来週とさ来週は、久しぶりの遠征で帰宅できないので、せめて今週ぐらいゆっくりとも思ったが、来週は南アルプステント泊である。1月近く歩いていないことの不安から足慣らしの必要を感じ、前夜重い腰を上げ、寮に戻る。しかし、京都までの昼特切符を買っていなかったらひよっていたかもしれない。
朝も目覚ましでようやく起きる始末である。寮の前からのバスはJR尼崎駅に早く着いたので、駅前のローソンで、稲荷寿司を買え、ほっとする。稲荷寿司は私の山行にはなくてはならないものになっている。
湖西レジャー号と名づけられた新快速もラッキーなことに大阪で座れた。先日から読み始めたハードカバーの壬生義士伝はいい時間つぶしだ。山行にハードカバーの本もどうかと思うが、今回は鍛えるためなので、 荷物が重い方がいいのだ。
堅田駅は何と臨時バスまで出て満席だ。平まで直通だという。国道の温度計は早28度。辛い山登りとなりそうだ。結局、平で降りた人は一人。葛川(くずではなくかつらと読む)中村で降りたのも私だけで皆坊村に行く。ロープーウェイがなくなり、武奈ケ岳は皆坊村から上るのだ(後で出会った人の話によると出町柳からのバスも2台出たそうだ)。
葛川中村と葛川小学校のバス停の位置関係が分からなく、運転手の小学校は止まらないとの話にとまどったが、新道が中村、旧道が小学校のバス停で、小学校のバス停を止まらない理由が下車して初めて分かった。二つのバス停間の距離は100mもない。
橋を渡るとすぐ葛川小学校・中学校だ。山村留学募集という大きなのぼりがかかっていた。橋を渡ると二股で、正解は右の道だ。ガイドブックにより伊賀谷、江賀谷(えが)2つの表記があるが、現地には江賀谷と書いてあった。
大きな通行止の看板があったが、行き止まりの方が正しい。江賀谷の水流は多い。7月に入ってからの雨のせいだろう。
よく手入れされた杉の植林の道を行く。所々舗装もされている。途中、カラスアゲハが飛んでいた。黒とエメラルドグリーンの微妙な色合いが何ともいえない。

峰床山へは車で来る可能性もあったので、この林道沿いに駐車場所があるのか気になっていたが、結論は、小学校から徒歩で数分のところに数台と行き止まり手前に1台、行き止まりは、他人の迷惑を考えないなら、1・2台しかなかった。止めていたのは、最初に2台、終点手前に1台であった。
林道終点は、直進の道と右に木橋があるが、推薦ルートは右の橋だ。ここには大岩がぁって、その岩に木が生えている。よく風で倒されないものだと思う。
ここで一度抜いた2人連れに抜かれるが、途中抜き返した後、出会うことはなかった。木橋や小さな渡渉を繰り返す。30分弱で、注意しないと、右の沢を渡渉しようになるが、ここで沢と分かれるのが正解だ。
10分ほどで水場となり、エンビ管から流れ出る水は冷たく、水量豊富だ。本当に美味かった。
中村乗越には、「八丁平は90ha、高層湿原は5ha。冷温帯林の二次林(クリやミズナラ)で形成されている」との解説があった。鹿の害がひどいのか、この先、保護の金網が木に施されていた。ガイドブックには、周囲が八 丁あるのでその名がついた。また、別の説では「飛び離れた所」を意味するとある。
下ると八丁平の周回路で、ベンチもあったが、大きく「マムシに注意」の標識がありぎくりとなる。この先も同様の標識がいくつかあった。
右手に六尺道を進む。情報通り歩きやすい道だ。鯖街道でもあったようだ。道幅が六尺(1.8m)あるのでその名がついたとガイドブックに書かれている。戦国時代、越前の朝倉軍に負けた織田信長が、秀吉・家康とともに京に逃げ帰った道だそうだ。自然林を楽しみつつ、進むとオグロ坂手前に、水場がありコップがおいてあった。飲むと非常に甘露だが、冷たくはない。先の水場の方が美味い。
オグロ坂にはカメラマンがいた。ここには祠もある。標識に従い、左折し、自然林の気持ちの良い道を進む。前から大悲口から来たという男性に出会う。初めて人に会ったと言っていた。
山頂は丸く小笹が残された小広場で、トンボが乱舞していた。二等三角点もある。古いベンチもあるが、暑いので、写真を撮り、直接下る。階段もある整備された道で、女性2人連れと男性が上がってきた。
周回路に出会うと、そこは湿原そのものでベンチはあるが、水浸しであった。ここから木道も轢かれているが、それ以外は湿原らしさはない。
その先、最初の分岐はどちらが悩むが、正解は左。ここからは湿原全体を見渡せる場所とのことだが、やはり湿原らしさはない。
周回路に出ると左が正解で中村方面の指示標識に従うと、約100mで中村乗越の分岐 に出た。ようやく昼食だ。何より先ずはビール。今日は発泡酒でなく正真正銘のビールである。それも500ml 。ぎんぎんに冷やしてきた。これが美味かった。稲荷寿司と冷麺との絶妙なコンビ。夏はこれに限る。
一息つくと、オグロ峠から単独行者がやってきた。坊村から鎌倉山を登って来たという。暑くて峰床山はパスしたそうだ。滋賀の方でいろいろ教わる。私も鎌倉山経由で坊村に下りることも考えていたが、ビールを飲むとその気持ちも消えた。また、壬生義士伝を持っていて時間つぶしできるのが逃げの理由となった。
帰りも水場で一息つき、ゆっくり下る。それでも相当早く着いた。ヒッチハイクをしても車は止まってくれるわけでない。浅田次郎の世界に浸るだけだ。
そのうち、単独行者が下りてきて、ヒルが3匹もついていて、すんでのところだったという。私は大丈夫と思っていたが、寮に帰ると足に出血の跡があった。
そのうち法螺貝の音が聞こえたかと思うと、たくさんの白装束の行者が歩いてきた。小雨の落ちそうな中、タイムスリップしたような気持ちになる。
帰りも臨時バスも出ていたので、座れた。京都行きの電車には、祇園祭見物か浴衣姿の人も多かった。JR尼崎では、バスが出たばかりで、頑張って寮まで歩く。風呂上りの発泡酒は、殊のほか美味かった。
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