年度計画では、昨年の白馬の快晴にあやかり、梅雨明け後の雲の平散策堪能を狙っていたが、金陽会のI氏は転勤、K氏は組合行事で仲間は揃わず、更に肝心の梅雨が明けず、中止とした。しかし、折角の連休をただ無為に過ごしたくなく、急遽、目的をピークハントに替え、妙高山、火打山、立山、剣岳を4日で登るという今思えば無茶な計画を立て、M氏と実行することとした。宿泊も会社の池ノ平山荘に急遽泊めてもらうことにして、以後は天気次第に。
更に最初は、妙高か火打か迷ったが、駐車場の狭い妙高を先にとした。2人の徹夜運転は、いつもながらきつく、1時間交替で走ったが、予定より早く燕温泉の登山口に着き、仮眠した。天候は予想より悪く、久しぶりにゴアテックスのレインウエアを着て出発した。それにしても朝早くから、老若男女を問わず、黄金の湯や河原の湯に足を運ぶ人の多さにびっくりした。一方、登山者はほとんどいない。
いつもながら、徹夜の山行で体は重い。更にこの時期のレインウエア着用はきつい。剣山で同時期経験済みだが、いくらゴアといえ、快適な物ではない。そんなことを思いながら、歩いていると、麻平を過ぎ、少し行くと残雪が前方に見える。こんな低いところに。やはり北に位置することを知る。黄金清水の水はうまかったが、先の遠さが思いやられる。
更に勉強不足で目の前に見えている台形の山が目指す妙高だとも分かっていず、余計遠く感じる。雨の中、ひたすら歩いていると、多数の人に出会う。妙高を登らず、黒沢池から直接来た人の多いのにも意欲をそがれる。こんな日に頂上を目指す方がおかしいのか?しかし、雨に打たれ、緑は美しい。特に大倉池や長助池のワタスゲはきれいだった。
しかし、長助池を過ぎるととんだハプニングが。何と中高年の2人のうち、一人が歩けないで倒れている。聞くと、極度の疲労。それにしても連絡するにも遠い。ましてや我々の力では救助もできない。思案したあげく、私が黒沢池ヒュッテに連絡しに行くことにし、M氏は頂上を目指してもらう。しかし、私自身も徹夜で体力不足。果たして、連絡後、妙高に登る体力があるのか。そして登れても遅くなり、池ノ平山荘の管理人に心配をかけないか等、募る不安を胸に急ぐ。
雪渓を横切り、クルマユリに慰めながら、急ぐ。すると、何百メートルか前に数人が歩いている。大声を出し気づいてくれるが、意図が伝わらない。待ってくれず、追いつくしかない。しかし、きつい登り。神に見放された感じだ。ようやく乗越に着くと、先の人達が休憩していた。事情を話し、携帯電話で連絡してくれるが、つながらない。黒沢池ヒュッテに向かうというので、甘えて連絡係りを引き継いでもらうこととする。往復2時間近くのロスタイム、長助池と妙高山の展望に少し心が救われるが果たしてもM氏に追いつけるのか。雪渓までようやくたどり着き、おにぎりを急ぎ腹に詰め込む。再び登り始めると前を2羽の小鳥が先導してくれる。
きつい坂を登り始めると、休憩していた人がM氏の伝言を伝えてくれる。約30分の差はありそうだ。それにしてもきつい。振り返ると火打方面のガスが晴れそうで晴れない。せめて見えれば励みになるのに。喘ぎながら登ると、はくさんしゃくなげが。初めて見るが清楚な色合いで心が和む。それにしてもいつもM氏に会えるのか。山頂まで後どれくらいか頭の中はそれだけだ。限界に近づいた頃、松村氏が待っていてくれた。頂上は近いという。しかし、風雨は強い。頂上手前に、洞窟があり、奉られている。頂上からの展望はなく、風雨が強いため、早々に下山する。
唯一、テガタチドリの花の多さが印象に残った。下山路は、様相が全く異なり、荒々しい岩肌が露出し、鎖場もある急な下りだ。この登りは大変だなと思っているところに、夫婦で登って来られた方がいる。風に煽られながら、また、雨でぐちゃぐちゃになり、滑りやすい道に苦労しながら、下りる。それにしても長い道のりだ。途中、雨も上がり、野尻湖が見えてからも遠かった。称名の滝・光明の滝を越え、赤倉温泉の源泉を越えてからも長い。折角泥落としのための水とブラシまで用意されているのに、最後ではなかった。下山時刻が遅くなり、黄金の湯にも入らず、燕温泉で少し遅れる旨の連絡を山荘に入れる。
それにしても長くうんざりする一日であったが、山荘は貸し切り状態で、心尽くしの料理(すき焼き、しまあじとまぐろのさしみ、しまあじのあら汁、カニ、たまねぎスライス)と温泉そしてビールにより、完全に生き返った感じがした。苦労した分、ビールは殊の外旨かった。
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