東大雪荘の中村さんのアドバイスによると旭岳温泉からは3時間半は、かかるとのことなので、2時に起き、さっと一風呂浴びた後、2時40分に出発する。出発してすぐ、道路に飛び出てきたキタキツネを引きそうになる。さすが北海道だ。私の靴だけまだ乾ききっていないので、車のヒーターで乾かそうと温風口に当てる(登山口に着く頃には乾いた)。カーナビのおかげで、迷うことなく走る。また、インターネットの「のんびり歩く大雪山」が非常に詳しく役立った。しかしカーナビの案内は目的地の東大雪荘は設定できたものの、なぜか屈足までしか案内されない。屈足まで148km、東大雪荘はそこから更に46kmもある。
 
富良野近くのセブンイレブンに入り、昨日の道内産地鶏親子飯がおいしかったので、再度購入する。途中美瑛等の景勝地に加え、北の国からやぽっぽ屋のロケ地もあり、盛り上がる。屈足近くで、道路を横切り畑に向かうキタキツネを再び見かける。更に東大雪荘に向かう道道718号では、何とエゾシカのメスが道路でこちらを見つめていた。近づくとあわてて森の中に立ち去る。

曙橋からのダートもよく整備され、走りやすい。曙橋近くに沼の原登山口の大きな表示があった。予定より早く東大雪荘手前の駐車場に着く。ここのトイレは美しい。前には源泉の噴気塔があった。ここでレインウエァ等を着た後短縮登山口に向かう。短縮登山口への道はさほど悪くなく、15分ほどで着いた。そこには、たくさんの自衛隊、警察の車、報道の車が並び、更に登山者の車は30台以上でスペースはほとんどなかった。また、ネット情報にあったバイオトイレが見事に完成していた。
 
登山届を提出し、遭難捜索でヘリが飛び交うものものしい雰囲気の中をしばらく幅広い林道を進むと、左折し、登山道となった。徐々に覚悟していた悪路となる。情報通りまさに田んぼ状態である。ほどなく、迷装服の自衛隊員2名に会ったので、「ご苦労様です」と声をかける。I氏がスリップしてこける。泥だらけになるので大変だ。I氏はめがねに慣れていないので、距離感がおかしいとのことだ。カムイ天上(樹に表示があり確認できた)は少し平で前トム平辺りが見えていた(この時点では勘違いしてトムラウシと思っていたが)。辺りにはシャクナゲが咲きかけていた。
 
しばらく先では、自衛隊員一人が無線で連絡を取っていた。たくさんの方が遭難されているのですかとお聞きすると、「多いようです」とおっしゃっていた。ここからは、更に悪路でカムイサンケナイ川までは、一歩ずつ気をつかう道が続く。ここまでひどい道の経験はない。途中また自衛隊員3名に出会う。へりは低空で飛び交う。沢の手前ではじめてくだってきた。沢からは計7回渡渉を繰り返すが、はるかに歩きやすい。ミヤマキンポウゲ があちこちに咲き、サンカヨウも2箇所で咲いていた。
コマドリ沢からの急登は、残雪や新緑が美しく苦にならない。前にテント泊のクループがおり、たくさんのエゾコザクラが右手に、左手にはシナノキンバイが咲いていることを教えてくださる。Iさんが「沢の出合いが短縮登山口であればいいのになぁ」とおっしゃる。そう思う人は、大変な割合であろう。
 
雪渓は例年よりは上部で、雪渓を歩いたのは20mほどであった。ダケカンバの新緑が美しく、雪渓を過ぎると、ナナカマドの花、ウコンウツギ、エゾノツガザクラ エゾノハクサンイチゲ等たくさん咲いていた。ほどなくガレキ帯を斜めに前トム平に続く。この辺りは歩いていて本当に気持ちが良い。ハイマツの中に、チシマキンレイカ(帰宅後図鑑で調べて判明した)がたくさん咲いていた。チシマギキョウも2輪だけ咲いていた。ウラシマツツジも多く、紅葉は見事であろう。M氏やI夫妻が遅れ気味なのでゆっくり歩いていると、何とコマクサが咲いているではないか。皆に教えてあげるべく待っていると、更に先にもっと大きな株があった。ずっとピンクの新しいリボンがあったので、これ以上遭難が出ないよう隊員の方がつけたのかと思って隊員の方に聞いたが、違うとのことだった。
 
一上りすると、ケルンが多く、巻き道となった。ナキウサギが鳴くが姿は見えない。ここで腹ごしらえをするが、このままのペースでは山頂は難しそうである。そろそろ下山者も多くなってきた。皆夜明けと共に4時前後から上り始めているようだ。ここで、I夫妻から「先行してくれ。自分たちは行ける所まで行くから」ということなので、M氏と先を急ぐ。
 
美しいトムラウシ庭園を見下ろす地点まで来ると、遺体らしい包みの担架がおかれ、救助の人たちが休んでいた。辛い気持ちで庭園に下り下りる。まさに雲上の庭園で、奇岩と沢と高山植物が美しい。とりわけエゾコザクラとシャクナゲの群落が美しかった。ここからは少し上る。下山のご夫妻に東大雪荘に少し遅くなることの伝言を頼む。M氏も「先行してくれ。途中で戻るかもしれないので心配しないように」とのことであった。たくさんの人で自衛隊の方も多いので心配なく先行する。ガスの中の一人旅である。
 
高低のない道を急ぐと、十勝岳との分岐に隊員の方が一人見張りのように立ち、一人はぐっすり眠っていたが、座ってヘルメットをかぶせられ、迷装マントに包まれ、どう見ても遺体と思われた。胸が痛んだ。隊員の方に「ご苦労様です」と声をかけ、いよいよ山頂を目指す。地図では、20分ほどだ。上から下りて来た単独行の方が、遭難の情報を詳しく教えてくださる。台風の縦走中に力尽きたが、ガスでヘリが近づけないとのことだ(情報は「のんびり歩く大雪山」に詳しい)。

山頂に着くと、二人の隊員の方が強い風の中、岩陰で休まれていた。立派な標識と三角点があり、手を触れる。愛知県の学生風の若い4人がいたので、写真を撮りあう。彼らの話によると昨日は強風で十勝岳は登れなかったとのことだ。風も強く、I夫妻やM氏を待たせてはいけないので早々に下ると、登ってくる隊員の方に山頂に2人いるかと質問された。ガスが切れ始める。

左手に小さな池を見ながら下ると、十勝岳方面との分岐に30人近くの自衛隊員と救助隊の方10名近くがいて、ご遺体を収容しているようであった。50mぐらい通り過ぎたところで合掌する。涙が止まらなかった。私は、ここ数年公私共に辛いことが多かった。それを慰めてくれたのが山であり、心から登山という趣味を持てたことに感謝している。しかし今回、山はやさしいだけではないことを厳しく教えられとともに、一方、山も何もそんなに人に辛い試練を与えなくてもいいじゃないかという気持ちが起こった結果の涙であったと思う。「のんびり歩く大雪山」の情報によると、この遭難は責められる点が大である。しかしと思ってしまうのである。
 
担架をそりに載せ、前トム平に救助隊が向かう頃、ガスが切れ、自衛隊のヘリが飛んできて、1時40分に収容された。トムラウシ庭園で晴れ出したので写真をたくさん撮る。前を行く5人グループや年輩の御夫妻に追いつき、雑談をしながら下る。御夫妻は、9日に北海道入りし、幌尻を登り、11日は台風のため、停滞し、12日は私達と同じく旭岳をピストン、明日はこれも私達と同じく十勝岳に登るとのことだ。8年前から登り始め、百名山は96座だと言っておられた。ブームになり、どこの小屋も混雑するようになったのを嘆いておられた。幌尻とトムラウシは困難さでは、いい勝負だとおっしゃっておられた。

愛知県の若手4人組と抜きつ抜かれつ下る。前トム平からは山頂こそ見えないものの、大雪山が見え出し、逆には日高山脈も見えていた。いくつかのグループを追い越し、いよいよ最後の難関であるカムイ天上までの悪路に挑む。疲れた体に田んぼ状態の上りはきつい。何と15時30分にM氏に追いつく。Mさんも追いつかれるとは意外だったようだ。庭園の少し先で引き返し、庭園で写真を思う存分撮っていたようだ。車の鍵を持っているので、先行してI氏に渡してあげて欲しいというので先を急ぐ。しかしカムイ天上までは思ったより時間がかかる。
ようやくたどり着いた下りで、先行する御夫妻の奥さんがスリップするが、手をうまくついて泥だらけになるのを防いだので、お若いですねと誉めると、親しくなり、いろいろ話しながら下る。東京の方で、キャンプしながら登っているとのことだ。昨日は富良野岳に登ったという。おもしろかったのは、トムラウシの山頂にシマリスがいてラーメンをもらいに来て喜んで食べるという話だ。朝は4時過ぎに出発し、自衛隊員30人ぐらいと抜きつ抜かれつ登ったという。慣れない方もいて、肉離れを起こす隊員もいて大変だったという。本州と違い、北海道は自衛隊員が身近なようだ。心から感謝する。
予定より早く着くと、I夫妻は2時間近く前に着いていて、19時頃だと思っていたのが早かったといって喜んでくれた。すべての遭難救助は終了したとのことで、自衛隊等は引き上げていた。私の後続の隊員もすべてヘリでピックアップされるのであろう。そうでないと疲れた体にあの泥道は酷だ。I氏はさぞ退屈だったのだろうと見えて手にはくわがた虫を持っていた。I夫妻は庭園前の遺体のところから戻ったという。シマリスに出会えてよかったようだ。
ほどなく、M氏も到着し、東大雪荘に向かう。東大雪荘前ではマスコミが取材をしていた。I夫妻は登山口で何も語りたくないということでインタビューを避けていた。ここは、乾燥室もないとのことで、前の専用洗い場で泥を落とす。
東大雪荘も建て直したばかりで、美しく感激する。ただ、フロントには事前に遅くなると言っていたが無事着いたことを知らせると、何と中村さんが既に登山口まで確認にいってくださっているとのことで恐縮し、よろしくお伝えいただくようフロントの人にお願いする。記念に東大雪荘のTシャツを買う。1300円と安いためか大変な人気のようだ。大きな露天風呂が2つもある大浴場で汗を流す。なんと源泉は100度近くある。食事は、さしみや川魚でMさん好みであった。しかし何より生ビールが美味かった。
朝食のおにぎりを受け取り、清算を済ませ、疲れきったので21時までには眠ったが、23時に起きてしまうと、遭難者のことが頭に残り、再び眠れなくなってしまった。0時過ぎ再度入浴し、ようやく少し眠る。
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