津和野・萩・防府の旅 |
【データ】
【メンバー】 |
GWは、特に旅行の予定はなかったが、9連休となったので、かねてから行きたかった萩旅行を思い立つ。ただ、いい旅館は満室で、新山口駅のホテルに泊まり、自由な行動のとれる旅とした。 金曜日の夜、遅く東京から帰宅し、さらに長女が業務多忙時期で遅く、迎えに行った後、1時間半仮眠し、3時30分過ぎに出かける。中国道が5時になると渋滞が始まるとの予測を信じての出発だ。さすがに起きた時はもういいかと一瞬思ったが、頑張って起きた。 おかげで、渋滞なく、中国道を、途中、仮眠や朝食をとりつつ、西進する。朝食は、勝央SAの洋食が卵料理もなくさえなかったので、大佐SAまで足を伸ばすと正解で、妻も満足する。 仮眠をとり体調も悪くなく、天気も良いので、高速からは遠いし、新山口まで距離はあるが、津和野を目指すこととした。11時15分に六日市ICを出る。休日と夜間割引もあり、高速代は4500円だった。中国道は山間部を走るが、桜も残るところがあり、緑は淡く気持ちよかった。 昼食は、道の駅「かきのきむら」前の「COOK」という洋食屋に入る。地元の唯一の洋食屋さんであろうと思うが、味も良く、流行っていた。この近くは高津川という川が流れ、日本一の清流とのことで、道の駅から見た川は、評価通りだと感じた。 津和野駅前の駐車場に止めると、駅には、SLやまぐち号が止まり、思いもかけず、ナイスショットが撮れた。先ず、妻の希望で葛飾北斎美術館に入るが、私の予想通り、見る価値はなかっ ![]() ![]() ここからの本町通り・殿町通りには、国の有形登録文化財となっている歴史のある建物が続く。本町通りは、津和野カトリック教会、鯉が泳ぐ藩校養老館、家老家跡の建物など津和野らしい絵になる見所は多く、隣接してバスの駐車場もあるので団体客も多い。ただ鯉がえさのやりすぎで太りすぎているのが大いなる問題だ。100円のえさの販売は当分やめるべきではないか。 ![]() ![]() 鷺舞の像のある広場と津和野川にかかる大橋まで行き戻る。 お茶休憩で、「紅葉」(くれないは)に入る。マスターの話によると、観光客は近年減っているという。日本五大稲荷の「太鼓谷稲荷神社」に寄ると、駐車場からSLやまぐち号が走るのも見え、いい思い出となった。 瑠璃光寺の五重塔が新山口のホテルへのルート沿いにあるので、立ち寄る。 資料によると、全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されている。ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔。また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社にもある。五重塔は相輪の尖端まで31.2メートル、各層軒が広く張出し、檜皮葺の屋根の勾配は緩くなっている。塔身は上層ほど間を縮め、塔の胴を細く見せ、すっきりした感じがする。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には廻縁・高欄があるので安定感が強く感じられる。鎌倉時代から、建築様式に、和様・唐様(禅宗様)・天竺様(大仏様)の3つがあらわれるが、和様を主体に、一部を禅様に、室町建築としては装飾が少ない造りとなっている。 また、若山牧水は次の二つの歌を詠んでいる はつ夏の やまのなかなる ふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人 山静けし やまのなかなる ふる寺の 古りし塔みて 胸ほの鳴る 前者は塔の横に歌碑が立つ 司馬遼太郎は、街道をゆくで ・・・この兵乱(著者注:陶晴賢の反乱)で、弘世以来二百余年のこの小京都は火のなかでほろんだ。いまは大内文化の遺構というのは、ほとんどない。 わずかにいまからゆく瑠璃光寺の五重塔ぐらいのものであろうか。 雨がいよいよひどくなった。 車がいくつかの暗闇をくぐりぬけて坂にさしかかると、急に視界の一部があかるくなった。 雨の中で瑠璃光寺の塔が、下から照明されて立っているのである。塔の光りに映えている青葉が、あざといほどに青く、その青葉を裳裾(もすそ)にして立つ塔は、おそろしいばかりの古色を帯びている。 ・・・・・・略・・・・・ 駈けていって塔の下までたどりついたときはもう肩から濡れそぼってしまっていたが、正面の塔の古色が尋常でないために自分が幻想の舞台にとびあがってしまったようで、雨どころではなかった。 (長州は、いい塔をもっている)と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。 ・・・・司馬遼太郎「街道をゆく 1 瑠璃光寺など」 それにしても期待以上で、ほれぼれする美しさだ。私も妻も呆然と見とれてしまった。法隆寺も醍醐寺よりもはるかに美しいと思った。きっと、何より、その屋根の形と檜皮葺の色合い、そして前景の池や樹木と借景の山だろうか 夕食は、山口グランドホテルの日本料理「雅」で、料理長おすすめの「五月限定懐石」、伊勢海老と皐月つつじ懐石を食した。伊勢海老と山口の春味を存分にお楽しみ下さいと紹介されているが、ちょっとびっくりなのでわざわざ記す。 ・先付: とり貝酢味噌 ・前菜: 旬の取り合わせ ・造り: 活伊勢海老姿造り 旬魚盛り合わせ ・煮物: 新ジャガ芋万十 ・焼物: 伊勢海老クリーム味噌グラタン ・合肴: 和牛ロース瓦焼き ・蒸物: ゴマ河豚白子とっくり蒸し ・揚物: 稚鮎の天麩羅 ・食事: 手毬寿司 穴子小袖 ・留椀: 伊勢海老赤出汁 ・果物: 盛り合わせ でなんと、お一人様 ¥7,000。 ウエイターが赤字ですと言うのも分かる、美味しさと量であった。睡眠不足の二人は死んだように眠った。 4月29日(日) この日は、萩観光とする。小郡・萩道路も途中まででき、早くなっている。距離は50`強だが、一時間もかからない。道の駅「萩往還」に立ち寄ると、付属の松陰記念館が9時からというので、待つ。椿秀窯という萩で二つある会社組織の窯元がアウトレットをしていたので、妻と数点買い求めた。色々、萩焼について教えていただいた御礼でもある。 記念館は無料とは思えない素晴らしい施設で(左下の写真)、30歳にして世を去った吉田松陰の偉大さが勉強できた。高杉晋作と久坂玄端が門下生だが、松陰の遺書とも言える「留魂録」は齢30にして、人はこのような境地になるのかと驚く。 ![]() ![]() 中央公園駐車場に車を止め、歩くことにする。先ずは高杉晋作像。若いカップルが像の姿を真似て写真を撮っていたのが微笑ましかった。日本の道百選の「菊屋横丁」に出ると、すぐに萩焼の「城下苑」があったので立ち寄ると、鶴瓶の家族に乾杯で取り上げられたとかで、女主が興味深い話をしてくださる。焼き物は出会いだという言葉に乗せられて、ぐい呑みを買う。値段の割に気に入った作品は、数年前に独立した左和玉雲氏の作品で、師事した二人のことも女主が解説してくれた(右下の写真)。 ![]() ![]() この通りには、「岩城」や「三好陶苑」など萩焼の店が多く、一々、立ち寄るので妻は「いいかげんに」という顔をしていた。高杉晋作の誕生地を見学後、重要文化財の「菊屋家住宅」に立ち寄る。特別に庭も公開しており(左下の写真)、見所いっぱいであった。 出口は伊瀬屋横丁に出て、萩焼の「昭雲堂」を覗き、木戸孝允旧宅・青木周弼旧宅を見学後、 円政寺まで足を延ばし、Uターンする。この通りは江戸屋横丁と呼ぶが、風情はある。驚いたのは、この辺りの民家も立派なこと。妻とどんな人が住んでいるのかなぁなどとつぶやく。 ![]() ![]() ![]() ![]() 旧久保田家(左上の写真)では、旧宅と離れの違いを説明してもらい、勉強になった。この後、名物の夏みかんジュースを飲んだ後、同性の田村萩焼店というのがあったので、立ち寄る。湯呑5客を妻が所望していたところ、目につくものがあり、購入した。勝景庵 八代 兼田佳炎(かねだけいえん)の長男、兼田知明氏の作品だ。主からぐい飲みになると急に値段が上がるので、湯呑を買い求め、冷や酒を飲む人も多いという話を聞く。 萩博物館のレストランで昼食をとり、見学するが、今一つだった。この後、妻を待たせ、問田益田氏旧宅土塀を見た後、車を取りに行く。ここに萩高校や西中学校があるが、この町で学ぶことの幸せを感じているだろうか。 口羽家住宅(右上の写真)は橋本川沿いにあり、風情があり、ぼんやり川を二人で眺めると、タイムスリップした気持ちになる。ここの表門は、最も雄大な規模で、その後、重要文化財の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を見て、萩城跡に進もうとすると、妻が「堀之内陶苑」が良さそうというので立ち寄る。壺の陳列が素晴らしく、女主との会話を楽しむ。このように飾れる自宅があれば、どれだけ幸せであろうか(左下の写真)。 ![]() ![]() その後、「玉村松月」という窯元を通りかかると、登り窯出しを即売しているというので、またまた立ち寄る。お勧めの品が格安で、茶碗、マグカップ、湯呑を買い求める。女主から年2回しか窯出ししないことや槇の窯の特徴、登り窯の前での写真撮影等思い出となった(左下の写真)。 萩城跡までも窯元がいくつかあり、歩くだけで楽しい。さすがに萩焼会館の見物はそこそこにし、萩城跡も何とも言えない落ち着きがある。 ![]() ![]() この後、妻との旅では定番のお茶タイム。「異人館」を目指す。これはガイドブックを参考にしたのたが、最初に妻か見つけていたものであった。 さらに浜崎伝建地区に向かう。無料の私の「鶴江の渡し」を見て、旧山中家住宅や旧山村船具店の並ぶ街並みを見学する(左下の写真)。説明も親切で、人形も面白く、印象に残った。 ![]() ![]() さらに平安古伝建地区を目指す。ここの鍵曲と土塀は絵になる(右上の写真)。また夏みかん栽培の発祥の地である旧田中別邸のかんきつ公園を見た。 ![]() ![]() 最後に松下村塾(左上の写真)のある松陰神社を目指す。一見はしておきたかった。吉賀大眉記念館、藍場川沿いの旧湯川家屋敷、浜崎伝建地区の再訪、北総門、萩美術館、何より、M部長の薦めてくれた萩焼の店も見れていないので、妻と長門と共の再訪を話す。日本で一番散策したい町とのことだが、むべなるかなである。 帰路、間違って山口に出たので、瑠璃光寺の五重塔のライトアップを見に行く。ため息の出るような美しさだった(右上の写真)。 レストラン「ねむ」で洋食をとり、ホテルに戻る。 4月30日(月) 最終日は、悩んだ末に、朝日新聞に取り上げられていた山口市の、ぼたんで有名な龍蔵寺、そして防府市内見学とする。 龍蔵寺は新聞で取り上げられたものの、雨で、人は我々だけであった。ぼたんは期待通りだったが、雨で重文の大日如来座像が見学できなかったのが残念だった。しかし、鼓の滝、国の天然記念物の大銀杏、住職の絵と見所は多い。住職は出版もされ、生駒の宝山寺で務められていたことも含め、縁を感じた。おみやげに住職の絵と教えの書を買い求めた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 防府市内も良かった。最初に立ち寄った防府天満宮は北野・大宰府とともに日本三天神とのこと。本殿はもとより春風楼も立派であった。次に訪れた周防国分寺には重要文化財の金堂に、本尊薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、四天王と多数の重文の仏像が圧巻だった。 ![]() ![]() 毛利庭園も先ず門までの松並木が立派で、回遊式の庭園、邸宅も見事としか言いようがない。藤やつつじも咲き彩りを添えていた。ただ、博物館は見るべきものはなかってがっくりだったが、喫茶「舞衣」は雰囲気があり、抹茶とよもぎ餅を楽しむ。 ![]() ![]() 最後に雨の中、山頭火の小径を歩き、帰路に着く。さすがに山陽道から宝塚トンネルまでは、1時間半ぐらい余計にかかったが、余りある充実した旅であった。 |