奈良ばい谷戸 |
【データ】
【メンバー】 |
先週は、毎日、コロナ対策で片道は1時間強の徒歩通勤をしたため、一日の歩数は、1万歩を超えた。土曜日は、かかりつけ医で高血圧の薬等をもらった後、ぼんやり過ごすとお酒に走ると思い、NHKの旅ランで取り上げられ気になっていた多摩丘陵の「奈良ばい谷戸」に行くことにした。新宿から京王線でも小田急線でもそれほど遠くなく、小石川の住まいから、1時間ほどだ。大江戸線・京王線と乗り継ぎ、調布駅で橋本行きに乗り換え、13時前に京王多摩センター駅に着いた。 奈良ばい谷戸ハイキングコース図 第一印象は立派な街だ。ここから、日大三高行きのバスに乗るため、11番バス停に向かう。急行は目的の「扇橋」に止まらないため、二台スキップし、13分発に乗った。急行の運転手に日大三高から戻るとどれぐらいか聞くと遠いというので待った。乗客は5人で密ではない。いかにも多摩ニュータウンという街を通り、扇橋バス停に近づくと、景色は一変した。 バス停で降り、方向を手持ちの地図で確かめてから、小山田緑地を目指す。一人のハイカーが追越していった。10分ほどで、小山田緑地の入口についた。ビジターセンターがあったが、スキップする。舗装道を登っていくと、左手に運動広場が有り、その先に、晴れていれば富士山の見える広場があった。残念ながら、この日は見えなかったが、実に気持ちの良い場所だ。ベンチだけでなく、木陰にシートをひき、夫婦が昼寝をしていた気持ちが分かる。 ![]() ![]() ![]() ![]() 展望案内図で、何が見えるか確認して、先を下ると野球場を回るようにして、谷への道に続く。野球場は小学生が練習試合をし、谷では熱心に、ザリガニ取りをしていたが、取れないようだった。 ![]() ![]() シャガが満開の池の中の木製の遊歩道を通り、駐車場に出ると、扇橋バス停のある通りに出て、ここから核心地の「奈良ばい谷戸」に繋がる道に出た。奈良ばい谷戸は期待通りで、ウグイかとカエルが鳴き、ザ・里山である。癒される。最高の気分でのんびり歩く。フジの花が咲いていた。 ![]() 小屋の先、見晴らし広場までは、風景を楽しみつつ歩けた。貸し農園が広がり、ビニール畝の畑も広がっていた。 しかし、その先で間違って、前から来た方の勧めるまま、小野路バス停に行ってしまったので、案内図の荻生田牧場や六地蔵を見逃した上、バス道に出てから右往左往して、50分近くも道草をくった。 ただし、小野路宿里山交流館の立派な白と藤色の藤鉢や小野神社の参詣はできた。旧小野路宿は、昔の町並みを取り戻すため、電柱の地中化や各戸の塀の板化、水路の整備等を勧めていた。 ![]() ![]() 案内図を入念に調べて、青木不動産やアパートの目印を頼りに、右折し、上り道を進み、地蔵祠やその下の谷戸は見ることができた。 ![]() ただ、先のバラ農園は、再び迷い込み、10分ほどロスした。この先は竹林や雑木林で切通のような感じの道だった。陶芸教室前から、無事に一本杉公園に入る。折角なので二つの古民家を見学した。また、先の石の庭が見事だった。球場では中学生が練習していた。ここからも駅まではさほどではないので歩いた。 段々、多摩ニュータウンらしくなり、立派な多摩中央公園に入る。この公園も立派で温室では、ラン展がやっていたので見物した。その先は駅に続く整備された立体の道で、商店が並び、サンリオピューロランドも見えた。立体の道では大道芸もやっていた。 ![]() ![]() 帰りは小田急に乗り、代々木上原から千代田線・丸ノ内線を乗り継ぎ、銀座のシャンテ日比谷の神田グリルで夕食をした。二万歩以上の運動と実に気持ちの良い道に大満足した。翌日から緊急事態宣言でシャンテも休館となるようだ。 2021年4月25日(日)曇り 翌日は、東京生活10年になり、いつかはと思っていた学生時代に大変お世話になった三鷹台の下宿跡に、コロナに最大の注意を払いつつ行ってきた。丸ノ内線・銀座線で渋谷に出る。渋谷駅は、すっかり変わっていた。 井の頭線は、近年、下北沢までは乗車していたが、その先は未知であった。久我山まで急行に乗り、車窓を楽しんだ。各駅は、見違えるように新しくなっていた。久我山で各停に乗り換え、三鷹台駅で降りる。全く違う駅になっていた。神田川を渡り、見覚えのある立教女学院方面に進み、坂道を上り、右折する。 立教女学院は相変わらず、瀟洒なたたずまいだった。下宿はここだなと思う場所は、美しい住宅に建て替えられていた。ちょうど向かいで剪定をしていた女性にうかがうと、間違いなかった。辺りをうろうろするが、ほとんどの家が建て替えられ、残念ながら、思い出せる場所はなかった。 麻雀で遅くなり、塀をのぼり二階の窓から入り、叱られた思い出や、窓からの景色に緑が多かった記憶ぐらいだ。そもそも大学時代の旧友と会って話しても私の記憶が少ないのは、百名山など濃い人生を歩み過ぎて、脳の記憶は消されて書き換えられていっているのであろうかと思う(^_^;)。一方、思い出せなくても40年の月日が愛おしく思える。 数件隣に立派な大木が植えられた感じの良い家を見届け、駅方面に戻る。立教女学院の学内には、見事な藤棚が満開を迎えているのが垣間見えた。駅から逆方向に坂を上る。銭湯や雀荘に通った道だが、見覚えが有るのは、商店街のアーチ風のものだけだった。 駅から井の頭公園に向けて、神田川沿いに遊歩道が整備されていたので歩く。さほどなく、公園入口に着く。神田川では子供たちがたくさん川遊びをしていた。井の頭公園は、綺麗に整備されていた。緑が実に美しい。 ![]() ただ、TVドラマ「俺たちの旅」で取り上げられていた井の頭線の緑の橋梁は塗り替えられ美しくなっていたものの、健在だったのは嬉しかった。入口付近の緑豊富な家々も風情があった。 緊急事態宣言下にもかかわらず、スワンボート等が結構出ていた。ただ、動物園等は休園だ。周回路を散策して、吉祥寺方面に向かう。神田川の水源となる湧水井戸が確認でき良かった。 駅まではすぐで、こじゃれた店が並ぶが、人は多くない。渋谷行きの急行に乗る。不要不急の外出は控えるべきであるとのお然りを受けそうだが、店にもはいらず最大の努力はしたのでご容赦願いたい。大げさだが、人生の一つ宿題を終えた気分になった。 |