双六岳

 


データ】     

2017年7月27日〜30日
7月27日(木)22:30竹橋毎日新聞社発

7月28日(金) 登山開始後曇り 歩行時間 4時間55分
5:30道路通行止め 平湯バスターミナル 
9:20平湯バスターミナル発 
10:05スタート <70分> 11:15〜11:50わさび平小屋 <95分>            13:35〜50秩父沢 <35分> 14:25〜40イタドリガ原鏡平まで1時間45分の標識 <35分> 15:15シシウドガ原 <33分> 15:48鏡平山荘まで500mの標識 <27分> 16:15鏡平山荘 
17:30夕食 

7月29日(土) 曇り 歩行時間5時間21分

4:00起床 5:00朝食 
5:50スタート <70> 7:00弓折乗越 <75> 8:30双六小屋
9:17スタート <30> 9:47巻き道分岐 <18> 10:05中道分岐 <10> 10:15直登ルート <53> 11:08〜30双六岳山頂 <25> 11:55〜12:05中道分岐 <50> 13:00双六小屋
イワウメ2FのD
16:30夕食
17:15〜19:00懇談 19:10就寝

7月30日(日)雨のち曇り 歩行時間4時間56分

4:00起床 4:30朝食
5:40スタート <35分> 6:15黒百合ベンチ <12分> 6:27花見平 <13分> 6:40弓折乗越 <40分> 7:20鏡平 <5分> 7:25あと5分の表示 <10分> 7:35くまの踊り場 <15分> 7:50〜53シシウドガ原 <19分> 8:12イタドリガ原 <16分> 8:28ちぼ岩 <10分> 8:38〜48秩父沢 <40分> 9:28林道 <10分> 9:38〜10:05わさび平小屋 <10分> 10:15笠新道 <10分> 10:25水場 <20分> 10:45風穴 <22分> 11:07ニューホタカ <9分> 11:16ゴール・登山センター 
中崎山荘にて入浴・昼食
14:45新穂高温泉発 15:15〜30平湯バスターミナル 16:00〜10上高地 17:10松本IC 17:45〜18:00諏訪SA 19:25〜40談合坂SA 21:35新宿西口 22:00小石川

メンバー
    単独
   


以前から、双六岳を登りたいと思っていた。2000年の雲ノ平への前後にチャンスはあったが、テント泊で重かったので、当時は往復、巻き道を通った。その後、NHKの花の百名山で、トウヤクリンドウを求めて登る夫婦の撮影が良く、好印象を持っていたし、何よりどこかの星のような高山の山頂とは思えない平坦な広がりの向こうに槍ヶ岳が広がる景色は、一度は見たいものだった。

昨年、試みたが、バスの予約が取れなかったので、今年、再チャレンジすべく早くからバスの受付日初日を注意していた。バスは毎日新聞社の子会社が企画する「毎日あるぺん号」の3列シートとした。胃癌手術後一年経たずの単独行で、家内も心配するので、リュックはモンベルの最軽量にするなど、軽量化に努めた。

時期は、梅雨明け後の安定した季節とした。が・・・・・ 梅雨明け宣言後の天気はすこぶる悪く、当初はまずまずの予報が、木曜日に一転する。バスのキャンセル料もバカにならず、他の候補日もないので、高山植物を見れて、危険な天気でなければ、整備された小池新道を歩くだけでも良いと思い、出かけることとした。

しかし、出発場所の毎日新聞に行き、手続きを終えると新穂高温泉に向かう人だけが集められ、新穂高温泉手前の道路が落石事故だが、多分、通過できるとのことで乗ってくださいとのことだった。

JAMJAMエクスプレスのバスは最新でシートはもちろん、トイレもびっくりするほど良かった。席は分かっていなかったが、単独の4列目の良い席だった。わずか24人の定員で、上高地行きの人もいっしょで、経由地の新宿で満席となった。

良いシートとアイマスクや安定剤のおかげで、ぐっすり眠り、4時頃の徳本峠のアナウンスで一度覚めたが、すぐに眠る。上高地で半数が降り、新穂高温泉に向かったが、落石地は通れず、立ち往生となった。運転手も困惑気味だ。雨も強くなり、土嚢を積んだトラックが頻繁に通った。仕方なく、朝食のサンドイッチなど食べて過ごす。しばらくして毎日新聞旅行の指示で、平湯バスターミナルに戻る。

開通は午前11時とのことで、半分以上の人は、平湯から上高地へとか東京へ戻るとかに変更した。私は、昨年の病気もあってか、これも人生と腹立つこともなく、雨も降っているし、バスターミナルの足湯に入り、ぼーっと過ごす。すると隣の女性から、開通が9時半に早まったと聞き、運転手に確認すると、情報通の地元濃尾バス情報によると、その通りなので、出発するという。この女性は、槍平に泊まり、槍ヶ岳を目指すと言っていた。また、鏡平山荘に電話すると、落石事故でキャンセルも多いという。鏡平山荘泊希望ならわさび平小屋を14時までには出発するようにとのことだった。

落石現場は、幅は広くないが、二次災害を防ぐために、土嚢をたくさん積んでいた。ようやく到着した場所はホテル穂高の駐車場。新穂高温泉は、家族でも行ったが、ロープウェー乗り場辺りは、記憶のイメージとはずいぶん違った。運転手さんから、帰りの発車場所も同じだと聞き、真新しい登山センターに登山届けを提出して、出発する。

橋を渡り、駐車場を右手にゆるやかに上ると記憶があるニューホタカの前を通る。
薄いブルーやピンクの美しい山アジサイを愛で、杓錫岳の岩峰を仰ぎ見ながら、てくてくと林道を歩くと、埼玉に住み、私と同じ年だという単独の渓流釣りの方と親しくなり、雑談しながら、わさび平まで歩く。林道歩きは退屈なので有難かった。この川は水量が多く、釣果は期待薄だという。

笠新道の水場で一口飲み、10分ほど歩くと、わさび平小屋だった。建て替えて、かなり大きくなっていたが、後で泊まった方の話を聞くと、中二階で天井は高くないという。また、風呂は家庭風呂ぐらいの大きさとのことだ。



















渓流釣りの方がテント場に行くので、ついていくと数張りあり、昨夜の雨は大変だったという。また、小屋前のテーブルで昼食をとっていると浜松のご夫妻と会話となり、推奨の山を聞かれたので、雲の平と北沢峠仙水小屋泊の仙丈ケ岳と甲斐駒ヶ岳と答えた。

林道をしばらく行くとぶなの森が広がる。その先では、この標高でも大量の残雪が残る場所に出て、奥丸山に続く橋を右手に小池新道に入る。残雪からはクーラーより涼しい風が届く。この道は石の組み方等工夫され、歩きやすい。2000年の前回は晴れで、徹夜運転、テント泊の重い荷物を背負って辛かった記憶がよみがえる。あれから17年も経ったとは。月日の経つのが早いものだ。人の一生は長くて短いと言う言葉が心をよぎる。

















とりあえずの目標は秩父沢の冷風だ。曇りだが、目指す方角はガスもなく、緑と残雪が美しい。八ヶ岳以来の山行を感謝しながら、小池新道に入るまではしばらくは林道歩きだ。

秩父沢手前で、西東京市の日曜登高会のグループに追いつき、和歌山県串本出身の40歳代の方と親しくなる。同じ小屋に泊まったので、時々に声をかけられた。秩父沢(右上)の水はさすがに冷たい。

この辺りからは、高山植物に励まされての登山だ。年配の女性に導かれた男性二人のグループの、湯河原に住む女性が花の師匠となり、名前を知らなかったオオキバスミレ、スダヤクシュ、ミソガワソウ、ユキザサなどを私に教えて下さる。写真に撮っておいて確認する宿題をいただいた。

















エンレイソウやベニバナイチゴを見つけた後、ちぼ岩付近のハクサンシャクナゲはちょうど見ごろ。淡いピンクの紅をさした感のあるこの花は清楚で好きな花だ。




































イタドリガ原は残雪多く、まだ早春の感。広大な残雪補を左手にシシウドガ原を目指すとサンカヨウの群落が美しく、写真タイムが頻繁となる。シシウドガ原の標識のある辺りに ミネザクラが満開を迎えていた。また、ここの水場をはじめ、このコースはいたるところで冷たい水が飲めるのが嬉しい。

コケモモ足元に見ながら、美しいダケカンバの森を楽しみつつ、ゆるやかに登ると、熊の踊り場手前の日本庭園風の場所に出る。沢音が涼しく、ウグイスの鳴き声も盛んだ。

熊の踊り場(左上の写真)辺りには、17年前と同じく、キヌガサソウの群落があり、満開だった。17年もの間、木でなく草でも命をつなぐ逞しさを感じた。

鏡平山荘まで500mの標識やあと5分の標識は励みにもなるが、疲れた足取りには落胆でもある。小屋で、「あと5分」は下りの場合やろと話していた方がいたが、帰りに確認すると言葉通りだった(^^)v 

ようやく木道に出ると、鏡池で、ガスが晴れての槍ヶ岳を期待する人たちが何組かベンチにいた。青空も見えるが、ガスは晴れそうで晴れない。


















鏡平山荘はキャンセルはあったものの、混雑するとのことで2段の上の一角でL31、当初ふとん2つで3人と言われていたが、我々のところには来ず、一つのふとんに一人でラッキーだった。福知山から来たという40歳代と思われる夫婦といっしょだった。

到着したら、先ずはビール。または、ここの名物のかき氷を食すところだが、胃癌手術後一年経たず、ビールを飲むと炭酸で腹が膨らみ、食事量が減ると体力維持によくないので控え、かき氷も前回と違い、軽量化でコンデンスミルクを持たない上に気温が低く控えた。その分、お湯を小屋でもらい、珈琲を飲む。

















夕食は2回目の17時半からで、神奈川から来たご夫妻と親しくなり、翌日、双六小屋まで一緒に歩くことになった。コロッケや春巻きで、見た目は多くはないが満足のいく味と量であった。小屋版の若い女性が挨拶し、あいにくの天候だが、雨に濡れた「サンカヨウ」の透き通る花弁の美しさに触れた。

食後、ウイスキーのお湯割りを一杯だけ飲み、19時過ぎには、アイマスク等して眠った。
山小屋の朝は早く、3時を過ぎると活動しだす方も多い。

窓の外を見ると、何んと槍ヶ岳がはっきり見えて、槍ヶ岳山荘の明かりも分かる。何とか写真に撮れる時間まで持つことを願う。




























































白んでから鏡池に行くとガスったりもしながらも、良い写真を撮ることができ感謝する。特にプロ写真家なら、このぐらいがシャッターチャンスなのだろうなと思う。一度、覆われてしまって後も再び、晴れ、結局、7時半頃まで見えた。

5時から食事を取り、早々に出発する。トイレもさほどの時間待ちがないのもありがたい。槍ヶ岳や鏡平山荘を見渡せるところで、神奈川のご夫妻に加えて、松本からのテント泊のご夫妻と親しくなり、奥さんが愛称で呼ぼうと提案され、ご主人は「みっちゃん」、奥さんは「きよちゃん」、私は「よっちゃん」ということになった。

みっちゃんは、私より3歳年上だが、たくましく、テント泊の重い荷物もへっちゃらのようだ。きよちゃんも見目美しい女性らしい方だが、食事等しっかりかつがれている。そして何より、みっちゃんが吉本系でだじゃれが何とも愉快だ。最近、この周辺が、ドローン撮影された話になると、「アランドローン」、私がその後、オコジョに出会うと、俺もオコジョに会いたかった、会ったのは「ジュクジョ」ばかりだなどなど。























































































































































単独行もこれまで多かったが、これほど楽しいご夫婦と親しくなったことはない。みっちゃんと話すきよちゃんが優しく、ナイス夫婦である。きよちゃんは関西出身とのことで、即座に関西弁を繰り出す辺りにお人柄が現れている(^^)v。また、神奈川のご夫妻も仲睦まじく見るからに穏やかな素晴らしいご夫婦で、ご主人は70歳を超えているとは思えない健脚で、かくありたいものだった。おかげで、弓折乗越までの上りも苦にならなかった。乗越には、ニッコウキスゲが咲いていた



















みっちゃんは、色々見つけてくれるのが旨くて花見平では、一輪のクロユリだけでなく、もぐらのひっくり返った死体を見つけた。花見平からは、ハクサンイチゲ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ等のお花畑と池塘と鷲羽岳だけがラッキーにも一瞬見えた。稜線はハクサンフウロも多く、間違いなく小池新道は花の百名山だ。

そんなこんなで、楽しく進むとクロユリベンチ直前で、オコジョに出会った。登山道を行き来して、最後は、右手の小木の間から顔を覗かせ、こちらをつぶらな瞳で見つめた。写真を撮ろうしている間に、前方から数人の人が来て、逃げてしまった(下はイメージ写真ですが、見つめられた感じはよく似ています)。

















クロユリベンチは期待以上にクロユリが見頃でたくさん咲いていた。二夫婦と記念写真を撮る。これが良かったようで、とんだ落とし穴があったのが後に分かる。

快適な稜線歩きを続けると、双六小屋が見えてきた。小屋の手前のお花畑は、雪解け間近のようで、チングルマやコイワカガミもたくさん咲いていた。ここで、思わぬ事件が起きる。みっちゃんのスマホがポシェットから落ちてないという。確かにポシェットのチャックが空いている。最後に使ったのがクロユリ平と分かっているので、空身で取りに行くと言う。不思議なのは、彼の後ろを仲間3人が歩いていたのに発見しなかったこと。けれども誰かがひろってくれているのは間違いないだろうから、見つからないことはなかろうが、鏡平山荘に届けられていたら、やっかいだ。

見つかることを願い、私は双六小屋で受付と荷物を預ける。そして小屋に預ける荷物の整理をしていると、ポケットから私のスマホにケースもそっくりだが、違うスマホがひっこり出てきた。何故と思った瞬間、私のスマホは?と左ポケットにつっこむともう一つ出てきた。これは、みっちゃんのだ、何故?クロユリベンチで撮り、ぼけて、そのまま返さずにポケットに入れてしまったのだと気づく。血の気がひく思いだ。

どうしよう。手際よく整理して荷物を預け、リュックのデポ地点に行くと、二人のリュックがある。走るようにクロユリベンチ方面に向かう。一刻も早く知らせて詫びねばと急ぐ。

15分から20分は歩いた(走った)だろうか、前から二人が戻ってきた。訳を話すと怒るどころかわざわざ届けに来てくれてありがとうの感謝の言葉が。お二人のお人柄にただただ詫びる。

双六小屋でお二人は食事し、三人で双六岳に向かう。みっちゃんは変わらず、前から来た熟女(^^)vグループと話したり、リラックス登山だ。



















直登ルートは、若干の迂回があったが、危険個所はなく、あえぎながら登ると、標高からは考えられない平坦地に出た。ただ、ガスって20メートル先ぐらいしか見えない。たどり着いた山頂もらしくはない。展望がないのはすこぶる残念だが、術後、この高さの山に登れたことの幸せ感は大きい。それに何より今回は山の友達にも出会えた。ここは電波が入るので、みっちゃんときよちゃんとライン友達にもなった。

しかし、またまたハプニングが。ご夫妻の写真を撮り、スマホを返そうとすると、カバーからスマホが外れて落っこちた。このスマホと相性はすこぶる悪いようだ(^^)v何とか壊れずにセーフだった。

山頂を中道方面に下ると、キバナシャクナゲが咲いていた。そして中道分岐で、黒部五郎に向かうお二人と名残惜しいが別れた。
















中道は通る人もなく、静かなことこのうえない。コバイケイソウが複数咲いていたので、みっちゃんに見せようと写真におさめたのと大きな残雪帯の下の双六小屋水源地を見つけたのが特記点だ。

直登ルートに合流し、中道分岐を過ぎ、巻道分岐を経て、小屋に戻る。小屋主の小池岳彦さんがちょうどいたので、先代の潜さんの山岳写真のファンで、前回、お会いでき、写真にサインもいただいたことや昨年、岳彦さんと女優の野村真美さんとが山行するのを拝見し、是非とも行きたいと改めて思ったことを話し、記念写真を撮ってもらった。岳彦さんは、男前で聞くと母親似だという(^^)v

部屋はイワウメ2FのD。ふとん二つで三人と言っていたが、結局ラッキーで、二人だけだった。

談話室で、出会った若い新潟の二人に、持っていたミラーレスカメラの良さから親しく話す。

談話室にあった本の中に、芳野満彦氏の名著「山靴の音」があり、裏表紙裏に長々と 落書きが書かれていた。時は1993年、雨で停滞した小池潜氏を慕う鎌倉在住の女性が書いたもので、見事に小屋の歴史を感じさせる、当時を表す小屋の財産となっていた。この落書きを読めた私も幸せ者だ。

夕食は、名物の天ぷらが中心。美味かった。食後、部屋に戻り、昼間少し話した、埼玉の単独行の方と持参したウイスキーを飲む。南魚沼出身で、66歳。63歳でリタイアしたが、何故かやることなくメンタルとなったが山で癒され回復したという。2時間、楽しいひと時となった。

朝食は4時半のスタートに最後の一人ですべりこんだ。朝食は鏡平と同様、焼き魚もついて満足の今いくものだった。トイレ待ちも少なく、雨支度で、雨具を着込む。新しいスパッツや手袋もつけ、完全防備とした。


















下りはたくさんの団体と競合した。下から小1の子供が小6の子とあがってきたのには驚いた。お母さんは身軽で楽そうですと笑う。女の子では、小5の子がお父さんと登って来たのが最年少だ。お父さんと二人の小6男の子は、高山病となったが、下山するにつけ、元気だ。

縦走が理想だが、往復でも下りは景色が違い、捨てたものではないという人は多い。その言葉を思い出し、2000年の下りは、三俣山荘のテント場から大雨の中、下ったことを思い出す。

最後に共にしたのは港区にある学校の中高生のパーティー。テント泊で重装備だが、ザックカバーだも、ノースフェースやカリマーとブランドものだ。55歳の引率の先生と話すと、装備は親の負担が大変。6年続ければよいが、一年で辞める子もいるのはもったいないと笑う。

わさび平山荘で、雨具をとき、軽装となる。ここからは、ホトトギス、ササユリ、山アジサイの花、錫杖岳を愛で、風穴の風に驚き、余韻を楽しむ。

新しい発見は、笠新道上りの水場より、そこから10分ほどの橋手前の湧水の方がうまかったことだ、

下山届を出して、温泉は、割引券が複数あったが、新しい中崎山荘とした。露天もあり湯の花たっぷりの硫黄臭のする良い湯だった。食堂で高山ラーメンと生ビールで慰労とした。
 
帰りは同じバスと運転手だった。行きのご苦労を慰労する。席は単独シートの最後列だった。平湯バスターミナルに立ち寄り、上高地で多数の人を乗せた。帝国ホテルや大正池を車窓から楽しむ。 

諏訪SAで荻のやの釜飯を買い込み、小仏トンネルの渋滞はあったものの、談合坂SAで15分休み、新宿西口には30分遅れで着いた。寮でとりあえずたくさんの洗濯ものをした(^^)v

単独行でありながら、たくさんの山友達に出会えた。みっちゃんから、下山後、無事に黒部五郎と笠にチャレンジした旨の電話をいただく、また、どこかの山でお会いしたいものだ。


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