百名山も80座となった。残り20座の中でやっかいなのは、幌尻岳・高妻山・光岳であろうか。特にハードルの高い幌尻岳に今回チャレンジすることになった。これは、半分、思いつきで、関空発の朝早い帯広空港便を使えば、前夜泊せず、アプローチも楽なのではないかと考え、完全予約制の幌尻山荘も金曜日泊なら泊まれたので、JALのバーゲンフェアに飛びついたのだった。ゴールデントリオのIさん、Mさんも同行されることになった。

<仮ゲート駐車場> <林道からの額平川>
JTBのおかげで、今回も運良く、行きは関空発の帯広行きが取れ、帰りは第二希望の女満別発が取れた。しかし、その後、私はカムイエクチカウシと同じく、幌尻岳も勝手に東側と思い込んでいたが、寮で地図を見て、戸鳶別岳と幌尻岳の位置が違うことに気づき、西側から登ることに気づき愕然とし呆然自失となる。日高山脈を横断する林道は540億円もの費用を投じながら、中止しているので、迂回するしかない。
 
<本ゲート> <取水施設 左の道を進む>
ということで、IさんとMさんに一度は、「当日幌尻山荘に到着するのは不可能。阿寒岳のみで容赦ください」とのお詫びのメールを打つ。お二人からは、阿寒岳だけだったら「アカンダケ」だが仕方ないかとの返信。しかし、休日にネット等でアプローチ時間を正確に割り出し、さらに日の入り時間も19時10分であることを知り、詳細にスケジューリングすると、可能ではないかと思うようになる。幌尻山荘までは渡渉なので、日没が気になったが、Iさん、Mさんと議論し、強行することになった。強行計画では、帯広空港11時発、登山口14時30分発、幌尻山荘18時30分着である。
できるだけ、登山口に早く着くために立てた作戦は、レンタカー会社に相談し、手続きを早めるために、事前に免許証のFAX、それに途中のポイントの道の駅「樹海ロード日高」を最短で設定してもらうことにした。
 
<最初の渡渉地点付近から下流> <渡渉するMさん>
台風も来ているとのことで、帰りの飛行機も心配したが、結局それてくれ、天気予報は、7日が曇り、8日が曇り時々晴れ、9日は晴れ時々曇りとなった。当日、阪神尼崎発のバスが道路混雑で遅れたが、高速道路で取り返し、予定時刻に、無事、関西空港に到着する。
既にIさんとMさんは来ており、久しぶりの再会を喜ぶ。手荷物検査で、Iさんのアルコール固形燃料は見事没収された(^^ゞ 飛行機は、MD87で134人しか乗れない。満席である。このMDは、長時間の搭乗だが、イヤホンによる音楽サービスもない点が、欠点だ。JALの財務状況からは、更新はまだ先か?
定刻に飛び立った飛行機は、追い風に乗って、予定より早く着くかと期待したが、帯広空港の風向きが悪く逆方向に回り込んで着陸したので、5分遅れで到着した。窓から見える襟裳岬に続く海岸線は旅愁を誘った。
前方座席だったので、真っ先に飛び出て、私の荷物の受け取りは、Iさんにお願いし、レンタカーの手続きに急ぐ。空港のレンタカーカウンターで急いでいることを告げると、一人だけ、先に営業所に送ってくれた。空港の辺りも白樺林と農地が広がる北海道独特の風景だ。近年、この時期、北海道を訪ねているが、特に雲の多い日のこの物悲しげな雰囲気はたまらない旅情をかきたててくれる。レンタカーの営業所にはFAXは届いていたが、結局、コピーをとられ、手続き中にナビを設定してくれた。やはり帯広市に入ると混むので、高速も使わず、道道や農道を通るルートだ。
 
<渡渉後右側河原を進んだ> <幌尻山荘>
再度、空港にIさんとMさんを迎えに行く。空港を予定通り11時に出発する。このナビの設定が秀逸で間違いなく最短時間・距離のルートで、いかにも北海道らしい、じゃがいも畑の中を碁盤の目のように走る。家はぽつりぽつりとある状態で、夜は寂しいだろうなと話す。Mさんが入念下調べしてくれていて、地図とナビの確かさを確認してくださる。ただし信号がないので、「とまれ」の個所の厳守をしないと危険だ。
途中、何でも屋のような店にカセットボンベが売っていたので購入する。Iさんが店員が美人だったと盛んに感心していた。
予定通り、日勝峠手前で、国道39号に合流する。峠には、ローソンもあり、Iさんは昼食を買い込んだが、バスの客でごったがえしていた。昼食は車の中で済ます。私は巻き寿司とMさんが買ってきてくれていた柿の葉寿司だ。
快調に走るが、雨が所々降っている。NET情報では、道の駅「樹海ロード日高」(隣接してACOOPもあるので買い物に便利)から1時間30分となっていたが、1時間強で登山口に着き、予定より30分も早いことを喜ぶ。
道の駅から国道237号を20kmほど走り、沙流(さる)川にかかる幌去橋を渡って200mで左手に「幌尻岳登山口」の大きな看板があるので、左折し、道なりに進む。要所要所の分岐に標識があり、間違うことはない。人気のないところにも牧草地があり、開拓魂の強さを実感する。国道から31km、後半18kmはダートだが、轍もなく、道が比較的よく、50分ほどで走れた。途中、北きつねの子供が林道にいた。子ぎつねは愛らしかった。先行する車と帰ってくるタクシーに同じような時間に登る人があることを知り、少し安心する。
駐車場の広さを心配して、レンタカーはVITSにしたが、仮ゲート左下に20台ほどのスペースがあり、まだ数台の空きがあった(山荘が完全予約制になり、こんなものかもしれない)。着いた頃に、北海道電力の車がゲートの奥から、来たのでうらやましく思う。取水口まで有料の送迎をしたら儲かるだろうななどと話し合う。

<命の水への上り手前のダケカンバの林> <命の水手前のシラネアオイの群生>
我々が最後かなと思っていたら、準備中の人たちがいた。Iさんが尋ねると、山荘が満室なので、テント泊だという(9月上旬まで皆、満室とNETでは表示されていた)。
早々に準備して出発する。車が走る道で、巾も広い。本ゲートまでの間、平成16年災害復旧工事の表示のある箇所が3箇所あった。それぞれ、30mから50mの間、工事がされている。全て沢が道を横切っているので流されたのであろう。14時13分に1号、20分に2号、25分に3号を通過する。帰りの人に聞くと、今日は雨と霧で大変だったという。心配の川の水は最大股下とのことだ。
奥幌尻橋を過ぎると、ほどなく、本ゲートであった。ここまで、2.5kmのことだが、もう少し短いかもしれない。予定通り30分来れたことにほっとする。道は完全に修復されていたが、本ゲートには駐車スペースが数台分しかないので、仮ゲートがはずされることはないと思われた。
ここから、取水施設までは延々5kmの林道歩きだ。IさんとMさんとしゃべりながら歩くと重い荷物にも耐えられ、取水施設に着くことができた。ここにも大きな残雪が残っていた。すぐに幌尻山荘まで4kmの表示があった。道標はこれきりである。
一息入れて、右岸の道を歩き、渡渉地点に向かう。ほどなく、川沿いをへつるか、固定ロープ頼りに高巻くかの箇所に出る。NET情報によると、へつりは苦労するとのことで、行きは高巻いたが、どろどろずるずるで滑りやすくかえって苦労する(帰りにへつったが、手がかり・足がかりが豊富でさほど苦労しなかった)。
取水施設から20分もかかることなく、渡渉開始点に着く。いよいよ渡渉だ。靴は、NET情報では、運動靴でも可とあるが、すべるのは不安だ(帰りに幌尻山荘で出会った人は、運動靴であったが、「やはりすべるが、一回きりだし」と言っていた)。高い渓流靴は避けたいし、地下足袋やわらじもなぁと思っていたところ、「鮎たび」なるものを知る。これは渓流靴と同じ底がフェルトでできていて滑らない(札幌の登山道具店秀岳荘にも似たものがあるが、送料等入れると高い)。


<命の水は登山道から離れ雪渓沿いに数分進む> <北カールの残雪>
早速、和歌山市内の釣り道具屋に捜し求めたところ、値段は区々だが、何と3000円の2割引き2400円で十分なものがあった。底はフエルト、ネオプレーンのすそ止めまでついている。サイズが少し大きめだが、完璧である。さらに、スポーツ店で化学繊維ドラロンの5本指ソックスを買って準備万端の用意となった。その情報をMさんに伝えたところ、何と、適当なサイズを取り寄せてもらい、きっちり2割引きにしてもらったという。サイズが不揃いだから、2割引きに思ったのだが。恐るべし、Mさん。
ただ、そんなものまで、リュックに入れているので重い。準備をして渡渉すると、さすがフエルト底。滑らない。最初の渡渉点を渉り終えて後すぐに、高巻いたが、その必要はなかったようだ(帰りは高巻かなかった)。2回めの渡渉を終えると3回目までは長い。はしごや流木帯を通り、渡渉9回で、右岸に大きな残雪の残る左岸の河原で休憩する。
 
<エゾノハクサンイチゲ> <エゾノハクサンイチゲのお花畑>
渡渉地点は全て赤いテープがあり、目印になった。先行する名古屋の二人は、ストックを持っていなくて苦労していたので、追い抜く。先行する二人に追いついた箇所だけは、股下までつかるので苦労も分かる。渡渉地点以外も赤テープは多かった。
渡渉のポイントは、「水圧に負けないよう、上流から下流に斜めに渉る。足を深いところではあまり高くあげない。ストックはダブルが断然有利」ということであろうか。
渡渉は慣れてくるとおもしろいが、雪融け水は冷たく、1分もいると厳しい。休憩場所から、山荘までは10回の渡渉で、6回目と7回めの間はへつりや小ロープでよじのぼる箇所があるが気をつければどうということはない。故に渡渉は計19回となった。
 
<エゾツガザクラ> <お花畑右から正面稜線へ>
2つの滝(沢?)を左岸に見ると、幌尻山荘が対岸に見え、最後の渡渉で、山荘前に出た。小雨模様なので、誰も外にはいない。満員状態で管理人室の管理人に到着を告げる(事前に山岳会に18時30分到着予定と報告して詫びておいたが、45分早く着いた)。ここの山荘は本年から完全予約制となり、平取町山岳会事務所に電話予約する。事前に郵便局で一人1000円の宿泊料を振込む。団体の方が1500円と高いのがおもしろい。50人ほどの定員だそうだが、ほぼ満員だ。NET情報では、9月上旬まで満員だ。管理人に着替えと食事を促される。私の速乾性のジャージズボンは、なかなか乾かず、管理人さんに足の裏濡れていませんかと注意を受けるはめになったが、Mさんのイズミヤのアウトドアコーナーで買ったというズボンは、すぐに乾いていて(はじいて、そもそも濡れていないという感じ)、やはり素材が大切と実感する。
1階の端にあるステンレスの台所(水の蛇口があり、便利)で、湯を沸して、カップ麺と稲荷寿司の夕食を立ってとることになった。ウイスキーの水割りが慰めだ。寝場所は最後のスペース。私はストーブのそばでIさんが心配してくれる。もう切っているので余熱だけだ。
 
<ハクサンイチゲと北カール> <山頂への道>
最後に到着した名古屋の主人は、沢でけがをしたのか足や手のけがを奥さんに治療してもらっている。消灯は何と19時過ぎ。北海道は北にあるので、この時期、日の入りも遅く20時過ぎまで明るかった。
2階からたくさん、トイレに行く人が頻繁に下りて来たりして(消灯前に済ましておけ。飲み過ぎだとの声も。トイレは室内に1つだけあるので皆並んで順番待ちとなる)、音と強烈なアンモニア臭いでうとうとしたぐらいの眠りだ。また、2時半には準備し出す人もいる。我々も起き、トイレだけ済ませ、、3時30分に出発した(出発時間が早くトイレも混まなかった)。一応 ヘッドランプはつけたが、ほどなく消す。
エゾマツ、トドマツの大木の茂る九十九折の道を登る。途中、白いトリカブトがあり、Iさんが、津軽海峡を渉るうちに脱色されたのだと笑う。標高1500mになると一度ゆるやかになり、美しいダケカンバの道が続く。木は、まっすぐに伸び、幹も太い。意外と風や積雪がましなのかもしれない。この辺りに、たくさんのシラネアオイが咲いていた。私は高山植物の中でも最も好きな花だ。大きな花なのに何より色が上品で貴賓がある。
急登を進むと、途中に「命の水」があった。水場は、意外にも登山道沿いにはなく、左手に残雪帯を巻いて1分ぐらいのところにあった。冷たいが水量は少ない。登山道で休むと、 後続が来た。内一人は明るい女性で、「和歌山の人でしょ。昨日、最後に着いて、立ち食いされてた。ちゃんとチェックしていたのだから」と笑う。「和歌山弁は汚いでしょ」というと我々「群馬の方が」と笑う。花のアポ イ岳に周るとのことだ。

<左側稜線が歩んできた道>
命の水から、喘ぎながら登ると低木になり、尾根に出るとはいまつ帯となった。根が張り出ていて慎重に進まないと、やせ尾根で危険だ。ここでは、エゾイソツツジが多く、岩場にはミヤマダイコンソウ、エゾツツジが咲いていた。左にガスが切れ、待望の残雪の北カールが見えた。ヒグマは見えない。
はいまつ帯が終わると、見事なお花畑だ。最も多いのは、エゾノハクサンイチゲ。百名山のビデオ等では、シナノキンバイも多いとのことだが、まだ、早いのであろう。エゾツガザクラやミヤマアズマギクも多い。エゾコザクラやハクサンチドリも多い。エゾノハクサンイチゲと北カールをしっかりカメラにおさめる。花の季節に来たことの喜び、あこがれの日高山脈を歩くことの喜びが込み上げる。
ガスが晴れだし、太陽ものぞくが、残念ながら山頂のガスだけが晴れない。再度、はいまつ帯となり、岩陵帯に入ると、イワウメが多く、イブキジャコウソウも見られた。最後の上りだが、予想していたより急ではない。
新冠コースが合流し、5分強で、三角点のある山頂である。空身だったが、休憩時間を入れるとコースタイム通りかかってしまった。先行していたIさん、Mさんとがっちり握手する。うれしさは一入である。Iさんは30分も早く到着したとのことだ。山頂には、黒ずんだ北きつねがいたそうだ。一人一人の写真を取り、後続のここで百名山達成という栃木の2人に3人の写真をとってもらい、ガスが晴れないので下る。
 
<山頂への稜線から北カール>
次々に人が登ってくるが、山頂からはガスなので、戸鳶別岳に周る人は少ない。北カール沿いでけがをされた名古屋の夫婦に出会うと、夫妻も今日で百名山達成ということだ。おおけがをしなくてよかったものだ。カールは晴天なので楽しみつつ下り、先は、ガスが晴れた分、やせ尾根であることに気づき、はいまつに足をとられそうになるのを慎重に下る。よく登ったなぁという感慨の下、ようやく命の水にたどり着く。ダケカンバの林からは、額平川源流をはさんで残雪を抱く北戸鳶別岳が見え、Mさんが白いヒグマが見えるという(確かに残雪の形が白熊に見えた)。以前、日高山脈の縦走記録テレビで見たという。ほんまかいな(^^ゞ
ここからは下りやすいが、疲れもあり、山荘まで長く感じた。朝、駐車場を出発した人でピークを目指す人、山荘で寛ぐ人、区々だ。それにしてもNETには、日帰り者も結構いるが、その気力と体力には恐れ入る。
山荘には計画より15分ほど早く着くことができた。山荘前には、テントも2つ張っていた。小屋前のブルーシートでパッキングや鮎足袋にはきかえつつ、管理人さんと話す。予約していて来なかった人と予約なしで来てしまった人でちょうど予定より少し少なかったようだ。前払いしている人していなかった人区々のようだが、していても1000円だから来ない人も多いのかもしれない。
管理人さんは山岳会の会長に頼まれてで、ほとんど彼一人でしているとのことだ。3年前の台風時もいたそうだ。長くなったので近いうちに一度下山すると言っていた。
帰路は荷物の重さがこたえたが、渡渉は慣れっことなった。ただ、渡渉点で上りと違い、一箇所のみテープなく、小さなケルンが数個ずつの箇所があった。結構の人にあったが、年配者と女性の多さはここも同じだ。皆、百名山信者だから仕方ないか。取水施設前の箇所は、巻かずにへつる。Iさんが渡渉地点で会った人の靴が汚れていないことに気づき、先行してくれたのだ。取水施設にはここに管理人の車と思われる4駆がとめてあった。
途中、行きに見つけられなかった美しい滝だけが慰めで、長い林道にへとへとになって、ようやく駐車場に着く。スペースはまだあった。ゆっくり出発準備をしている年配者のグループには驚いた。これから山荘に行くには落ち着きすぎている時間だ。
予定していた計画とさほど違わず、阿寒湖半のホテルに向かって出発できた。国道の気温はわずか16度の表示だ。樹海ロード日高のAcoopで買い物をし、日勝峠を越え、十勝清水ICを目指す。高速はほとんど車が走っていず、SAも自販機のみである。
北海道らしい景色に慰められつつ、足寄ICを目指す。ラジオでは近年、北海道旅行をする東アジアの人が急増し直行便が増えたことを告げている。足寄からも先行する車があり、スピード違反を恐れないで快適に走れたので、ホテルには予定より30分遅れで18時30分に着いた。
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