日和田山・物見山・ユカデ

 


データ】     

2019年1月5日(土)晴れ 歩行時間3時間12分
6:45後楽園駅発 7:05西武池袋線池袋駅発快速急行 8:00高麗駅
8:13スタート <14分> 8:27県道分岐 <4分> 8:31取り付き駐車場 <16分> 8:47水場 <4分> 8:51〜58見晴らしの丘 <5分> 9:03〜15神社前 <7分> 9:22〜28日和田山(305m) <14分> 9:42車道 <10分> 9:52ふじみや <14分> 10:06〜10物見山山頂(375m) <23分> 10:33車道 <7分> 10:40〜52北向地蔵 <7分> 10:59分岐 <8分> 11:07水場 <18分> 11:25竹林 <7分> 11:32〜12:51ユカデ <8分> 12:59林道 <19分> 12:18〜24福徳寺 <7分> 13:31東吾野駅 
13:43東吾野駅発 14:15飯能駅発急行 15:02池袋駅着 15:07丸の内線 15:15後楽園駅

メンバー
    単独
   


昨年は、夏の北穂高岳と秋の草紅葉の尾瀬の計画がいずれも台風で取りやめとなり、山から遠ざかっている。
NHKで年始に3回目となる北アルプスをドローンで撮影した番組が放映され、山の良さを再認識した。この番組は、映像はもとより、吉岡里帆さんのナレーションも良く好感が持て素晴らしかった。山への体力回復をということで久しぶりに歩こうと計画する。

鍋焼きうどんを食べに鍋割山が良いのだが、ここ何か月もろくに歩いてもおらず脚力に自信がないので、陽だまりハイキングとして、2014年に行った日和田山・物見山・ユカデを歩き、当時の歩行時間との差で術後と年齢から実力判断することにした。

問題は前日、会社の年始安全祈願後、直会があったので、飲み過ぎ要注意だったが、真面目に帰れたので、予定通り、早朝から行動を開始した。

朝7:05池袋発の快速急行は直通で秩父鉄道に乗り入れているので、すこぶる便利だ。また、行徳のときと違い、後楽園からは秩父方面は近い。快速急行は、ボックス型の懐かしい車両で8両のうち、半分は三峰口に半分は、長瀞行きだ。登山客も多い。

走り始めて10分ほどで、富士山が見えた。残念ながら、山頂付近に雲がかかっている。
電車登山なので、最近、「みかつぎ」以来はまっている森絵都さんの小説を2冊持参しているが、乗りなれない路線の電車からの車窓を楽しむ。

飯能駅で少し長めの停車後、前後反対になり、秩父鉄道に乗り入れる。高麗駅では、10人ほど、登山客が下車した。トイレを済ませ、高麗駅前広場の、高麗神社にちなみ、「天下大将軍」「地下女将軍」と表記された、朝鮮半島の道祖神「将軍標」を写真におさめ、巾着田の案内板に従い、右手のガード下をくぐる。

巾着田を目指し、国道を横切り、勝海舟の「筆塚」等観光しながら、県道に出て、巾着田手前の橋を渡り、交差点を左手に進み、少し登ると、日和田山の登山口で、大きな有料駐車場があり、何台か止まっていた。

美しい雑木林の幅広の道を進むと、鳥居があり、『男坂』『女坂』に分岐している。今回も男坂を選ぶ。最後は確かに鎖もない岩場が少しあるが右手に進むとさほどのことはない。登りきると絶景である。

















晴天で霞みもないが、富士山のみが雲に覆われていた。しかし大室山、丹沢、大山、そして眼下に巾着田。新宿副都心、スカイツリーもよく見えた。さいたま新都心も見える。わずかの時間でこの絶景は素晴らしい。

ここには、金刀比羅神社の鳥居と社もある。日和田山の山頂は社の右を回り込むように登る。山頂からは、筑波山がよく見えた。立派な宝篋印塔もある。標高は305mだ。コーヒーを沸かして飲んでいる男性がいて一瞬私もと思ったが、先は長いのでポカリスエットで我慢する。

ここからも東武蔵自然遊歩道の整備された林道だ。檜林を進むと車道(高指山と物見山分岐)に出合い、右手にNTT無線中継所が見え、ここが高指山だが施設のフェンスに囲まれていて、入ることはできず、物指山を目指す。

東屋やトイレが建つ駒高に出ると、ここからは富士山を望むことができるはずだか、雲に隠れていた。ここには一軒、ふじみやという茶屋があり、前回、自販機に缶おしるこも売っていたが、今回はなかった。残念。ここには真新しい公衆トイレが設置されている。

すぐに、車道との分岐があり、指導標に従い北向地蔵・物見山方面へと檜並木の道を進む。巻き道との分岐を少し進めば、切り開きの陽だまりの物見山山頂にでた。早500ミリのロング缶のビールを飲んでいて、もっと持ってきたら良かったと悔やんでいる男性がいた。標高は375mとのことだ。ここには一等三角点があるが今回はパスした。

この先には、右手に小さな社、左手に民家があり、100円でじゃがいも、しょうが、ゆず、みかんなど売っていた。道沿いの森林は、枝打ちがしっかりされている。林道の状態が良いので、トレイルランのランナー男女・外国人が10人以上走ってきたり、マウンティンバイクの人が来たりした。

北向地蔵へは物見山から約1.6`の道のりで堀切風箇所を下った車道出合いだ。北向地蔵でも男性一人がお湯を沸かして、くつろいでいた。

北向地蔵の説明を読み、道路下の指導標には前回と同様、手書きで、「ユガテ」とも書いていたので「土山〜五常の滝」方面の指導標に従う。谷筋に向かう道を下ると水場があり、再度下ると、竹林でその先に、「美しい山上集落」として有名なユガテにでた。ユガテとは不思議な地名であるが日高市の「高麗駅」の名称でもわかるように渡来人によるという説もある。

















文字通り、桃源郷のような雰囲気で、ぽつんと二軒の家と畑があり、みかんやゆずがたくさん実っていた。前回たくさんの人がくつろいでいたベンチのある広場にも誰もいなかったので、一番良いベンチを占有した。そこに男の子を連れた家族が来たので、写真を撮り合った。男の子がお母さんと二本の木を持ち合い、汽車のようにして出発したのは微笑ましかった。

前の畑は、夏はひまわり畑となるようだ。お湯を沸かして、いつもの定番のカップ麺と稲荷ずしを昼食として、食後のコーヒーを飲む。時間と共に人が多くなり、すべてのベンチが埋まった。

それにしても、あたたかな陽だまりは格別で、何気ないと言えば何気ないこの空間が天国とも思える。

名残惜しいが、トイレを済ませ、東吾野駅に向かう。すぐに左手とまっすぐ下る道に分かれる。道標は左の広い道だが、まっすぐの細い道が旧道だと思い下るが、こちらは、すぐに車道に出た。それはそれで初めての道だし、のんびり山村風景を楽しみながら、ぽくぽく歩いた。道沿いには蔵のある立派な家が複数あった。

福徳寺の重要文化財の建物を観て駅に向かう。寺には公設トイレもあった。帰りの電車は直通がなく、飯能駅での待ち時間があるが文庫本を持っているので、時間を持て余すこともない。足慣らしのハイキングだが、天気も良く満足感は非常に高かった。また、4年前と同時間で歩けたことにほっとした。この日の靴は、山を初めてすぐに買ったトレゼッタの総皮の登山靴だったが、後、何年足を通すことができるだろうか。

















実はこの日のもう一つの課題は、夜、大好きなジャズピアノの板橋文夫のスペシャルバンドを横浜の桜木町まで聴きに行くかであった。3日に亘る板橋さんの最終日だ。メンバーは、テナーに峰厚介、ベースの瀬尾高志のベテランに加えて、アルトサックスの守谷美由貴とドラムの本田珠也に興味があった。

一日に登山とJAZZは欲張りだが、東京にいるからこそできること、父母のことを思うと人生健康年齢はさほどあるわけではないと思い、寮には荷物を置いた程度で、再度出かけることにした。夕食は時間がなく、水道橋の王将でチャーハンと餃子を食べてと思ったが、混んでいて、時間がかかったが、カウンター席から見える店員の働きぶりの良さに感銘した。

この日の演奏は一言でいうと、行った甲斐があった。板橋さんは風邪で体調は良くなかったようだが、いつものように火花が飛び散り、ワタラセやグッドバイではしんみり聴かせ、峰さんのテナーはメロディアス。そして、瀬尾さんのベースは、弓あり、たたきありで、超絶技巧。本田さんのドラムは若さと才に溢れ、何よりかっこいい。そして守谷さんは、流石このメンバーに招かれるだけあって女性とか若いとかは関係なく、自分らしい平凡ではない演奏をくりひろげた。また、他のメンバーのジャズスピリットを学ぼうとする姿勢が色濃かった。

板橋さんはこの3月で70歳の古希とのことだが、まだまだ活躍できそうだ。それにしても実に充実した、しかし他人からは、還暦の者の行動ではないと思われる一日となった。

そして1月13日には、大阪の文楽劇場で、一部二部通して、文楽を楽しんだ。一部は伽羅先代萩と壺坂霊験記、二部は冥途の飛脚と壇浦兜軍記の阿古屋琴責の段。特に阿古屋琴責の段が注目されている。

面白かったのは、一部二部合わせて私と同じく8時間も観る人がいて、列が変わったのに隣席の男性がずっと同じ人だったことだ。この方は、南海ホークスの野球帽を蚊ぶり、大風呂敷で荷物を包むという独特の方で、毎回の拍手が半端でなかった。少しお話しすると、7年になり、人生の楽しみを見つけたという。ただ、今回も咲太夫さんが休演。太夫の後継者不足を二人で心配する。

この日記憶に残ったのは、咲大夫さんの代演含めて3回も演じた織太夫の奮闘、伽羅先代萩の政岡の吉田和生の人形、阿古屋琴責の阿古屋の勘十郎の人形と寛太郎の琴と胡弓、場面では、冥途の飛脚の道行相合かごのラスト、左上からの笛と三味線に時雨まう二人の哀れだ。二部は、満席で、欧米人の方もちらほら見かけた。劇場内の「亥」の字は、壺坂寺の住職によるもので達筆だった。

今年は国立文楽劇場開場35周年記念で「仮名手本忠臣蔵」の全段上演が予定されている。楽しみだ。

ところで、このHPのジオシティーズのサービスも3月末で終了する。移転するか潮時とするか思案している。

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