近百も関百も遠方のところばかりが残り、中でも日本海側は遠い。そこでGWの家族旅行をかねて、登ることとする。候補は、弥仙山(関)、青葉山(関・近)、由良ガ岳(関)、太鼓山(近)、依遅ガ尾山(関)、磯砂山(近)であるが、時間の関係から、太鼓山(近)、依遅ガ尾山(関)、磯砂山(近)とした。
1日は天気予報は悪く、午後からは悪い。朝早く自宅を出て、寮に荷物を運んだ後、塚口で長女をピックアップする。宝塚ICの手前のマクドナルドで朝食を買い込み、高速に乗る。ETCをつけたが、カードがきちんと入っていなかったようで、一旦西宮北ICでおり、入り直す。これが意外
と正解で、ETC割引の通勤割引適用には、宝塚・舞鶴西間では、100kmをわずかに超えOUTとなる。また、大都市近郊、すなわち宝塚・西宮北間は通勤割引は適用されないので、西宮北と舞鶴西間を通勤割引で走るのが一番安上がりだ。
道路も空いていて、西紀SAで休憩したが、9時過ぎには、舞鶴西ICに着く。今日は舞鶴観光である。先ず、自衛隊桟橋に行く。土・日のみ一般公開されている。予想以上に多数の艦船が停泊し、護衛艦の一つの「みねゆき」が一般公開されていた。自衛艦の向こうに青葉山が見え、独特の景色である。

赤れんが博物館の周りにあるレンガ倉庫は、小樽のように俗化されず、落ち着いた風情で写真を真剣に撮っている人も多い。特に倉庫を改造した市政記念館は、展示だけでなく、喫茶室がすばらしく、窓から見える蔦のレンガ倉庫は、一枚の絵のようだ。さらにまいづるベイプラザを見学し、近畿百景の一位に選ばれたという五老スカイタワーに立ち寄るが、やはり小雨ではその良さが出ない。それでも天気の良い日のすばらしさを想像するに難くなかった。
天気が悪いので昼食後、天橋立は立ち寄らず、翌日とする。今後由良ガ岳に登るために登山口のみ確認する(左下の写真)。天気は悪いが、駐車場に2台車があった 。スイス村へは岩滝のR178分岐から33kmとの表示があった。案内があり、一箇所のみ悩む分岐があったが、順調にたどり着いた。しかし風雨が強くなった。14時10分にヴィラ・マイリンゲン(91年にスイスのマイリンゲン村と姉妹都市締結したことによる)から、 第2リフト沿いに直登する。平均斜度23度あるそうだが、よく刈り込まれていて登りにくいことはない。ただ、今日に限って言えば傘もさせないほど風雨が厳しい。わずか10分なので、せめてという山の神のプレゼントか。

リフト終点の山頂は一等三角点を中心に刈り込まれている。写真に撮り、早々に第1リフトよりに歩き下る。晴れていれば磯砂山、金剛童子山 依遅ガ尾山が見えるとのことだが、今日はダメである。
資料より、せめて太鼓山について記す。
「丹後半島の中央部にあって、山頂には一等三角点があるが 、かつては、この山へは交通の不便さもあって、訪れる人も少なかったが、1978年の丹後半島縦貫林道の開通によって森林公園 スイス村ができ様相は一変した。ここには温泉浴場等多数の施設がある。また、以前は、過疎地で、バンガローやテントサイトには、住山という集落があったが、63年の三八豪雪を機に廃村になったとのことだ。スイス村の開設は、雇用や土産物の販売などに役立ったことは確かだが、山頂周辺ではチシマザサを林床とするブナ原生林の大半を失ってしまった」と記されている。

近畿百名山が選定されたのは、93年なので、スキー場ができてからである。一等三角点はあるが、百名山に選定されたのには、首をかしげる。この近辺からとすれば依遅ガ尾山でよかったのではと思うのは私だけであろうか。
天気は悪いが、折角なので風力発電の風車を見学する。 全部で6機あるが、これは1997年の京都議定書を機に、京都府が国の補助を受けて建設され、2300世帯の電力をまかなっているとのことだ。 1号機、2号機の順に670mを散歩できるそうだ。 2号機の下の建屋内には司馬遼太郎の言葉等があった。
リゾーピア久美浜には、早めに着く。期待以上に部屋からの景色もよく、部屋も広く喜んだが、温泉はあまり特徴はなかった。
HOMEへ
|