鍋割山・塔ノ岳 |
【データ】
【メンバー】 |
木曽駒ケ岳から帰ってからの出来事で印象に残ったことを順に記すと、 先ずは、文京シビックホールの小林研一郎(コバケン)指揮のチャイコフスキー第2弾。ピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番共に良く、第5番は、例によって、タクトを振らずに聴衆を指すシーンには、家内も「指揮は何でもあり?」と笑っていた。東京芸大でどのように教えられていたか聴講してみたかった(^^)v 秋田の角館旅行も良かった。行の飛行機から冠雪した鳥海山が見れ、田沢湖は晴れ、秋田駒ケ岳が美しく、乳頭温泉「鶴の湯」も紅葉の盛りであった(右下は乳頭温泉近くからの秋田駒ケ岳)ただ、ここでも外国人の多さに驚く。角館の武家屋敷は、まだ、少し紅葉に早かったが、風情たっぷりだった。樺細工を土産とする。 ![]() ![]() また、姪がはじめて出演した新国立劇場の「血の婚礼」もこの手の演劇ははじめてなので、強く記憶に残った。役者は個性だとも思った。若い卵に期待したい。 京都国立博物館の琳派展、俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一の三枚の「風神雷神図」のそろい踏みは見てよかったと同時に俵屋宗達の凄さにオリジナルの持つ感性を知った。その違いは、国宝・重文・何もないの違いでなく、誰でも分かろう。並べてこそ素人にも分かる違いに感激した。しかし酒井抱一の「夏秋草図屏風」(重文)も負けていないだけに、展示替でなかったのは残念。信行寺の伊藤若冲も、もう二度と見れないかもしれないということで出かけたが、天井画なので暗くて観にくかったのが残念。 ![]() 国立文楽劇場での錦秋公演「碁太平記白石噺」「桜鍔恨鮫鞘」「玉藻前曦袂」。特に玉藻前の桐竹勘十郎の熱演は素晴らしかった。文楽は後で感動がじわっとくると家内は言う。ただ、一日中いて、私も家内も腰痛となった。 奈良国立博物館の「正倉院展」は初めてで、NHKの日曜美術館の事前勉強で良さがようやく理解できた。 そして4年振りの米国出張。時差ボケには困ったが、やはりスケールの違う国だった(左下はシカゴ)。今回は、行き帰りで、敬愛する植村直巳氏が亡くなった「マッキンレー」が見えないかチャレンジしたが、行きは、新月且つコースが離れすぎ、帰りはコースは良かったが、寸前で雲で見えず、合掌のみする。ただ、JALのCAは親切で、行きは「オーロラ」を教えて下さり、帰りは、ぎりぎり見えるかもということで非常口の窓まで案内してくれた。オーロラは新月だからこそ見えるとのことで、目を凝らすと雲のような帯が続き、緑色をしていた。 アラスカの大地を見ていると、地球の大きさと白い大地にも人が住むことの愛おしさに感激する。この景色を見てのお酒は、人生でも最高に幸せのときだ。 ![]() ![]() そして時差ボケにもめげず帰国後、大阪のシンフォニーホールで、読売日本交響楽団のシベリウス交響曲第2番とピアノ協奏曲第2番等を聴く。「フィンランディア」を含め、満足する演奏だった。指揮者がフィンランドということもあるかもしれない。来年からはフェスティバルホールになるそうだ。 そして唐招提寺の御影堂が改修で、例年の6月の命日意外に特別に公開されるとのことで、あこがれの鑑真和尚坐像と東山魁夷の襖絵を見た。坐像は少し距離があるので気をもらう感じだったが、東山魁夷はさすがで、家内と長女と見入ってしまった。新宝蔵 唐招提寺のトルソーと呼ばれる「如来形立像」は、光の関係か期待ほどの感激はなかったが「行基上人坐像」は良かった。 ということで、文字通り「芸術の秋」を満喫しての仕上げともいうべき山行となった。 どこにするか悩んだ上に、寒くなって鍋焼きうどんと冠雪した富士山が見たいと思い、丹沢の「鍋割山」と「塔ノ岳」を目指すこととした。鍋割山の2009年の記録を見ると、大倉を8時にはスタートして、うどんの混む12時までには山頂をということで計画を立てた。 寮を出ると星空。天気は良いようだ。春日から新宿西口までは大江戸線で近く、予定より早い小田急に乗れた。前回と同じくバスも乗れるフリーパスを買った。電車内は登山姿の人も多い。登戸駅で朝日が出て、渋沢に近づくと真っ白な富士山が大きく見えた。 渋沢駅でバス停に急ぐと、発車間近の超満員のバスに飛び乗る。臨時も出ているようだが、この季節、さすが人気の丹沢だ。外人も多く驚いていた。 登山口の大倉に10分少しで着き、西山林道に向かう。快晴で気持ちが良い。道標がしっかりしているので迷うことはない。山道に入り、鹿避けネットを過ぎ、植林の中を左に回り込むように進むと西山林道に出て、丹沢大山国定公園の大きな碑がある。 ![]() ![]() ここから長い林道歩きも足慣らしと思い、てくてく歩く。一人だと考えることもないので、何人に抜かれ、何人追い抜くかなどと言うたわいもない確認をしながら歩く。若い人・特に女性が多いのには驚く。途中、目指す稜線がきれいに見えた。県民の森に駐車場でもあるのか、大勢の若い団体が歩いてきた。 今回も黒竜の滝には寄らず。胸像を過ぎてほどなく、旧登山訓練所・二俣を紅葉の美しい川沿いの場所で休む。今年最後の山の紅葉、青空の下でのんびり楽しむ。結局、9人に抜かれ、28人抜いたが、早かったのはここまで(^^)v ![]() ![]() 本沢を過ぎ、山小屋用のペットボトルがたくさん置かれた箇所では、若い人たちがそれぞれリュックに詰めていた。私には、その気力はない。 ここからは急登。後沢乗越に向けて九十九折の道を頑張る(右上は乗越手前)。若い人の団体が多く、負けずに頑張るしかない。後沢乗越からも、ひいひい言いたくなる急登だ。紅葉に慰められつつも(左下の写真)休み休み進む。ひたすら、鍋焼きうどんのことを考えつつ。標識Fの辺りで海や標識Gの辺りで富士山が見え出すとようやく元気が出た。 ![]() ![]() 標識Hの辺りでなだらかとなり、山頂手前の富士山のよく見える所で、うどんが気になりつつも休んだ。正解で、山頂は、とんでもない人で、ここでゆっくりして良かった。南アルプスもくっきり見え(左下の写真)、富士山は浮かび上がるようだ。今までに見た富士山で一番はっきり見えたかもしれない。 ![]() ![]() 山頂の鍋焼きうどんは、常に30分から40分待ち。一度に5つ以上作っているが、ひっきりない。山荘主の草野さんもしっかり働いておられた。スタッフも5人ぐらいいて大忙しだ。 私は、結局30分待ちと言われて20分強でできた。忙しくても前回と変わらない具だ。ただ、しいたけとかぼちゃの天ぷらが少し小さかったか(^^)vこれで二つの目的を達成。山頂には、二百人ぐらいいたろうか。小さな子供も多いのに驚く。どのルートで登ったのだろう。 ![]() ![]() 温まると元気が出て、写真を撮った後、大倉尾根を目指す。ぶな林が美しく整備された道が続く。塔ノ岳の尊仏山荘がよく見えた。前回の小丸を過ぎ、何とか大倉尾根に合流。疲れているが地図で確認すると塔ノ岳は往復30分。日没までには間に合うので、あえぎながら整備された木道の階段を上る。 ![]() ![]() 山頂は遅い時間でもにぎわっていた。大山の左に横浜ランドマークタワー、新宿の高層ビルも見えた。拘留孫仏の石祠があり(上の写真)、教養のある若いお父さんが息子に説明しているのを聞き、勉強させてもらった(^^)v 大倉尾根を下るのは二度目。意外と足元の悪いところもあり、さほどスピードは出ず、また、完全に疲れていて、木曽駒のときのようにはいかない。どんどん抜かされつつも、植樹もみじや堀山の家の手作りリング(右上の写真)などを楽しみ、また、小屋で売られているビールやおしるこの値段の変化を確認したりして、のんびり下る。道は堀山の家辺りからは、気楽に下れたように思う。 途中、歩荷にも複数出会い、この上りの歩荷の凄さに敬服した。車道近くなっても石畳の道は滑りそうで、スピードはほどほどとした。窯元まであったのには驚き、車道の自販機で甘いジュースを飲みほっとする。16時のチャイムが聞こえた。時間を確認された女性は大倉尾根を往復したという。私はどうもこの尾根を登る気にはなれない(^^)v 結局、大倉から鍋割山7q、塔ノ岳まで3q、大倉まで7q、計17q。大倉と塔ノ岳との標高差が1200m、アップダウン100mを加えるとも標高差は1300と推定。珍しくふくらはぎまで痛くなり、木曜日までこたえた。しかし、うどんと富士山に大満足の山行だった。 大倉登山口で靴を洗い、バスは一本過ごして座って渋沢駅に向かう。何とか小田急も吸われたので、帰りはのんびり読書を楽しむ。読んだ本は、もういちど読む山川の歴史シリーズでかしこくなった(^^)v |