白馬岳 |
【データ】
【メンバー】 |
鳴虫山以降、山は遠ざかってしまい、体力は衰えているが、Kさんの依頼で、真剣に夏山を考えた。海の日の三連休ぐらいしかないということで、K夫人が山小屋の混雑に悲鳴をあげないよう、個室の取れるところということで当たると運よく、白馬頂上宿舎が取れた。 この間の良かったことは、入谷の朝顔市と浅草のほうずき市が見れたこと。江戸の風情が感じられた。入谷の朝顔市は「団十郎」の渋い色が、ほうずき市は、売り娘の姿が印象に残った。 また、会社のMさんの案内で、向丘遊園の民家園と白州正子の武相荘を見学できたこと、民家園への道すがら、歩道にカブトムシが仰向けになってむじたばたしており、通りすがりの子供にプレゼントする。子供は不慣れで掴むのに苦労していたが、母さんがしっかりしていて、さっとビニール袋に入れたのが頼もしかった。 それにしても重要文化財が7棟もある日本民家園は素晴らしく、風通る家屋で昼寝をしていたかった。内三軒では、ボランティアの方が囲炉裏を炊いていた。最後に藍染の伝統工芸館で、おみやげにテーブルクロスを買い求め、隣接の岡本太郎美術館を見た。ここは、大新聞の当時の岡本太郎の厳しい評価が絵の横にいくつもあるのに、にんまりした。市立にしては、しゃれている。武相荘は、イメージに近かった。ただ暮らしの場であると思うと実に豊かな人生だ。その後、Mさん行きつけの井の頭線池ノ上駅近くの摩人屋(まんとや)さんまでの営業時間があるので、Mさんお勧めの古本屋さんに立ち寄ると、辻まことさんの良い本があり、はじめて定価以上の古本を買った。摩人屋さんは、いつも通り美味しくて、ジャズの生演奏も良く、実に濃く楽しい一日となった。 さて、肝心の山である。何しろ、梅雨が明けそうにない。前日、天気予報が一旦よくなったが、結局、小石川でピックアップしてもらった時には、小雨が降っていた。しかし、東京からは信州は近い。猿倉の登山口まで、300q強だ。途中、私が運転した横川辺りは、激しい雨で苦労した。長野ICからは、オリンピック道路で、猿倉には、0時半前に着いた。天候が悪いせいか、駐車場は半分にも満たない。昨年の焼石岳と違い、仮眠はとれそうだ。 4時間ほど眠り、起きると雨は上がっていて、早くから駐車場整備の人ができるだけ詰めて駐車するように指示していた。早々に準備して出かける。登山口には指導員がいて、登山届を提出すると、鑓温泉方面にも残雪があることを注意される。トイレも混んでいず助かった。 登山口から美しいブナ林を歩くと、林道に出て、沢沿いを歩く。山には残雪がたっぷりあり、沢の水も多い。人工の堰堤が大滝となっていた。白馬尻までも、オタカラコウやダイレイジンソウが咲いていた。期待していた白馬尻小屋前のキヌガサソウの群落は見事だ。好きな高山植物を三つと言われたら、キヌガサソウ、シラネアオイ、コマクサだろうか? 大雪渓に見とれているうちに、雨が降り出し、レインウエアをつける。ここからケルンのある大雪渓とりつきまでもキヌガサソウが多かった。 ![]() ![]() いよいよアイゼンをつけ、大雪渓だ。K夫妻・E君も今回、六本爪のいいアイゼンを購入していて準備万端だ。遭難対策協議会の方がつけてくれた紅柄の上を黙々と歩く。曇りだが、杓子の上まで見えて、空が青くないだけだった。下りの人もそこそこいる。 ![]() ![]() 落石が多いので慎重に見渡しながら登る。大雪渓の終わりが見えたところからがガスり、渋滞もしたので、長く感じた。取り付では落石で休めないので、少し上がったところで休憩する。ミヤマキンポウゲが多い。98年の同時期に登った時は、ミヤマクルマユリも咲いていたが、今年は雪が多いのか、全く違う。 小雪渓もきれいにスコップでステップを切ってくれていたので、歩きやすかった。大岩と避難所も前回の記憶はなく、ルート左手にも残雪が多く、イメージが全く違った。花は、ミヤマキンポウゲ・シナノキンバイ・ハクサカンイチゲ・ミヤマオダマキ(右上の写真)が目立った。2533mの標識があるところからは、頂上宿舎はすぐで、その前には、小規模ながらも見事なお花畑が広がっていた。 宿舎で、一日違いで気づかなかった毎日新聞旅行の個室パック料金に(11500円→10000円)の交渉は不発となったものの、個室はやはりゆっくりできた。雨が強くなったので、乾燥室に濡れたものを干し、白馬山荘のスカイプラザはあきらめ、ここのレストランで過ごす。 乾燥室では一眼レフカメラを持つ素敵なカップルに出会い、HPを紹介し、山談義をした。 個室棟からも直接行け、テーブルを含めて、いい雰囲気で、生ビールで乾杯した。ストーブが心地よいのが下界とは異なる別天地である。 K君持参のブランデーも含めて、さほど雨にも降られず、着けたことを喜びつつ、宴会状態となる。次々と入ってくる人たちは、かなり濡れていた。 2時間ほど、くつろいだ後、K夫妻は白馬山荘にみやげものを探しに出かけた。実に元気だ。モンベルのTシャツなど買い求め、帰って来た。 夕食は、98年当時は同じセルフサービスでも、カレーであったが、今回の夕食には、びっくりした。種類・味付け、文句のつけようがない。ビーフシチューまであるのだ。NET 情報によると白馬山荘との競争の結果とのことだが、下界に負けないのには、K夫妻もE君もびっくりしていた。 ![]() ![]() 夕食後は、天候も回復し、写真の通り、杓子や鑓もきれいに見えた。テント場にかがり火のメンバーが来ているか確認に行ったが、受付簿には和歌山の人はいなかった。充電は1時間100円の有料だ。明日の一転して、よくなった天気予報を信じ、カメラと携帯を充電した。テント場近くは、ウルップソウがたくさん咲いていた。 ![]() 就寝は、19時半。晴れていたら頂上でご来光を計画した。夜、雷の音で目覚める。起きても雨。ご来光はあきらめ、朝一番朝食をとり、回復を待つことにした。並んで朝食をとる。昨夜の宿泊は、天候のせいかキャンセルが相次ぎ、130人とのこと。 朝食も夕食と同じく素晴らしかった。カレーまでついていた。唯一の欠点は98年と同じく、味噌汁が薄いことのみ。 早々に出発すると、俄かに晴れ出し、旭岳に続き、剣も見え出した。日本海も間近だ。K夫妻・E君は何と行いがいいのだろう。やはり稜線は以前の記憶と同じくウルップソウと共にイワツメクサが咲いていた。 ![]() ![]() 山頂に着くと、何と鹿島槍から遠く槍ヶ岳まで見えた(下の二番目の写真の右上の雲に浮かぶ小さな三角形)。わずか30分ほどのことだ。これを見た人と見ない人では大違いだ。昨日乾燥室で出会ったカップルはどうかなと思っていたら、鑓近くで再会し、良い写真が撮れたことを喜び合う。 白馬は三回目だが、相性がいいようだ。朝日・雪倉方面、雲が流れる鹿島槍も私のコンパクトでもいい写真が撮れた。 ![]() ![]() 白馬山荘でトイレ休憩し(さすがトイレもきれいだ)、縦走に向かう。丸山までは、楽勝。大雪渓や小雪渓を登る人も見え、あきない。杓子はK夫人が巻道を望んだので、お付き合いする。K君とE君ならすぐ追いつくだろう。 ![]() ![]() 杓子のトラバースはすぐだったが、ガスの間から見える鑓ケ岳が殊の外高く見えた。ゆっくり花を愛でながら登ることにする。ハクサンイチゲの群落が見事だ。予想通り、K・E君はほどなく追いついてきた。ザレテ歩きにくかったとのことだが、さすがだ。私は喘ぎながらゆっくりだ。 少し両側が切れ落ちたところを通過し、お花畑で一休みした。ウルップソウ、タカネシオガマ白馬や杓子の眺めも良い。ここから鑓まではだらだら登る。山頂に着くと、白馬岳の山頂も見えた。本当に運の良い山行だ。山の神に感謝する。K君がここで美味しいコーヒーを入れてくれた。 ![]() ![]() 一気に下ると、大出原分岐だ。下には小さな残雪がある。雪が多く、花は盛りでなかったが、今まで見なかった、ハクサンコザクラ、チングルマ、コイワカガミ、アオノツガザクラ、キバナシャクナゲ、ナナカマドなどを見ることができた。 ![]() ![]() この先の鎖場で、昨年、滑落があったらしく、注意を促す標識が複数あった。記憶していたより、注意を要する感じで、グループの仲間に三点確保を促す。お尻を使いながらでもいいから、安全第一で通過した。驚いたのは、さらに先で、鑓温泉小屋までも雪渓の下りがあり、びっくりする。日没までの時間は気になるが、さっと温泉に入る。日本第二の高所にある温泉はやはり値打ちが高い。足湯もできていたのは、さすがの名湯だ。 ![]() ![]() 鑓温泉からも雪渓が数か所あり、念のため、アイゼンをつけた。記憶通り、先は長い。ガイドブックに沢の水の飲み比べが推奨されていたので、実行した。沢ごとに冷たさも違ったが、総じて美味く生き返った。首や頭も冷水をかける。 ![]() ![]() 小日向山への上り返しは、標高差はわずかだが、ダケカンバの美しさに慰められても、心理的にきつい。小日向山で、水芭蕉が見頃だったのは、やはり今年の雪の多さのせいかと驚く。 ここからは、上りはないが、なかなか高度は下がらない。心理的疲れと日没意識で、消耗戦だ。花もニッコウキスゲも見え出した。ブナの林となり、先行する関西の女性二人におつき、林道に出たときはほっとした。 予定より2時間遅れで、猿倉に着く。駐車場は一時満杯となったようだが、この時間は、空きスペースも増えていた。倉下の湯につかり、K夫妻お勧めの「膳」で信州そばとミニ天丼を食べ、帰路につく。東京までも渋滞もなく快適に走る。 ただ、関東・関西ともに雷雨で、下山が遅れたので、家内や父が大変心配したとのことだった。さすがに数日間、皆、足に来て歩行ままならかったようだが、花・展望・宿に恵まれ、100点満点の登山となった。教訓は、朝一番は、やはり展望のチャンスがあることだ。経験が活きた。良き山仲間に、新しい良き思い出ができ本当に良かった。 ![]() <後日談> 誰もが、数日は、足が痛くて、普通の歩き方ができなかったとのことだ。私は、この後、また、伝統芸能に戻り、8月初めは大阪の国立文楽劇場で文楽、11日から十日間に及ぶ鈴本演芸場での柳家さん喬と権太楼の初日、おまけに前日には文京区で行われたラジオ体操の夏休み巡回公開放送に参加した。 文楽は住大夫さんが引退され、心配されたが、呂勢大夫さんはじめ熱演で、入りもパイプ椅子まで出る盛況だった。平家女護島はラストシーン・鑓の権三重帷子は盆踊りのシーンなど夏の風情が良かった。サマーレイトショーの「女殺油地獄」は大夫・人形遣いは素晴らしいが、ストーリーが好きになれない。 鈴本は一門だれも素晴らしく、さん喬さんの50分にも及ぶ「お直し」は圧巻、権太楼さんの「疝気の虫」も好対照の爆笑の好演だった。喬太郎・三三・扇遊いずれも、さすがであった。 夏休みと言えば、ラジオ体操が懐かしい。三年間住んだ行徳駅前公園での風景も懐かしく、前日の散歩で公開放送を知り、台風が心配だったが、雨でもスポーツセンターであり、伝通院に5時30分集合ということで出かけた。表町町会の役員さんたちと雑談しつつ会場に向かう。町会長さんが大震災の備えとそれに耐える健康維持が最も大切と強調されていたのが印象に残った。スポーツセンターには何と1400名も参加していた。リハーサルが面白かった。二人の女性アシスタントは人気で、終了後、記念撮影を請われていた。良き思い出となった。この後、文京区の護国寺や江戸川公演など3時間散歩した。文京区は見所が多く散歩は飽きない。 |