八ヶ岳(赤岳・阿弥陀岳)

 


データ】     

2016年7月29日〜30日 曇り 晴れ 一日目5時間7分 二日目6時間38分
7月28日(木)22:55毎日新聞社発 4:30美濃戸口 

7月29日(金)
5:05スタート <50分> 5:55〜6:00赤岳山荘 <8分> 6:08美濃戸山荘登山口(北沢・南沢分岐) <43分> 6:51〜7:00休憩 <110分> 8:50〜9:12行者小屋 <93分> 10:45〜50地蔵の頭 <3分> 10:53赤岳展望荘
15:30五右衛門風呂17:00夕食 17:30就寝

7月30日(土)
4:15起床 5:00朝食
5:50スタート <41分> 6:31頂上小屋(北峰)<4分> 6:35〜7:00南峰 <26分> 7:26文三郎道分岐 <7分> 7:33コル<10分> 7:43中岳<12分> 7:55〜8:02分岐<26分> 8:28〜8:38阿弥陀岳山頂<22分> 9:00〜14分岐<34分> 9:48文三郎道合流<6分> 9:54〜10:22行者小屋<46分> 11:08赤嶽神社石 <88分> 12:36南沢<5分> 12:41前日の休憩場所 <14分>11:55立派な橋 <15分>12:10〜46赤岳山荘<42分> 13:28美濃戸口八ヶ岳山荘

メンバー
   単独 
   


山友達のK君がタイに赴任し、今年の夏は一人の山行となる。会議の日程で休みもままならず、また登山バスがなかなか取れずに、一番の希望の新穂高温泉から双六岳は駄目で、八ヶ岳なら、金曜日を休めば可能となることが分かり、前回荒天と足の調子が悪く散々だった赤岳に加え、阿弥陀岳に行くことにした。

横岳の縦走も加えたかったが、近年の山の回数の少なさと夜行バスからは無理をしない方が良かろうとあきらめる。コースは、一日目は美濃戸から南沢を経て行者小屋、地蔵尾根経由赤岳展望荘まで、二日目は赤岳・中岳を経てコルに荷物を置き、阿弥陀岳を往復して、行者小屋へ下り、南沢を経て、美濃戸に戻る周回コースだ。

交通手段を調べるうちに、毎日あるぺん号と展望荘のセットがお得なことが分かったのと、展望荘には五右衛門風呂もあり、完全予約制というので、山荘は頂上小屋でなく、展望荘とした。

帰路は、さわやか信州号が、土・日に限り、関西方面にも美濃戸口から出ている。また、バス停のある八ヶ岳山荘では入浴もできる。

さて、その前に一週間前のことを多少記載する。帰省しなかったので、文京区の朝顔・ほうずき市、不忍池の蓮、荒川河川敷の足立の花火を楽しむ。実は上野は東北の祭りもあって楽しみに出かけたが、メトロニュースの案内が間違っていて予定していた時間にはなかった。

文京区の市は、伝通院で朝顔市、北野神社で大輪朝顔の展示、善光寺で変化朝顔の展示、こんにゃくえんまの源覚寺でほうずき市があった。朝顔は入谷、ほうずきは浅草を見ているので、比較のしようもない規模の差はあるか、風情は十分だった。変化朝顔と言うのが面白く、これでも朝顔というのが並んでいた(右下の写真)。


























不忍池の蓮は見頃で、蓮がこんなに美しいのかと驚いた。名所にも旬があるのがよく分かった。


























































花火は人出を予想して出かけたが、想像以上。帰れなくなることを怖れ、花火大会で初めて、終了まで見ずに帰宅の途についた。前年淀川の花火大会を見たが、比ではない。面白かったのは、帰りのことを考え、打ち上げ会場と離れた虹の広場側から見たが、同じ場所にいる大勢の人出も花火の上がる場所を分かっていず、始まってこの方向だったのかと驚く人が多数(^^)v 初参加も多いのだろう。

そして翌日曜は、泉屋博古館の15代当主住友春翆の「バロン住友の美的生活」を見に行った。期待以上で、蓄財をなした春翆の今は亡き「茶臼山」の本邸、そして愛好の名品の品の良さ、住友Gの会社に入ったのに今まであまり感じていなかった住友家の真の力を感じた。伊藤若冲「海棠目白図」や板谷波山の重要文化財「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじ ちんかもん かびん)も素晴らしいが、私は、木島櫻谷の「雪中梅花」の屏風に見入った。

そんな東京の風情と文化を感じた翌週、梅雨が明けないのにやきもきしながらも山の天気八ヶ岳のサイトを毎日チェックした。ここには夏沢峠の9時と15時の天気も記載される。天気予報が曇りでも朝は晴れることが多いようだ。28日に梅雨がようやく明けたが、すっきりしない。雨はなそうなのを良しとして、28日の夜、2013年室堂行き以来の「毎日あるぺん号」に乗車すべく、毎日新聞本社に向かう。新聞社の受付カウンターが夜は登山バス受付となるのが面白い。何しろ新聞社本社なのでトイレも美しい、ファミリーマートもあり、確かに便利だ。22時30分発のバスも各方面に出ている。

我々のバスは中型バスで定刻より10分遅れで出発した。隣席はやさしそうな方だった。睡眠薬とアイマスクと耳栓、枕を用意したが、中型バスは前が狭くリクライニングもなく、睡眠は難しかった。八王子でピックアップし、途中、時間は短いが運転手も交代する。さすが新聞社の旅行会社だ。

美濃戸口へは、定刻の4時30分に着いた。7人が下車した。トイレ等(すべて百円のチップ制)を済ませ、出発した。美濃戸までは所々、カット道があるが、ほとんど車道を歩いた。最初は美しいカラマツ林だ。

美濃戸には1時間弱で着いた。八ヶ岳に前回登ったのは、1999年で何と17年も前になる。月日の経つのは早いが、あの山行のことはよく覚えている。赤岳鉱泉の宿の素晴らしさ、硫黄岳の爆裂火口、夕陽に染まる横岳、そして風雨と古傷耐えながらの登山。当時は、美濃戸まで車で入ったが、今日は歩きだ。道はダートだが、拡張された区間もあった。






































赤岳山荘のトイレと水場を借り、さらに進むと美濃戸山荘があり、ここにも冷たい水場があった。ここで、南沢と赤岳鉱泉方面の北沢に分かれる。

南沢は、沢に沿い、時々、堰堤を見ながら、登る。急な上りは数か所で、また、沢には立派な橋も二か所かかっていた。針葉樹と苔の八ヶ岳らしい雰囲気を楽しみつつ、ゆっくり上る。前回は南沢は帰路に使ったが、記憶は全くない。

赤嶽神社と書かれた古い石や河原歩きに、こんなところ歩いたんだと驚きながらも、コースタイムよりずっとかかっている自分の実力に衰えを感じた。下山者に聞くと、朝は山頂は晴れて富士山や南アルプスも見えたという。河原からなだらかな樹林帯を進むとようやく行者小屋に着く。ここは、水場もあり、トイレもたくさんあるので、休憩には最高だ。

目指す赤岳展望荘も見えるが、赤岳はガスっている。体調が良ければ、山荘まで1時間だろうが、「寝不足」「10sを超える荷物」「高度」の三重苦で、あえぎながら登るしかない。
ヤッホーの声が聞こえる。確かによく響く。






































































途中、風雨にさらされ、幹がねじまがったダケカンバの林があり、一息入れる。その後は 古いはしごからかけかえられた階段や鎖場が続く。鎖場は慎重に上るべきレベルが複数あった。高山植物は少なく、写真のミヤマダイコンソウぐらいだ。


最後の地蔵の頭までの上りには真新しい地蔵が取り付きと頭の両方にあった。老夫婦が奥様先導で下山してきた。微笑ましい光景だ。

頭から山荘まではすぐだ。早い時間なので受付可能かを聞くとOKだった。先ず、面白いのはカップが渡される。名前等書けという。これで、珈琲・お茶・お湯が飲み放題だ。珈琲はちゃんとドリップしたもの、お茶はほうじ茶だった。珈琲が美味くびっくりした。このカップは色が違い、それが食事の時間帯の目印となっている。

大部屋も二段ベット式だが、予約制の上、各自の寝袋毎のスペースが確保され、この日は、満員でなかったので、快適だった。そして何より五右衛門風呂が楽しみだ。男女別に交替で2回の時間帯が与えられる。男性の最初は15時30分からだ。これは、バイオトイレ用に雨水を使うためとのことで、排水が活かされるという触れ込みだ。

















小屋前は、がれ場にもかかわらず、ウルップソウは終わっていたものの、コマクサは盛りだった(写真は白く見えた)。小屋の人が植えているのかもしれない。後はイワギキョウやミヤマダイコンソウなども見られた。

時間は、たっぷりあるので談話室(上の写真)で、山と渓谷の雑誌を見ながら、ウィスキーをちびりちびりやる。山と渓谷の5月号は新しい登山用具の紹介で興味深かった。ザックだけでなく、レインウエアもコンパクトなものがある。そのうち、眠くなり、昼寝をする。こんなにのんびり小屋で過ごすのは初めてだ。

その後、大阪狭山から来られたというWさんと親しくなり、山の話をする。一眼レフを持参されているとのことで、天気がよくなることを祈る。

五右衛門風呂は期待以上で、5人ずつ交代で入ることになった。結構な広さとシャワーまであり、もちろん石鹸等は禁止だが、すっきりして非常に良かった。重くなるが、二日目の着替え・下山後の入浴後の着替えも持参したので気持ちはよい。

入浴後、再び談話室に行くと、今度は大阪から来た人に話しかけられた。天候回復を待ち、近隣で一週間もキャンプしていたとかで不思議な方だった。職業はなんだったのだろう。(^^)v地蔵尾根でカモシカを二頭見たと言っていた。

夕食は17:15からが17:00に早まった。ネット情報では、賛否両論があるが、私としては十分合格。バイキング方式で豚の角煮や山菜の天ぷら等に加え、豚汁はおかわりもした。杏仁豆腐までついていた。







































しかし夕食を終えると外は雨でやることはない。それで何と17:30には就寝(消灯は21時)。隣の男女の話声は勘弁してほしかったが(談話室等に行くべき)、耳栓と睡眠不足で何とか眠った。夜、満点の星空はと外を覗いたが、晴れず。深夜の2時頃だったら晴れていたかもしれないが。 

日の出は4時45分。朝4時を過ぎると電灯がついた。ご来光を見るために外に出ると、Wさんが一眼レフをかまえていた。皆さんの行いが良いのか、天候が回復して良かった。

朝食もバイキング。おかずは悪くなかったが、みそ汁は少し塩辛かった。図らずもWさんたちと登ることになり、急登も励みになった。さらに見事なブロッケン現象が再三現れた。
いつ以来だろうか。



































山頂小屋のある北峰は前回は風雨で行ってもいない。今日は好天だ。富士山と南アルプスは一部しか見えないが、権現山等はくっきり見えた。是非、一度は訪れたい領域だ。写真を十分に撮り、満足して中岳・阿弥陀岳に向かう。


























































文三郎道分岐への急坂は先行して、男性が女性をロープで確保しつつ下る夫婦がいた。奥さんが確保されると安心するという。文三郎道分岐を過ぎると、中岳。きつい上りだ。休まず、コルに向かう。イワツメクサが結構咲いていた。






































見るからに急登の阿弥陀岳を前に躊躇しているとS1さんとS2が来られデポするというので一緒にリュックを置かせてもらい、空身でごいっしょする。お二人は62歳と68歳 とは思えない元気な方だ。

S1さんは20歳代に、冬季にこの山を登攀し、命からがらだったという。近年再開されたという。

直ぐに、はしごを登ると鎖場。急登で両手両足で上る。S1さんは、4本使う方が楽だというが、確かにそうだ。

ようやくたどり着くと、山頂には阿弥陀という名前にふさわしく、祈りの痕跡のものが多い。ただ、赤岳をはじめ、ガスがかかりはじめたのが残念。登頂に満足し早々に下山する。S1さんからご子息の陸上自衛隊員の苦労話等うかがっていると、厳しい阿弥陀岳も気持ち良く登頂できた。一人だと空身でも気持ち的につらかったであろう。

コルで一息入れていると、自衛隊のヘリが飛んで来た(右上の写真)。S1さんと小屋で親しくなった人が来て、赤岳山頂直下で、若い女性3人組の一人が50mほど滑落したという。

県警や民間でなく、本州で自衛隊のヘリによる救助は珍しい。ただ、ホバーリングも難しいと聞いたことがあり、再度、旋回してきたりして苦労されていた。大事ないことを祈り行者小屋に向かう。

この道は、地蔵尾根や文三郎道より、ずっと歩きやすく、子供たちにも歩ける快適な道だった。そういえば、山荘に「小学生と園児は小屋料金無料」と地元の自治体が支援するキャンペーンポスターが張っていたためか、この山行途中小5や小4、中には小2の男の子、学年は分からないが女の子もいた。

文三郎道と合流すると、行者小屋はすぐで、テントも15も張られていて、大勢の人でにぎわっていた。おでんが魅力的だったが、ここでビールを飲んでしまうと、3時間歩く気にもならないだろうと我慢した。



















美濃戸までの南沢まではのんびり樹林を楽しみつつ下る。三脚をたてている若い方に注目すると、見事なダケカンバの純林を撮られていた。また、その先に沢に伸びる木の枝にいくつも大きなきのこがいくつも生えている珍しいものも見た。

さすがに下りは楽だが、それでも2時間近くかかった。美濃戸の赤岳山荘の水場には、靴洗いのブラシが大小色々あったので助かる。

美濃戸口まで、うちわ片手にのんびり歩く。ショートカットの道もあるが折角洗った靴が汚れないように基本、車道を歩いた。団体の方が何組か来られて、うちわ片手の下山なので「余裕ですね」と夫人から声をかけられたが、「へとへとです」と正直に答える。

美濃戸口の八ヶ岳山荘で先ず、入浴。割引券があるので、300円と良心的な料金。浴槽は少しぬるいがシャワーは十分。髭も剃り、すっきりした。

早速、生ビール(これも割引券で500円)と地元産のとうもろこし。甘味があって美味かった。さらに欲張って ソフトクリームも。ここでうれしかったのは、行きのバスの隣席だった方と再びあったこと。足の具合が今一つで行者小屋に泊って引き返して来たらしい。ぽつりぽつりと話される口ぶりが人の良さを感じる・

さらに、私の乗ったバスの窓をWさんがたたく。何と硫黄岳に向かったはずだが、私がバスで帰るのを覚えてくれていて、わざわざ車を止め、窓をたたいてくれたようだ。

山仲間の絆のようなものを感じてうれしかった。今回は単独・天候等からどうしようか悩んだが、来て良かったと心底思う。



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