矢田丘陵U

 


データ】     

2016年10月7日〜11日

メンバー
    単独
   


極めて悪性度の高い胃癌となった。
父も祖父も胃癌だったこともあり、産業医の先生の指導に従い、毎年、胃カメラを受け、内視鏡の先生が極めて経験豊富な先生だったため、早期発見・早期手術のおかげで幸運にも生還することができた。私のかかった印環細胞癌癌は遺伝性ではないとのことだが、普通は見つけにくく、5年生存率が10%しかないとのことだ。普通の癌より進行が何倍も速いという。

見つかったのは、内視鏡中に血がにじんだので、経験豊富な先生が過去の経験から、念のためと思い、生体検査に出してくださったからだ。胃カメラは8/20、見つかったのは9/1。ステージは1Aだったが、極めて悪性度が高いということで、癌専門の大阪府立成人病センターの消化器外科部長に紹介状を書いてくださり、厚生労働省の地域連携と言うシステムのおかげで、9/6には初診を受けた。

手術枠が、たまたま空き、手術日が10日も早まり、16日手術と電光石火で進んだ。数ヶ月遅ければ、大事になっていたという進行の速さなので、すべてが「不幸中の幸い」の言葉通りだった。腹腔鏡手術で2/3を切除。入院期間は最短の10日。されど、2ケ月弱の休職を余儀なくされ、本当に一安心したのは、10/12に切除部の詳細な病理検査が分かってからであった。

元々、いつ亡くなっても良いように生きようなどと思い、公私ともにやりたいことをストレートに実行してきた人生のつもりだったが、いざ、死が現実のものなると、自分だけのものでもないと強く思った。特に、家内の想いは身に染みた。

また、医学が発達しても薬はなく、進行を手術でしか止められない病気の存在と一日一日、死のリスクが高まるという現実は精神的にきつかった。まだ見込みがあったため恐怖というほどの実感ではなかったが、進行が非常に速いので、早く手術を行わないとリンパに転移するという現実があり、一日でも早い手術を願う毎日であった。10日早まったときは、本当にありがたかった。

・日ごろの行いと宗教
今回、奇跡的に早期発見・早期治療できたため、日ごろの行いの賜物と言ってくださる方が多かった。たた、本当に行いが良ければ、癌でもこのような厳しい癌にはならなかっただろうし、私の大好きだったたくさんの先輩が近年、60〜65歳で他界されたからといって、彼らの行いが悪かったなどとは、つゆも思わない。ただ、早期発見、また手術枠が空き、10日も術日が早まるという幸運に恵まれたのかは、神様・仏様が「一旦、試練は与えるものの、命は助ける。その変わり、大切に生きろ」と伝えてくれたのだと思うようにしようと思う。

結局は、長女が薦める、奈良興福寺の一言観音に、ことある度にお願いをし、かなえば御礼詣りに出かけることになった。また、父が毎日、仏壇にお願いしてくれているということを素直にありがたく思った。不幸な中にも起こる非常に幸運な展開を経験すると、科学的ではない何かを考え、純粋に「祈る」「信じる」という行為につながるのは自然でないだろうか?そういう点で宗教の存在の重みを初めて実感したことになる。

一方、たくさんの方から、ご厚情をいただき、人の情けのありがたみを思い知り、言葉に尽くせぬ感謝の出来事が多かった。

また、お世話になった大阪府立成人病センターは、心から安心できる病院で、先生、看護師、技師、スタッフの方、どの方も優しく頼りになる方で、これで3月から新設移転され施設が最新となれば、鬼に金棒となろう。

・術後
手術は、胃を長さで2/3、体積で1/2切除したが、腹腔鏡手術のおかげか、ICUにも入らず、翌日には歩き、翌々日には食事が始まり、最短の10日で退院できた。

辛かったのは、尿管をはずしても点滴をしていたためか、一時間おきに尿意を催し、寝むれないことだが、家内から病院は寝むれないものと教えられていたので、気は楽だった。病室からは、生駒山が正面に見え、その向こうに自宅があるのが慰めにもなった(右下は退院日の夜明け前の生駒山)。

退院中に台風が上陸した。また退院前日は、運動会の練習音が聞こえ(左下の写真)、季節の移ろいと再度、生を受けることができたありがたみを感じた。退院して、自宅に戻ると、生駒も運動会の音。早速、リハビリ散歩に出かけ、何気ない行事と元気な子供たちの姿に幸福感を感じる。

















翌日以降は、苦労をかけた家内の料理を食べ、リハビリのため歩くことも努力した。田んぼも実りの秋を迎えていた(畑の写真)

















今後も山を続けたいという気持ちは強く、10/7から少しずつ、高低差のある山道も歩いた。そして結局、矢田丘陵の遊歩道を給食センターから荻の台駅までつなげた。このルートは、以前、法隆寺近くまで一日で歩いたが、今回はリハビリのトレーニングの道となった。

10/7は、自宅から稜線に出て、左へ進み、福祉センターに下りた。やまつつじが咲いていたのが印象に残った。約1時間のコースだ。
















































10/8は、福祉センターから稜線に出て、左に進み帝塚山大学まで歩き、自宅に戻る。右上の写真は、帝塚山大学入口付近からの生駒山。これも自宅から自宅までで1時間強だ。

10/10は、市営の無料の足湯から稜線に出て、左に進み石仏を見つけ、折り返して荻の台駅まで歩いた。2時間半以上歩けた。体力はかなり回復した。この石仏は、色々な種類が八十八体ある。途中の展望台からは、生駒山地の稜線が美しかった。




































































































そして10/11は、給食センターまで家内に車で送ってもらい(上の写真の現在地)、帝塚山大学まで歩き、つなぐことができた。このコースは自宅まで1時間半だった。前年から生駒山系のナラ枯れ被害は甚大で、コナラの広場も全滅していた。新聞情報によると、大木が特にやられるとのことだ。池にかかる木道や展望橋からの生駒山の景色等楽しめた。





































































































































右の写真は、帝塚山大学前の道路の取り付地点だ。

こんな里山でも、やはり山は良い。できれば、夏山一泊を歩ける体に戻せたらと思う。

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