄えが良かった。

山に関することでは、九州出張の際、機内から見た景色が出色だった。行きは、ほぼ聖岳の上部を飛んだので、南アルプスの北部を間近に見た。特に仙丈カールの雪の多さと甲斐駒の雪をもつけない黒い岩が印象に残った。
圧巻は帰路。北九州を飛び立った飛行機は、30分もしないうちに、明石海峡大橋、神戸空港の上空、そして我が家や平城京、若草山が見えたかと思うと、10分ほどで冨士山が見え出した。この日は最高の天気で、御嶽・乗鞍の向こうに北アルプス、中央アルプス、南アルプスが見え、家内と泊っても見えなかった日本平からの秀麗な冨士山、そして西伊豆からの冨士山、そして房総半島から冨士山と南アルプス、最後、着陸間近には、左手に横浜ランドマークタワーとベイブリッジ、そしてその右に冨士山と南アルプス、羽田空港近くからも北岳等白峰三山が見えるのを発見したことは特に嬉しかった。カメラを持たない時ほどこういうものだが、その分、目に焼きついた気がする。深田久弥もカメラを持たなかったとか・・・

肝心の今年最初の山はK君からお誘いがあったので、考えた末、パスを使わないで駅から行ける山、西武池袋線芦ヶ久保駅から丸山のコースを選んだ。標高は1000mに満たない。標高差・歩行時間も手ごろと言うことで、K夫人も参加した。

K夫妻に甘えて、鍋セットを用意してもらった。K君は自慢の日本酒も持参してくれるという。このパターンはIさんはじめ関西で楽しんだ宴会登山だ。K夫妻と無事に合流して予定の電車に乗り込む。皆、座れてほっとする。登山姿の者も多い。電車内で気づいて悩んだのは、K夫妻が軽アイゼンを持ってこなかったことだ。白馬の時、私より良い軽アイゼンを買ったのを知っていたので、てっきり持ってくると思いこんだのが悪かった。おまけにK君からの必要なものの問い合わせの前日のメールにも気づいていなかった。電車内で経験済みのもっと標高の低いコースに変更しようかとも思ったが、地図も持っていない。危険だったら途中リタイアして鍋パーティーにしようと決め、腹をくくる。案の定、芦ヶ久保に近づくに連れ、どんどん雪が多くなり、北斜面と南斜面では大きく違う。K夫妻も驚いていた。

降り立った芦ヶ久保は、氷柱で有名で観光客も多いようだ。駅のトイレも素晴らしくきれいだった。日向山は、南斜面なので、雪次第では、日向山の周回とすることとした。駅にあったマップや豊富な観光マップを頼りに、風の道コースを進むと、源寿院別院の大観音に出会う。武甲山を背景に見ごたえがある。

















この先で、間違って右手の階段を上ってしまい、雪道を進むと、農村公園への舗装道に出合い、立派なあずまやがあった(右上のようなオープンガーデンもあった)。結局、別のルートに戻ったことになる。その先に、ネット情報にあった美味しい蕎麦屋があった。そして先に進むと、左手に入る山道があり、ローラースライダーのところに出た。その脇を登ると、再び、舗装道に出て、結局、日向山でなく、丸山に向かうルートに出た(案内表示は豊富)。この道からの武甲山(右下の写真)や山里の集落の風景は素晴らしく、丸山までの道が雪深いなら、日向山への周回と考えた。

















山道に入り、鹿よけネットをくぐると、徐々に雪がでて、丸山との分岐となった。行けるところまでと考え、進むと、二回目の日向山への道と出合った。この先で下山者、二人に聞くと、アイゼンなしでも登れないことはないようだ。そうであるなら、私のアイゼンをK夫人に貸せばよいと考え進む。私の今日の靴は、山をはじめてすぐに買った「TREZETA」の革靴。数回張り替えてくたびれているが、捨てる気にはなれず、時々、現役に戻る。今日は、雪山で靴が喜んでいるように思える。



































雪は深くなり、山頂への到着時間が気になり出す。再度、舗装道に出合うと、道は凍っていた。 この辺りまでは、さほどきつくなく、久しぶりの雪道を楽しんだ。あずまやがあり、その前にある地図では、丸山まですぐのようだが、実際は一旦下り、上り返すし、トンネルの上が工事中なので、迂回路で時間がかかり、苦労した。





















山頂の展望台からは、両神山がうっすらと見えたが、八ヶ岳や反対の赤城山などは見えず。そこそこに鍋パーティーとした。K夫妻が準備してくれた、イオンの「博多水炊き」「塩ちゃんこ鍋」は美味しく、セブンイレブンのかきあげうどんも美味い。そして何より、K君持参の新潟近藤酒造の「菅名岳」が最高だ。粉雪がちらつき人も去り、静かな雪山だ。まさに至福の時、山の時間である。K夫妻にすっかりお世話になってしまった。

帰路は、K夫人もアイゼンで安心し、快調に下山できた。同じ道を戻り、折角なので、あしがくぼの氷柱を楽しむ。人工だがよくできていて、200円の協力金で、甘酒までふるまわれた。おまけにコスプレ撮影までしていた。そして、1時間に1本の特急「ちちぶ」に運よく乗り、最高に楽しい山行を終えた。



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