燕岳  2763b

 


データ】     

2000年4月29日(土)  晴れ  歩行時間  5.5時間
4月30日(日)  晴れ  歩行時間  4時間

 4月28日(金) 

21:45自宅 22:25泉南IC 22:55西名阪  23:15天理 23:45〜0:05伊賀P 0:50名古屋西

4月29日(土) 

1:05〜25ファミリーマート・ガソリン  2:05〜25恵那峡SA(きしめん) 3:50〜4:00梓川SA  4:50中房温泉 6:50駐車場発 7:00登山口 7:36〜43第1ベンチ(1660m) 8:12〜18第2ベンチ(1826m) 8:48〜58 (2020m)休憩 9:35第3ベンチ(2234m) 9:55〜10:05写真 10:20〜30合戦小屋(2380m) 11:15燕山荘見える 10:30〜35休憩 12:00燕山荘 13:35スタート 14:15〜45山頂 <10分休憩> 15:20燕山荘

17:00夕食 19:00管理人アルプホルン 20:00就寝

4月30日(日)

4:15起床 5:30朝食  7:00山荘発 8:00〜8:16蛙岩 9:08〜50燕山荘 10:17〜26合戦小屋 11:00第3ベンチ 11:12〜21休憩 11:24第ベンチ 11:37〜43第1ベンチ 12:05登山口 12:50〜14:00有明荘温泉 14:45豊科IC 16:05〜45恵那峡SA 17:15春日井IC 17:45勝川 18:30亀山P 19:27天理 19:45阪和道 20:00〜15岸和田SA 20:30泉南IC 21:05自宅

駐車場
  中房温泉駐車場無料、多数)

温泉
   有明荘温泉

メンバー
    O1、O2、Kさん
   


ゴールデンウィークのアルプスを求めて、行き先に悩む。候補は常念岳、蝶ケ岳、燕岳の中で迷う。今年はとりわけ積雪が多く、三股からの蝶、一の沢からの常念も難しい。三股からの常念は、もともと難しいようだ。その結果、入門コースの中房温泉からの燕岳とした。メンバーはM氏の膝が回復せず、O2氏が加わる。O1・K・O2氏は山仲間なので私が加えてもらったというところか。


今回も徹夜運転で、1泊。特に最近仕事が忙しく、山行は昨年の1/3となっていて練習不足であることや荷物が重いことから、いつになく、体力に自信がない。中松江で集合し、O1さん号で出発。オデッセイは、後部も独立シートで楽だ。途中の恵那峡サービスエリアのきしめんは旨かった。予定時刻通り、到着。中房温泉の駐車場も空いていて、両岸合わせて60台は駐車できるが、20台足らずだった。ナンバーを見ると、名古屋や関東が多い。1時間の仮眠と合わせると、2時間ぐらいの睡眠となった。朝食をとるが、食欲はない。6時50分出発。10分ほど歩くと中房温泉に着いた。途中も残雪が大きく残る。中房温泉の登山口には、美しいトイレができていた。


登り始めると、すぐに残雪が現れ、気をつけないと滑落のおそれのある危険な箇所が続く。第1ベンチもほとんどが雪の下で、第2ベンチまでは、斜面がきつく、滑落の危険もあった。しかし階段もはしごも雪の中で夏道よりはかえって登りやすいのかもしれないが、それでも登りはきつい。2000メートルを越え、アイゼンをつけると尚更である。高度計のメートルの上がるのだけを励みに頑張る。第3ベンチを越え、しばらくいくと、大天井岳等の尾根が見える。青空も広がり、美しい。元気が出る。合戦小屋まで後少し。


合戦小屋で行動食をとり、急斜面を登る。苦しい登りを終えると、槍ケ岳と燕岳が目前に。すばらしい景色だ。惜しむらくは、槍方面が半逆光で青空の色が悪い。写真を存分にとり、再出発。しかし、ここからがかつてない苦しさ。15歩歩いて休んでしまうというありさま。夏道と違い、小屋まで直登である。亀のような歩きであるが、何とか到着。トータルでは、コースタイムとさほど変わらない。O
1氏の叱咤激励のおかげだ。彼の話によるとバテたときは少々休んでも回復しない。ゆっくり歩いても歩けば着くという話。


燕山荘からは槍から立山まで一望の景色である。あれが北鎌尾根か。険しい。小説で読んだ加藤文太郎を思い出す。槍は真っ白で、孤独に天をさしている。稜線を左から追う。常念、大天井、穂高、南岳、大喰岳、槍、笠、双六、三俣蓮華、水晶、鷲羽、野口五郎、烏帽子、立山、剣、針ノ木、眼前に燕、鹿島槍全てが見える。小屋前に展望盤があり、山名が分かる。惜しむらくは槍が既に半逆光となり、写真になりにくい時間帯であること。しかし燕の西面にのみ雲がかかり、写真にいい被写体となる。小屋の手続きをする。受付の女性2人も感じがいい。さすが、山と渓谷の5月号で読者が選ぶNO.1山小屋に選ばれただけのことはある。小屋前のテラスで昼食。雪の中での行動食を想定していたので、スープとケーキ、サラミの簡単なもの。


食事後、荷物を小屋に置き、燕に出発。私とO2氏は写真を撮りながら、のんびり登る。それにしても花崗岩の奇岩が彩りを添え、燕岳はすばらしい。岩には、えびのしっぽもたくさんついていた。また、進むに連れ、穂高の吊り尾根も見えだし、被写体には事欠かない。山頂からの眺めはすばらしく、満足である。小屋にもどって、テラスでビールとウイスキィーで乾杯。つまみの缶詰も暖めるとおいしい。何より眺めがごちそうである。


小屋にもどると、6人棚に2人追加され、定員通りとなっていた。荷物を整理する。間もなく夕食の時間となるが、O2氏は、寝たまま。頭痛がするという。疲れ等から軽い高山病にかかったのであろうか。夕食は、和風ハンバーグとにしんの揚げ物、節句にちなんでかしわもちもついていた。おいしい味だ。しかしらO2氏はほとんど手をつけない。心配だ。夕食は我々は、17時からだが、今日は宿泊が多く、18時からの組もある。130名ぐらいの泊まりだそうだ。夏は、最大600名の収容だが、今は、本館しか使えず、これでほぼ満員だとか。


19時から赤沼氏のアルプホルンの演奏と話があるというので、それまでストーブの周りに陣取り、ウイスキーを片手によもやま話、名古屋から来た御夫婦と親しくなる。奥さまは活動家で御主人はやさしくすばらしいお二人である。昨日、アイゼンを買ってきて、今朝出発してきたとか。名古屋は近くていいとうらやましがる。途中、夕日を見に行くが夕焼けはなかった。



いよいよ、赤沼氏の時間。氏の話をまとめると、小屋開けして始めての好天だということ、小屋は今、雪で傾いているということ、近年にない積雪だということ、大天井に行くのもトレースがないということ、大天井岳には直登しないと、滑落するということ、中房温泉への下山も合戦小屋から下は、滑落に気をつけること、高山病をなめてはいけないこと、梅干しの効用、氏の登山歴と仲間の著書の紹介、毎日スクワッド100回の効用と、アルプホルンの演奏が2曲であった。アルプホルンは今は湿気でいい音がでなく、9月頃がベストだという。堪能して、就寝。小屋のふとんは今年から、ミズノが開発したブレスサーモのシュラフ。その効果か人が多いからか、張り付けカイロのせいか、昨年の薬師岳小屋は寒くて眠れなかったが、今年は暖かかった。しかし、2時頃目が覚め、後は4時頃までうとうと。前は前日徹夜のときはよく眠れたのだが。御来光を見る。O1氏は、燕近くまで出かけた。


5時30分より朝食。さけ、スクランブルエッグ、ウインナ等に洋梨のデザートまでついた。さすがである。トイレも混まず、快適に過ごす。水も、雪を沸かしたものをポリタンクに入れてくれている。ポリのにおいは致し方ない。O2氏も元気回復。


蛙岩方面にピストンをかける。薄く曇っているが、全山見える。遠く富士もかすかに見える。尾根道はそう怖くなく、雪庇に気をつければ大丈夫そうだ。途中、迫る槍にほれぼれしながら、写真をとりつつ、ゆっくり進む。皆は先を行き、一人旅だ。途中、テント泊の縦走者と話す。大天井を越え、常念、蝶と進み、横尾に下り、再度槍に向かうという。7日までの長旅だとか。大天井の避難小屋で停滞となると窓もなく真っ暗だとか。うーん、本当の山屋とはこういうものかという感じだ。蛙岩は何とかくぐれることができた。


槍・穂高を堪能し、帰路に就く。燕山荘前で食事をし、下山。登りとは、格段のスピードで下る。若い女性が一人、テント泊の重い荷物でスコップまで持ち、もくもくと登ってくる。すごいというしかいいようがない。下りは、ところどころ尻セードの後が見られる。赤沼氏はしないよう注意してたけどなー。登山口近くまでアイゼンは必要。最後が最も危険そうなのに、土がでてくるので皆その前に汚れや痛みを嫌いはずしている。何のためのアイゼンなのかと話す。



温泉は、中房温泉にするか迷うが、車を中まで入れさせてくれないので、有明荘とする。新しく、露天風呂も広く大正解。缶ビールで乾杯し、帰路に就く。夕食は恵那峡SAのみそかつ定食。結構いけた。


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