少し前に偶然阿瀬渓谷から蘇武岳に登れるルートがあることを知り、蘇武岳には神鍋高原名色スキー場からのコースがよく紹介され、最短は妙見蘇武林道を使えば、5分で登れてしまうが、折角の関西百名山・一等三角点の名山に登るためには、阿瀬渓谷からそれも紅葉の頃にということで、阿瀬渓谷の紅葉まつりの日に出かける。メールで駐車場の様子を確認したり、コースを各HPで調べて概要をつかむ。気になるのは一箇所誰もが間違う場所があるとの事である。
メンバーはI夫人が マンドリンのコンサート、Mさんが風邪が長引き行けず、I氏、M君の3人である。日本海側は冬型気圧配置で天気予報がよく ないので、前日相談したが、折角の紅葉の季節なので、予定通り行こうというI氏の意見で決定する。
M君への連絡が悪く、私の自宅の出発時間が30分ずれていたが、何とか無事出発。I氏はいつも通り早くに用意されていたが、前夜痛飲され、グロッキー。私が運転する。予定通り淡輪のI氏宅4:45。途中コンビ二で昼食を調達し、湾岸泉佐野ICに乗る。順調に走っていたと思っていたのに、阪神高速湾岸西料金所手前で、覆面パトのお世話になる。特に周りの車と変わらないスピードで走っていたのに解せない。
聞くと106kmで26kmオーバーとのこと。周りもいっしょのスピードで、一台ではない上、先頭を走っていたつもりもなかったので、何故私なのか分からない。数百メートルつけ、計ったとかいうが、周りにも車がいた上で、証拠書類に自分の車と特定された写真があるわけでなく、おまけにパトカーがサイレンを鳴らしたときは、料金所手前で低いスピードはそれよりもはるかに減速。全く解せない取締りである。料金所なので、もうこれ以上スピードを出さないとあわてて、確定したという取り締まりであろう。最もおもしろかったのは、何とか急いでいたという理由をとりたくて、いろいろ聞き出そうとする。周りの流れに乗っていたというつもりなので、それを言うが、それでは上司に通らないようだ。山登りに行くつもりであることを言うと、いい趣味ですねという。そんなべんちゃらよりこんな取り締まりをするなと言いたかったが。違反をしたのは間違いないが、どこか間違った違反摘発だとしか感じられない交通取締りであった。しかし何を言っても無駄。ゴールド免許も通用せず。最後 は もっと悪質な運転者を取り締まるよう依頼して気を晴らすのみである。
時間の大きなロスと不快感は残るが、気を取り直して再出発。別府Pで皆で名物というかき揚げうどんを食べる。確かにおいしかった。和田山ICから312号、一本柳交差点では、国道9号ではなく、直進し、県道104号の円山川リバーサイドラインを走る。上小田北交差点で国道312に戻り、江原で482号に入る。この辺りで雨が激しくなり今日はついてなくてダメかなと思う。
植村直己冒険館を過ぎると阿瀬渓谷の案内があり、左折。何箇所か分岐があるが、案内があり迷わない。関電の作業車の後を進むと、駐車料金を取る机が臨時に設置されている。聞くと第一駐車場のようで、登山なので第二駐車場まで乗り入れできないかと聞くが関係者以外だめなようだ(歩いても5分ほどだが)。2日と3日のまつり当日は阿瀬渓谷第二駐車場は出店等で使えず、第一駐車場入り口で300円の駐車料金で取られるというのが結論であった。何十台も止められるが、雨でぬかるんでいる(左上の写真)。係りの人が熱心に誘導している。トイレもあるが、バンガローは泊まる気がするほどのものではない。トイレを借り(古いが清潔)、早々に準備する。レインウエアもすばやく着込む。第二駐車場の本部で帰りのことを考え、蘇武岳山頂から阿瀬渓谷へのショートカットの道を確認すると、やはり廃道となっているとのこと。どおりでどのHPにも載っていないはずである。係りの人は山頂まで4時間以上かかるであろうとか、雪になるだろうとか心配してくださる。
少し先で、遊歩道の分岐がある。折角なので、通るが、滑りやすい道である。源太夫の滝の前に出て、すばらしさに感動するが(右の写真)、隣の出合いの滝(左の写真)もよかった。しかし大きな岩で見事にスリップ。けがはなかったが、今日は厄日であるようだ。元の道に戻ると、紅葉越しに源太夫の滝は見事である。写真を何枚か撮る。
先に進むと、阿瀬五瀑の一つの恐れ滝。ここに思案橋があり、道は二手に分かれる。橋を渡らず、阿瀬川沿いに進むと倒れ岩。謂れがかかれている。思案橋を渡って若林川に進み、洗心台を通り金山口に至る道も磨崖仏等見所も多いようだ。五瀑の龍王滝の分岐を過ぎ、かえでの葉が赤ではなく黄色であることに気づく。I氏が地中の金の影響でこうなったのだという説を唱え、鉱物博士のM君に無理やり認めさせる。
いよいよ五瀑の不動の滝、小不動の滝と合わせ、名瀑である。滝を楽しみつつ不動坂を登ると不動尊があり、三角屋根のトイレと関電の水取口があった。この辺りの紅葉は美しい。甌穴の表示があったので、M博士からその出来方を教わったI氏から講釈を聞く。それにしても滝が多く、名前をつけるのも大変だったろう ねと話す。
ここからはほぼ水平な廃村への道。途中、日が射し「美しい」とM君が感激する。相変わらず清流は美しい。いくつかの木橋を渡り、ぬかるみの箇所を慎重に行くと、生活跡の石垣が見え出し、金山の廃村があった。帰りにM君が紅葉祭りの本部で聞いたところによると、この辺りは徳川幕府の時代に金山があり、多数の人が暮らしていたとのこと。戦後は、下の金谷集落で、三菱マテリアルと日本曹達が金を採掘していたとのこどだ。廃校跡はもう崩れてしまっているかと思っていたが、かろうじて残っていてHPに載っていたオルガンもあった(右上の写真)。
HPに載っていたようにどこか物悲しく、子供の声も聞こえそうで郷愁を誘う。この先、皆が迷うところはどこかと踏み跡を慎重にたどる。草を掻き分けるところもあり、疑いだすが、赤テープがあった。しかし明確な踏み跡を進んだが、そのうちに石垣を登るようになり、おかしいと思いつつも2つめの石垣を登った所でやはりおかしいと思い、先行するI氏にストップと声をかける。I氏の話によると先で踏み跡がなくなったとのこと。HPで迷った人や正しいルートを歩んだ人の記載を再読し、大きな平岩が一つのキーだと分かり、私が先行して少し戻ると廃村からは左手の沢沿いに岩があり、沢の向こうにテープがあった。よく見ると踏みあとを木でふさぐようにしているが、余りに踏み跡が明確で目印がないので、だれでも間違おう。万一間違っても、踏み跡の前に初めての石垣が現れたら少し戻れば、右の沢沿いに大きな平岩があるはずだ。それであればロス時間は少ない。しかし増水していて、この先数箇所沢を渡るのに苦労する。ここでI氏がすばらしい案を考える。ダブルストックだと、安定して歩幅が広くなり飛び石沿いに渡れるのだ。私とI氏のシングルストックを合わせてダブルとし、濡れずに渡れた。
しかし平岩の先も長くはないが、あさでおおわれたのをかき分けたり、ロープをつかってよじのぼったの結構苦労する。HPで書かれていた「満願の滝(表示はなかった)」を過ぎると、ようやく杉林の道だ。ここからは順調に高度を上げ、詰めると立派な妙見蘇武広域基幹林道の通る金山峠(本部の人はきんざんと言っ ていた)に飛び出た(左上の小さな写真)。標高760m。地図や案内が並ぶ。ここから山頂まで4.2kmとのことだ。熟達者に限るという登山道は天候と気力のなさからパスし、登山道の入り口の地蔵の写真のみ撮り、ゆるやかな上りの林道を急ぐ。一台の軽トラが来て妙見への道を聞かれるがどの程度かは分からない。
ガスが切れ、氷ノ山や扇ノ山が左手に見えるが山頂はガスである。林道沿いの紅葉はカラマツや落葉広葉樹の黄で期待ほどではない。総じて振り返ると源太夫の滝と不動尊辺りがよかったが、さほどではない。林道沿いはところどころにベンチとテーブルもあり、至れり尽せりで、尾根沿いは透水舗装をしたと自慢の看板があったが、無駄な公共投資としか思えない。45分ほどで待望の立派な東屋。これで雨でも昼食は大丈夫なのを確認する。展望台も併設され、展望写真に山名等記載されている。ここから山頂への登山道が連結しており、新しい木製の橋でつながっている。山頂直下からも林道につながっているようだが、少しは登山道をということで、15分上り、待望の一等三角点のある山頂に着く。展望版盤を見ると白山まで見えるとのことだ。草地の間にはなんとうっすら雪が残る。
ビールやいつものめざし、I氏が鳳凰三山のときに買ったサントリー白州工場のピュアモルトを楽しむうちに雪が強く降り出す。そういえば今日は全く水分を取っていない。手は凍えそうで、東屋で昼食とした方がよかったかと後悔するがあとの祭り。チキンラーメンと稲荷寿司という最近のパターンの昼食を済ませ早々に退散する。ガスで展望はゼロだが、誰もいない山頂と誰にも登山者に出会わないという静かな山行で季節が冬になったことを感じるいい旅となった。
下りは植村直己冒険館の閉館に間に合うように急ぐ。I氏開発の沢渡りで難所も越えるが、またも岩で見事に滑る。源太夫の滝(地元の人の話によると鉱山技師の名前)で一眼レフで写真におさめ、紅葉祭りの本部で役場の人に分岐点の表示のお願いと、くじびきをさせてもらい、駐車場に向かう。最後の階段で三度目のスリップでとことんついていない日だと確認して、山行を終える。
植村直己記念館はなかなかのもの(JAF会員だと100円引きとなる)で、M君も高校時代に全巻読みあこがれていたとのことで、満足する。映像を見たうえ、遺品を興味深く見る。I氏の「家族はまだ、生きて帰ってくるのではと思っているのでは」という言葉にうなづく。神鍋温泉の湯の森ゆとろぎもすばらしく、サッカー少年の団体で、今日はつくづく運がないと思ったが、広くて問題はなかった。小さいながらも露天もあり、楽しむ。帰りは間違って、竹野の方に行きかけたが、ほどなく気づき、上小田上交差点手前の王将で夕食とし、王将は庶民の味方と皆で感心し帰路に着く。渋滞もなく、無事たどり着いた。兄のようなI氏が気の毒がって反則金のカンパをくださる。覆面以外は良い思い出深い山行であった。M君は何とこれからI君の東京転勤の送別に古座川にキャンプに向かうという豪傑さである。若いことはいいことだ。
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