<夜行軍の記録>

1.記録

2001年6月6日(水)9:30雨のち曇り〜6月7日(木)9:00曇り後晴れ 

全歩行時間15時間50分(950分) 累計上り標高差2020m


    8:00〜8:20結団式 8:20教育センター発 9:15龍門橋着

・龍門山登山口→龍門山 実歩行時間105分 標高差700m(50m→750m)
  
                                         

   9:30スタート <40分> 10:10〜15休憩(一本松) <40分> 10:55〜11:00休憩 <5分>
   11:05〜15明神岩・風穴見学 <20分>11:35〜12:15龍門山山頂(標高756m)にて昼食(紀水弁当)・記念撮影


   ・龍門山→畑野→大峰登山口 145分
    
<20分> 12:35田代峠 <20分> 12:55沢渡渉 <40分> 13:35〜13:57畑野・飲み物支給
    <65分> 15:02〜15大峰登山口(カロリーメイト支給)

 
 
 ・大峰登山口→勝谷小学校跡公民館 80分 標高差200m(200m→400m)

  <32分> 15:47〜55休憩(ピーク) <48分> 16:43〜17:05勝谷小跡(学園長の激励、サポーター車家永S合流)

 
 
 ・勝谷小跡→松戸 50分 標高差250m(300m→550m)

    <25分> 17:30〜35休憩(ピーク) <25分> 18:00〜19:00松戸にて夕食(からあげ弁当とレトルトカレー)

  ・松戸→田村橋 53分

   <20分> 19:20?〜25?雨具装着 <25分> 19:50?〜55?蛍鑑賞 <8分> 20:03〜20:12田村橋

・田村橋→山手橋 113分 標高差250m(200m→450m)

   <23分> 20:35?〜40? <14分> 20:54オートランド <16分> 21:10〜15休憩(林道合流)
  <25分> 21:40〜55新田の辻三叉路 <35分> 22:30〜23:30山手橋にて夜食(カップ麺とコンビ二おにぎり)


・山手橋→楠本小学校 123分 標高差150m(450m→600m)

    <40分> 0:10〜15休憩 <40分> 0:55〜1:05休憩(農協)<43分> 1:48〜2:20楠本小学校

・楠本小学校→寺→生石神社 140分 標高差350m(300m→750m)

    <30分> 2:50〜3:00 <38分> 3:38〜48休憩 <17分> 4:05ログハウス <20分> 
    4:20〜25休憩 <20分> 4:45?ヘッドランプ返却 <15分> 5:00〜20生石神社

    ・生石神社→生石山山頂→キャンプ場 32分 標高差120m(750m→870m)
    
<16分> 5:36〜39生石山山頂 <16分> 5:55〜6:45キャンプ場にて朝食(コンビ二おにぎり1個
    とカップ味噌汁)

・キャンプ場→小川の宮 109分

    <25分> 7:10?〜15?休憩 <30分> 7:45?〜55?休憩 <12分> 8:07大観寺 <17分>
    8:24〜35休憩(登山口)<25分> 9:00小川の宮

 9:12小川の宮バス発 10:10教育センター着 10:30解団式終了

 
2.経過
 

・龍門山登山口(粉河町荒見)→龍門山
  

朝、5:00頃、雨の音で目覚める。早速、テレビで天気予報を確認すると、和歌山北部地方の降水確率は、午前中70%、午後60%と高率で、明日は少し回復し、曇りとのことである。一日延期したいものだと真剣に思う。全国的にみても、特に和歌山が高く、うらめしい。覚悟を決め、準備をし、妻に会社に送ってもらう。雨の中、自転車で会社に向かう学園生を何人か見かける。雨が結構強く降っていたので、思わず妻からかわいそうという声が出る。雨が降り続いていたので、教室で決団式を行う。生徒たちも緊張している。学園長の挨拶等受け、8:20にデラックスバスで出発する。バスの中では、眠っている生徒もいるが、日野君の話によると、全体に緊張していると言う。渋滞もなく、9:15に龍門橋に到着する。雨が降り続いていたので、バスの中で雨具を装着させる。

整列させ、9時30分に出発する。私、日野君、伊丹さん、茂原先生、生徒20人、宮川君、川畑君の順で歩く。急登なので、ペースをゆっくりとする。数年前に標識が整備され、迷うことはない。一本松までは、アスファルト中心の道。いちじく、キウイ、柿、桃等果物畑が続く。傘をさし、黙々と登る。ガスで下界は見えない。一本松で一回目の休憩をとる。ここは田代コースと中央コースの分岐でもある。水筒を持ってきていない者がいる。日野君があれだけ言っていたのにと怒っている。私も少し心配になる。舗装の農道をしばらく進むうちに、少しガスが晴れ、登り口の龍門橋がはるかに小さく見える。いよいよ中央コースの登山口に着く。今が盛りと思われる県の天然記念物のきいしもつけの紹介看板があり、生徒に読ませてから登り始める。水は流れているが、思ったほどひどくなく、安堵する。しかし急登である。階段を上りきったところで一息入れた後、ほどなく明神岩に着く。折角なので見学することとするが、滑りやすく生徒に厳に注意を促す。しかしその滑りやすさを生徒はワイワイ言って喜んでいた。明神岩の真下にホウノキが2本あるが、花は終わりに近かった。雨もほとんど止み、展望の良さに生徒も大満足である。風穴も見たが、風はなかった。周りのきいしもつけの群生の花は、ほぼ終わりかけであった。明神岩を過ぎると、自然林の登山道はやわらかく足にやさしく、緑が雨で美しく、勾配もゆるやかになり、皆も楽しんで歩く。更にもちつつじが群生しピンクの花が満開で美しかった。山頂に到着すると、雨もやみ、きいしもつけの群生も少しの標高差で満開で、すばらしいお弁当タイムとなる。前の和泉山脈の稜線にもガスがかかっているが、かろうじて和泉葛城山の山頂が見える。生徒たちの大半は、あっと言う間に食事を済ませ、着替えに入っている。記念撮影の後、茂原先生の指導でストレッチをし、出発する。出発間際にまた、雨が降り出す。

  
 
 ・龍門山→畑野(桃山町畑野)→大峰登山口(粉河町彦谷口)
                                   

田代峠までは快適に下る。田代峠からは、自然林で松茸山のためテープで両端が仕切られ、盗った場合、入山権利金の3倍とる旨の警告が何箇所かに掲げている。沢が近くなると、急に踏み跡が薄くなり、3度の渡渉となる。生徒たちも喜んでいるが、緊張している者も多い。下見をしていてくれるので迷わず助かる。3度目の渡渉を終えると植林となり、しっかりした道となるが、枝道も多い。下見のテープのおかげで、順調に下ると、ほどなく畑のあぜ道に出て、舗装の農道に出た。急な農道を下ると、畑野であり、森さんの車があり、ドリンク類の支給があった。ここは、20年前の夜行軍の印象で最も残っているところである。和歌山にもこんなところがあるのか。小さい頃新日本紀行というNHKの番組でみた日本の農村の風景を色濃く残しているなぁと強く感じたからであった。下見の時に依頼してくれてあったので、小さい子供を抱いた主婦が出てきて、生徒たちはトイレも貸してもらえた。ほどなく、軽トラックの荷台に3人の子供が乗り返ってきた。数件しかないのに、子供は多い。急傾斜なので、交替で送り迎えをしているようだ。濡れた靴下を取り替え、乾くことを願い、サポーター車の森さんに預ける。

ここから大峰登山口までは、舗装道を通る。桃山町と蛍で有名な鞆淵の八幡神社を結ぶ道を通り、ほどなく分岐に出て美里町を結ぶ道の方に進む。途中、立派なログハウスがあった。真国川は雨で水量が多く、濁流となっている。生徒たちも元気で快調である。昔、アイスクリームを売っていて当時の行軍ではアイスクリームを予約して置き支給したという店跡があり、今も売っていたらなぁと残念がる。1時間後、大峰登山口でカロリーメイトの支給を受ける。これまで購入して山に持って行っても食べたことはなかったが、おいしかった。

  
  ・大峰山登山口→勝谷小学校跡公民館(美里町勝谷)
                                    

大峰山の登山口は道とは思えない取り付きにくいもので、下見なくしては、分からなかったと思う。しかし、その後はジグザグにつけられた植林の良い道で20分ほど登ると、水平となり、大峰山の山頂の巻き道となったので、一息入れた。道に雨のせいか沢蟹がたくさんいて、踏みそうになった。から揚げにしたら美味そうである。しゅろの木も多く、快適に歩いた。生徒も私語が多く元気そうだ。真国宮からの舗装道に合流し、少し歩くと勝谷小学校跡の公民館であった。以前の隊で舗装道に出た後、逆に行ったことがあったそうだ。勝谷小跡で、学園長と合流し、激励を受けることになっていたが、予定より早くどうかと心配したが、ほどなく到着された。この辺から、山椒の木が多かった。ここまで来ると、足の不調を訴える者が出だし、茂原先生は忙しくなる。指導を受けると、生徒たちは安心しているのが心強い。私も足に疲れを感じてきたので、インドメタシンを塗る。

  

  
  ・勝谷小跡→松戸(美里町)

車隊と1時間後夕食場所で合流することを約し、山道に入る。こんな山深いところにも民家があり、農作業をしている人がいて、どこまで行くのか声をかけられる。生徒たちも、元気があり、挨拶しているのがうれしい。この辺も踏み跡が薄く、下見のおかげで迷わず、感謝する。登りきると林道に出て、展望がすこぶるよかったので、休憩する。少し疲れの見える生徒も見え始める。林道を下ると、大きな旧家があり、そこから畑を通り、そま道に入る。旧家の人にそこからは下れませんよというアドバイスを受け、説明する。道には、野いちごがたくさんあった。そま道を快調に下ると、食場所の松戸であった。学園長や森さんに早くて驚かれる。ブルーシートを引いてくれていたので、皆、裸足になり、足を冷やす。夕食はから揚げ弁当とレトルトカレーである。サポーターの森さんや家永君が献身的に動いてくれ、感謝する。ここで、ヘッドランプが支給される。私は、この日のために、最新鋭の3段切り替えのランプを用意したが、効果はどうであろうか。

  

・松戸→田村橋(美里町田)
                                   

田村橋までは、舗装道であったが、ほどなく、雨が降り出し、再び傘をさす。止んでくれることを願う。ちょうど学園長たちの車が過ぎ去った。19時半を過ぎると、さすがにランプがいるようになる。省エネのため、日野君は半分のみ点けるよう指示する。蛍がでないかと思いながら進むと、野上町からの道に合流し、右上に上がる道にみさと天文台の表示を見て、位置関係を理解する。この辺りは民家が多く、店もある。川に蛍の明かりが見え出し、貴志川にかかる田村橋からは、たくさんの蛍が見え、皆感激する。ただ歩くだけでなく、このようなことがあると、ぐっと元気が回復する。少し進むと森さんと家永君が待ってくれていた。これ以降当分彼らに会えない。


・田村橋→山手橋(清水町遠井)
   
                                                

ここからは、難所の真っ暗な中での山道。先頭を伊丹さんにお願いする。蛍光テープは、残念ながら思っていたほどの効果はないので、伊丹さん、日野君、私の3人がライトでテープを確認しながら、慎重に進む。一箇所間違いかけたが、伊丹さんと日野君にテープの確認を慎重にしてもらったので間違わずに済む。下見の2人の記憶も違う箇所があったが、分岐はもとよりテープを多めに貼ってくれていたのが、成功の秘訣となった。ピークの辺りではガスもかかり、数メートル先しか見えない。結構、急登で苦しみながら進む。オートランドまで来ると、広場となり満月がぼんやり見え出したが、すぐに踏み跡薄い山道に入る。倒木も多い中、我慢して進むと、新田の辻に出て、広い林道となる。以前ここで間違った隊があるそうだ。休憩をとり、衛星電話を試みるが、樹林帯でつながらなかった。総じて、幸いにも必要はなかった。生徒の中にも足の不調者が多くなる。殿の川畑君からの連絡も多くなり、休憩時には宮川君が茂原先生に状態を報告してくれる。不調になるのも当然で、茂原先生も、丁寧な指導と突き放しを上手に使い分けてくださって、心強い。本当に同行してくださってよかった。林道の途中から、踏み跡の薄い草で滑りやすい道に入る。下見でもよく見つけたものだと感心する。ほどなく、蛙の大合唱の畑に出て、一軒の民家があった。ここからも草で滑りやすい道で、山手橋間近で先頭の伊丹さんが滑って転倒し、あやうく小川に転落しそうになりひやっとする。伊丹さんほどの人でも油断は禁物である。山椒畑のあぜ道を下り終えると、山手橋で、夜食の準備をし、森さんと家永君が待ってくれていた。カップ麺とコンビ二おにぎり一つが支給される。シートも広げてくれていたので、再び裸足になり、足を冷やす。豆を訴える者も多い。疲れて麺を口にできない者もいる。私も濡れた靴下で豆ができたようだ。


・山手橋→楠本小学校(清水町楠本)
                                                 

山手橋から、再び山道を登る。150mほど登ると、林道に合流し、県道180号線に入る。これが長く、ところどころ、分岐があり、1ヶ所左に下りる道との分岐では、思案する。下見の際も、車でありテープもないので、思わず落とし穴となりそうだったが、伊丹さんがしばらく偵察し、確かな記憶を喚起し、右手の道を進む。眠気を感じる者も多く、アスファルトの道は、豆だらけの者には酷で、遅れる者も出始めたので、ペースダウンする。道を下って行くと、消防団に出て、農協の前で休む。皆ぐったりである。気合だけで、とぼとぼ40分ほど進むと、森さんたちに出会えた。シートを敷いてくれていたので、靴下を脱ぎ、足を冷やす。靴下は乾かず、そのため、ぶよぶよで豆だらけになりそうだ。 


・楠本小学校→寺→生石神社 
                                 

楠本小学校から一旦100mほど下り、寺まで登り返すと、再びサポーター車と合流する。ここから、生石神社まで、だらだら登って行く。踏み跡の薄い道で数箇所で林道を横切る。道も荒れ、迂回しなくてはいけないところもあったが、下見でテープがしっかり貼られている。林道でサポーター車に出会った。気力だけで登っている感じで、進むと、立派なログハウスの立ち並ぶ場所に出た。もうランプは要らない。夜が明けてから、先頭を歩く。ほどなく、サポーター車に出会い、ヘッドランプを預けただけで、生石神社を目指す。寺から、神社までは長く感じる。時々眠りながら歩いている感じがする。足をひきづりついてくる数人は、特につらそうだ。何とか生石神社に到着し、ほぼ計画とおりで山頂は寒そうなので大休憩とする。階段は長いが茂原先生、宮川君ともに最後までの無事を生石神社に祈る。


・生石神社→生石山山頂→キャンプ場
                              

生石神社からは、階段だが、大したこともなく、苦労せず、生石山頂に着く。ガスっていて展望がないのが残念であったが、記念写真を撮る。笠石までの下りは、野ばらが多く、やっかいだった。新聞にも出ていたがすすきを手入れしないと、小木にのっとられるかもしれない。展望のない中を下ると、森さんが迎えにきてくれていたので分岐がよくわかった。風が強いので、キャンプ場にシートを広げてくれていた。寒いので当初予定の半分の休憩時間とした。朝食は、コンビ二おにぎり一つとカップ味噌汁。温かい味噌汁は美味かったが、おにぎりは、もう一つほしかった。寒い中だが、仮眠している者もいる。


・キャンプ場→小川の宮
                                                      

最後の正念場の下り。足をひきづる者も多いので、ゆっくり下るが、傾斜が急な上、滑りやすい石も多く、疲れる。途中、2度の休憩をとり、登山口にたどりつく頃には、晴れて暑くなってきた。雨で豆ができ大変だったが、体力の消耗を防げる絶好の天気だったのかもしれない。登山口に着くと、おばさんから山頂に泊まったのかと聞かれ、事実を伝えると驚かれた。小川の宮までは1kmほど。相変わらず、溝には沢蟹だらけである。何てことのない道だが、手負い軍団なので、ゆっくり進み、日野君の願い通り、全員でゴールする。小川の宮は、新緑のもみじが美しく、完歩記念の写真を撮る。帰りのバスで日野君の足の裏をみると、ひどい豆であった。よく辛抱したものだし、生徒に豆は気合だと厳しく言っていたのは、自分への言葉でもあったのだ。私も帰ってからよくみると4つできていた。しかし、前回と違い、主体的に取り組んだので、充実感で一杯で、ぼーっとしたとき、夜の蛙の鳴き声や蛍の光の独特の雰囲気が甦ってきて、本当に行ってよかったと思うのである。茂原先生も、もう2度と言っていたが、どうであろうか。また行ってくださるのでは、ないだろうか。

予定より早く製鉄所にも着け、皆の出迎えを受ける。学園長にも出ていただいて、解団式を行う。長い長い1日が終わった。成功の秘訣は、入念な下見や支援体制等すばらしい室員と茂原先生のお蔭であると思う。


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以  上