1978年の大学1年の頃、7月中旬から、1月近く北海道のユースホステルを泊まり歩いた。中でも印象に残っているのは、利尻島の2泊と礼文島の2泊である。
 
<新千歳・利尻間の飛行機から待望の利尻岳> <利尻空港 利尻岳はガスの中>
特に稚内から、利尻島へのフェリーから見た利尻岳(正式には利尻山)は、幼い頃、テレビ漫画で見たガボテン島そのものであった。
利尻島のユースでは、利尻岳登山と自転車で島内一周を勧められたが、当時は山には興味がなく、自転車を選んだ。しかし、完全一週できた記憶もないので、途中で挫折したのかもしれない。
今回、休みが取れれば、礼文島にも行きたかったが、それは適わず、利尻のみとなった。時間短縮のため、伊丹→新千歳→利尻を飛行機で移動とし、これにより、登山チャンスは2チャンスと なった。
<鴛泊港と利尻岳> <民宿マルゼンの部屋からぺシ岬>
折角、新千歳と利尻間も飛行機なので、利尻岳が飛行機から見えることを願い、HPの情報をもとにA席を確保する。しかし、近年北海道行きにからむ台風がまたもや来て、ひやひやするが、スピードが早まったので、一日違いで、無事行けることになった。
一日違えば、飛行機も船もだめだった。間一髪である。万一遅れてはいけないので一便早い阪神尼崎発の空港バスに乗った。伊丹での待ち時間にいつものとおり、オオサカラウンジに行き、時間をつぶした(ここはネットが見れるのがいい)。ヤフーの天気予 報は、台風一過とはいかず、芳しくない。特に登山日の午後には早くも崩れることになっている。

<鴛泊からわずかの間、利尻岳が見えた> < 同 左 >
伊丹からの飛行機でも北アルプスが見たくて、A席をとるが、前回より西よりのルートをとったために、薬師岳、剣岳、後立山連邦も真下で写真は取れなかった。
しかし、間近に見える残雪の多い白馬から朝日にかけての稜線に数年前の山行を思い出し、なつかしかった。佐渡が見えたかと思うと、さほどもたたずに、新千歳に定刻通り降り立った。
 
<ぺシ岬から鴛泊の街> <鴛泊灯台と稚内行きのフェリー>
新千歳では、昼食に幸四郎という札幌ラーメンを食べる。チャーハン付の味噌ラーメンに満足した。隣で茶髪の若夫婦が4人の子供を抱えて、3つのラーメンを分けて食べあっている姿に目頭が熱くなる。少子化問題や虐待事件が後を絶たない中、心温まるシーンであった。特に妻を気遣う父親の気遣いに我が身を反省する(時既に遅しであるが)。
時間があるので、スーパーラウンジで時間を過ごす。ここは、昨年北海道の家族旅行の際、長女と立ち寄ったので、なつかしい。施設は羽田や伊丹に比べて大変立派だが、ドリンク1、無料休憩は1時間という制限がある。
 
<マルゼンの主人が取ってくれた海の幸> <六合目から長官山>
利尻行きのB737は、折角のジェットだが、定員の半分も乗っていなかった。それをいいことに、翼のかからない後部座席に移る。そのかいあってか、離陸後、さほど経たないうちに、見事に前方に利尻岳が見え出した。ときめきの瞬間である。
最初はデジカメ、着陸態勢に入ると使用禁止なので、一眼レフで撮影する。雲海に浮かぶ姿は、まさに利尻富士である。空港近くになると姿も変わるが、飛行体制が変わり、撮影は難しかった。それにしても飛行機を選択して大正解であった。
空港には、「ようこそ夢の浮島へ」の横断幕があった。空港施設は新しい。飛行機を写真におさめ、ロビーに出ると、宿の迎えがあった。ありがたい。宿の主人の渡辺さんであった。車が走り出すと眼前に礼文島が間近に見えた。このように近くに見えるのも珍しいこととのことだ。
話によると、私が学生の頃訪れたときは、1万人を超える人口であったが、今は6千人しかいないとのことだ。道路はよくなり、大きなホテルもできたが、過疎は確実に進んでいる。
 
<長官山から山頂> <右下が避難小屋>
御宿マルゼンに着き、部屋に通される。わずか4畳の部屋だが、窓からぺシ岬が見え、波音に旅情を感じ、殊のほか気に入る。寅さんの世界そのものである。
ぺシ岬にでも行こうと階段を下り受付前を通ると、女将さんが荷物を見ていて、「明日天候が悪いし、もう一泊泊まりなさい。うに丼食べさすから」と盛んに勧める。うに丼は3500円もする。思わず、「散歩しながら考えるわ」というと、女将は若女将に、「ところで明日空室あったっけ」と言う。
調べるとわずか1室。天気予報は悪いし、うに丼と1室につられて即断する。女将さんに思わず、「商売うまいねぇ。関西出身では」と軽口をたたく。
この決断が良かったのか、ぺシ岬に行く途中の松井氏の写真展に満足し、絵葉書を買って出ると、青空に利尻岳の山頂が見えていた。同じ宿に泊まっている人が三脚をたてて熱心に撮っていたので仲間に入れてもらう。わずか10分ほどであろうか。本当にラッキーであった。ぺシ岬も風情のある場所で、ウミネコやかもめが舞い、鴛泊灯台が青い海に映える。岬の頂上には四等三角点があり、礼文島がよく見えた。稚内、樺太、礼文島までの距離が示されている。

<リシリトリカブト> <長官山と避難小屋>
家族連れが続々と上がってくる。そのうち、ちょうどフェリーが出航していった。否応にも旅情をかきたてる。
満足して宿に戻ると、若女将が「浜に行け」と盛んに勧める。趣旨を分かりかねていると、「うににありつけるかもしれない」ということだ。眼前の浜に下りると、焚き火をしていた女性がいたので、聞くと、同じように若女将に言われたという。
そのうち、主人と若い人が海から、上がってきて、うにやあわびやなまこを見せてくれた。今夜のおかずにするのかと思っていたら、すべて我々に振舞ってくれるためのものであった。宿で出すことは漁師に叱られるし、自分は、うにはきらいだという。
 
<チシマフウロ>
<山頂までわずか 祠が見える>
まるで、テレビの旅番組そのものである。先ずは、こぶりのあわび、実にうまい。次に食べきれないぐらいうにをいただく。バフンウニがオレンジと白っぽいのが2種。オレンジはウニ丼にされるだけあって甘い。白いのは、味噌汁等に使われるという。しょっぱい味だ。ムラサキウニは中間的であった。オレンジは一個800円もするという。
バフンウニは、ムラサキウニと違い、とげか短く、痛くない。店で食べると、5000円はくだらないと思われる量をいただく。さらに、焼きウニがおいしいとの勧めでいただく。まるでみかんのようになったウニは美味であった。女性の方は、だんなが仕事で一足先に帰ったとかで恐縮していた。
これだけで今回の旅は超満足である。そのため、夕食は酒ばかりで何をいただいても、ほたてやたこにも感動しないという有様であった。ちなみに、食事は、車で送迎され、フェリーターミナル2階の食堂「丸善」でいただく。
風呂は利尻富士温泉(距離1.1km)に送迎してくれるが、それは明日にして宿の家庭風呂に入る。この風呂も窓が大きくぺシ岬が見え、大満足であった。すっかり満足して19時半過ぎには深い眠りについていた。
眠りが深かったからだろうか。2時過ぎに一度目覚め、3時過ぎには起きて準備をする。島内一早い登山口への送迎を売りにしていて、4時、宿出発である。若女将が送ってくれた。本当に働き者だ。ここの宿は、岩崎元郎さんが2回、三浦雄一郎や今年の7月には野口建も泊まっていて写真やサインが飾られている。
結局、同宿の登山者は4人であった。わずか8分で登山口に着いた。北麓野営場は、美しいトイレ棟、管理棟、公衆電話もある立派なキャンプ場であった。
テントは数張りあり、ここからの登山者も多い。ここは三合目に当たる。甘露泉水までは500m。50m毎の表示があり、完全な遊歩道だ。
甘露泉水は、名前通り、甘い感じがした。冷たくて実に美味い。また、ルート上にあるので、苦労せず汲める。少し先には東屋もあった。ここからは、笹の刈り分けた道をゆるやかに上る。

<山頂から南峰とローソク岩>
四合目には、野鳥の森の表示があった。エゾマツ、トドマツの大木が生い茂る。町の登山MAPには、エゾムシクイ、ウソ、アカゲラの他コマドリ、クマゲラも見られると書いていた。利尻島は渡り鳥の中継地になるからか鳥の種類は豊富とのことだ。
徐々にダケカンバの木が多くなると、五合目であった。ここで民宿の弁当についていたバナナを食べる(弁当は梅干入りおにぎり2個とコロッケやしゃけのおかず)。少し先の小岩は展望がいいので上ってみるが、そんなことしなくても先にもっといい箇所があった。
六合目は第一見晴し台と名づけられている。名前の通りの展望箇所だ。オホーツクには高気圧があると天気予報で言っていたが、そのためか鴛泊まで流れてくる雲もそこで行く手をはばまれているのがおもしろい。礼文島も山はガスっている。
ここからはハイマツ帯となり、少し先にトイレブースもあった。七合目は七曲りと書かれていた。ここからイワギキョウも見え出した。この当たりからのダケカンバは幼木で背の高さしかなく、歩くのにひっかかる。
第二見晴し台では大勢の人が休んでいた。ここを長官山と間違うが、長官山はさらに一のぼりである。たどり着いた長官山は、高曇りながらも残雪を抱いた有姿が間近に見え、登山者は歓声を上げる。残雪は火打山の残り方にも似て大変いいアクセントになっている。礼文島もガスがとれ、よく見えた。ここで、写真を存分に撮る。キャンプ一張りできる絶好のスペースがあるが、ごみが残っていた。
絶景をめでながら一瘤を超えると避難小屋であった。思ったより古く、中はブルーシートを敷き2段になっていた。町のHPではマナーの悪さを警告していた。ここにも トイレブースがある。
ここからは、道がぐちゃぐちゃで歩きにくい。花を撮影しながらゆっくり進む。風が全くないので少し暑い。花を楽しみつつたどり着いた九合目には、ここからが正念場と書かれていた。このルートは特にイブキトラノオ、シモツケソウ、イワギキョウ、チシマフウロの多さが目だった。イブキトラノオは高山型がピンクの色濃く、きれいであった。

<リシリリンドウ> <山頂から礼文島>
いよいよザレ場となる。覚悟はしていたが、ひどい荒れようだ。登山制限もかかるのではと書かれていたHPがあったのもうなづける。20mほどのロープ箇所も3箇所ばかりあつた。頼らない方がいいが、頼らざるを得ない箇所もあった。右は大きな崩壊となっていて近寄るのは危険だ。
沓形コースと合流しても、さらに悪い。ようやくたどり着いた山頂には社があり、数名の先行者がいた。文字通り360度の展望が広がる。1721mの南峰は道が荒れ危険なので禁止となっているので、1719mの北峰が山頂だ。山頂近辺には、シコタンソウ、リシリゲンゲ、リシリトウチソウ等の固有種も見られた。
南峰方面がすばらしいお花畑になっているので、少し進むと、待望のリシリリンドウに出会えた。また、エゾツツジの大群落があり、美しさに目をみはる。もう一つのお目当てのボタンキンバイは大群落があるものの、東斜面で遠い。間近に見れないのが残念だが、お花畑に踏み入るのは言語道断なので、一眼レフカメラの最大限の望遠200mmにおさめる。
さて、一番楽しみにしていたリシリヒナゲシは、ボタンキンバイの横に咲く花ではと思うが、山頂にいた人は八重に見えるので違うという。しかし、九合目に咲く場所を教えてくれたので、それを楽しみに下る。
 
<礼文島> <南峰への道のエゾツツジの群落>
想像通り下りは苦労したが、転倒もなく無事九合目までたどり着く。途中、小屋で携帯トイレを使用してみた。これは環境にいい。待望のリシリヒナゲシは山頂に向かって右手のガレ場に二輪のみ咲いていた(下山後若主人に聞くと、そこから崩落地を覗けばたくさん咲いているとのことであった)。あこがれの花は期待通りで形もさることながら、レモンイエローは何とも言えず上品であった。ここぞとばかり一眼レフカメラで腹ばいになって、山頂と共に写す。
ここから先、茨城のご夫妻と親しくなり、指導員資格を持つご主人に色々話をうかがいながら、下ったので、長い道程も短く感じられた。4合目から雨となったが、傘を用意していたので助かった。
甘露泉水のあずまやで大休憩をとり、ご主人と山談義となる。甘露泉水でポリタンに水を詰め、今後の水割りを楽しみとする。
登山口の北麓キャンプ場で携帯トイレ回収ブースに入れ、管理棟にアンケートと下山届を出す。マルゼンは迎えも来てくれるので、助かる。公衆電話から電話をし(携帯はつながらない)、トイレ棟で雨宿りしつつ、車を待つ。
本格的な雨で、連泊としてよかった。宿に帰り、一息つく。親しくなった女将に加え、主人とも世間話をする。その間、稚内着の飛行機が遅れ、最終のフェリーに乗れないので宿のキャンセルがあった。主人は、フェリーも少しぐらい待ってやればいいのにと怒っていた。また、同宿の夫婦が登山から戻り、下りで奥さんが前のめりで転倒し、膝をうつたとかで足をひきづっていた。
 
<連泊した民宿マルゼン> <九合目に咲くリシリヒナゲシ>
人に利尻富士温泉に送ってもらう。期待以上の立派な施設の上、源泉は40度を超える。露天風呂やサウナもある。折角なので、雨ではあったが、露天風呂にも入る。 外人が一人のんびり入っていた。また、いっしょに宿から温泉に行った若者は、折角奮発して飛行機できたが、飛行機からは勇姿が見えず残念がっていた。私はラッキーだったようだ。
夕食は、さしみやホッケの焼き物に加え、待望のうに丼がついていた。生ビールとともに至福のときである。また、たまたま昨日の浜の女性が隣で、いろいろ話しかけられた。ご主人が先に帰られて一人の食事は寂しかったのであろう。それにしても共働きのためか、世界各国を一人でも飛び回っているのには驚かされた。
夜は雨と雷で、朝になっても雨が残っていた。7時からフェリーターミナルの2階の食堂で朝食をとった後、定期観光バス待ちのため、1階の待合室にいると、中年のご夫妻の奥さんが挨拶してくださる。一瞬きょとんとしてしまったが、昨日山で会った人であることを思い出す。
早、北海道の山は8座めとのことだ。新潟から小樽までフェリーで来て回っているという(一等船室で往復7万円は高くない)。こちらの飛行機をうらやましがられたが、ご夫妻の時間のある旅をうらやましく思う。フェリーはたくさんの団体客を乗せ、出航した。
8時25分発の観光バスは弁当付で4800円は高くはないが、雨であり、見送る。9時40分発の定期観光バスは2階建てでよかった。2便のフェリーから降りた客を加え、満席に近かった。
停車観光は3箇所だが、結構時間をとっていた。姫沼も周回でき、甘露泉水と同じ湧き水だという水は甘かった。クルマユリが一輪咲いていて風情があったが、すずらんはさすがに終わっていた。車中からの海岸線の景色も旅情を誘う。
ガイドさんの話も興味深いものがあった。蛇がいないのでネズミが増えすぎたので、イタチを放した等々。鬼脇からの利尻岳が一番厳しい形とのことだが全く見えない。 9月上旬に雪がなくなるそうだ。
 
<オタトマリ沼> < 姫 沼 >
オタトマリ沼でも周回したが、どうってことはなかった。ここからの利尻岳が銘菓「白い恋人」のデザインになっているそうだ。
40周年記念とのことで、万年雪アイスと熊笹アイスのミックスソフトが150円で売っていたので食べてみる。実に美味かった。
仙法師御崎公園は30年近い前の荒涼とした海岸からの利尻富士の印象とは異なり、 様変わりしていた。ゴマフアザラシのいる磯公園等俗化され過ぎていた。
それでも利尻昆布の加工工場があり、利尻昆布ととろろ昆布が確かに安いので両家のおみやげとする。
その後、利尻町立博物館に立ち寄る。意外と見所があった。車中から見た奇岩は熊はそれらしかったが、人面岩はそうは見えないと皆が言う。はまなすが盛りに咲いていた。12時26分に空港近くの道路で下車する。徒歩で10分ほどだが、風が強く荷物が重いので時間がかかった。
前便がちょうど飛び立とうとしていたので、プロペラ機だが、大丈夫かと心配していたが、無事であった。山頂は見えない。
空港では早めに搭乗待合室に入りゆっくりする。千歳からのジェットは10分ほど遅れて着いたが、さほど遅れず飛び立った。残念ながら勇姿は見えない。今回のジェットも降りた客も乗る客もわずか30人ほどだ。来年存続されるか疑問である。
新千歳では、とうきびを食べたかったが、なかったので、ホクレンの売店でみやげ用の真空パックの焼きとうきびとじゃがバターを買う。さらに夕張メロンパンを朝食用に、また雪印パーラーで夕張メロンとバニラのミックスソフトを買う。
千歳発のほぼ満席のB777からも雲で下界は見えなかつた。伊丹には、ほぼ定刻に着くが、わずかの差で空港バスに乗れなかったので、JR伊丹行きの直通バスに乗り、 快速でJR尼崎まで行く。寮に行くバスは1時間に2本あると思っていたのが1本しかなく、ぎくりとしたが、ちょうどバスの時刻にミートしていた。
前週と違い、ついていた山行に心から感謝する。日本百名山も74座となった。
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