熊野古道小辺路第一日(高野山から大股) |
【データ】
【メンバー】 |
当社を定年退職し、世界遺産の熊野古道の語り部をしつつ、高野山の奥にある大滝集落にある自宅の敷地にトイレを設置し、熊野古道小辺路を旅する人に利便を図っているNさんのサポートで、Iさん・Mさんに小辺路完歩のお誘いがあり、私も仲間に入れていただいた。 OBのFさん、先輩のNKさん、和歌山県庁のNBさん、Sさん計8人だ。そのうち、サポートのNさんを除く7人で、高野山三味院から熊野大社までの72kmを4日間かけて、歩くというものだ。 ![]() ![]() 高野山金剛三昧院のしだれ桜 小辺路のスタート地点 10年以上前に中辺路の滝尻・熊野大社間を2日間で歩いたのがなつかしい。今回は、Nさんとの再会等で大変楽しみにしていたが、腰痛だけが気掛かりである。前週のゴルフもたたり、不安であったが、荷物もほとんどないので、何とかなるだろうと思い、参加する。天気予報は直前になって、最終日のみ雨が降るという、まずまずのものとなった。 待ち合わせの和歌山市民会館7時に、10分ばかり早く着いたが、皆揃っていた。さらに、Mさんと県庁組2人を途中ピックアップし、高野山に向かう。途中、道の駅紀ノ川万葉の里で小休止し、西高野街道から、前のトラックが遅いので、地元Nさんならではの知見で林道に入る。 途中、車のディーゼルターボのパイプが外れるというハプニングがあったが、事なきを得て、桜が盛りの出発点高野山三味院に定刻に着いた。それにしても、門前のしだれ桜は美しい。 ![]() ![]() ろくろ峠から高野三山 大滝集落のNさん自宅:左上がトイレ 有名なシャクナゲの蕾はまだ固いが、多宝塔等境内を楽しみ、準備体操をして、記念撮影後、出発する。のっけから、ショウジョウバカマが咲き乱れ、花好きのNKさんは、興奮気味にシャッターを押す。 歩きやすい平坦な道を進むと、右手から相の浦口女人堂跡からの女人街道と出会い、ろくろ峠に着いた。眼前には高野三山と思われる展望が開けた。さらに山桜を愛でつつ、なだらかな幅広の道を進むと、薄(すすき)峠に着いた。奈良県十津川村発行の世界遺産熊野参詣道登山マップ「熊野参詣道小辺路」は、大変詳しく分かりやすい地図でありがたい。 ここから、Nさんの住む大滝の集落に向かって下っていく。途中、左側に丁石があったが、気づいたものの違うだろうと判断し、写真も撮らずに下る。よく見れば、「くまの本宮より十七里」と書かれていたはずだ。地蔵と思ったのは、弘法大師像とのことた。 ![]() ![]() 大滝Nさん宅あずまや前の道標と満開の西洋石楠花 本来スカイラインの出合にあるべき地蔵 御殿川手前の左側からは、高野まきか見られた。御殿川の橋からは、新緑と清流が美しかった。ここから大滝集落へは舗装道だが、急登で喘ぎながら登る。IさんとSさんは、スピードがあうということで、どんどん飛ばす。 道を廻り込んだところがNさんの自宅で、敷地内には、新設のトイレがある。町だけでなく、Nさんも負担されたとのことだか、水洗トイレで管理もよく、さすが世界遺産というところで、管理されているNさんのおかげである。 立派なあずまやもあり、ゆっくり休憩できる。自動販売機もないか、咲き競うチューリップ の横から、おいしい水がふんだんに流れている。Nさんは我々を待つ間に、町の回覧紙等を受け取り、10件足らずの家々に配ってきたとのことだ。60歳を超えるNさんが一番若い限界集落とのことだ。 ![]() ![]() スカイラインからの水ケ峰入口 立里荒神遥拝所にて語り部Nさんの説明を聞く しかし、この何とも言えない日本の原風景を見るような風情のある集落を多くの人に味わってもらうため、Nさん宅のすく上の廃校を活かし、山村体験宿泊施設としたいとのことたが、トイレの改造や費用のかかる困難な課題が多いとの話を聞く。 シャクナゲ満開の道標を確認し、小道を上ると、右手にNさんの植えられた高野まきとシャクナゲの苗畑を見る。 一上がりでアカマツが美しい道に出た。平坦な快適な道で、NKさんが春蘭を見つけた。心無い人に盗掘されないことを願う。 ![]() ![]() サポートの語り部Nさんとお世話になったデリカ 大股集落 車音がするようになると高野スカイラインに出合った。Nさん宅との間だけ歩く人も多い とのことで、奈良県知事や和歌山県知事も先日歩かれたとのことだ。 ここからスカイラインを気をつけて歩く。水ガ峰分岐では、Nさんが待っていて下さり、語り部のNさんの話を聞く。ここの鳥居は、立里荒神の遥拝所。地蔵は、本来は昼食場所にあったのが盗まれ、発見した野迫川村の人が見つけたので、所有者のところに安置されたが、ここでは意味をなさないので、Nさんは、元のところに戻すよう働きかけられているとのことだ。 ここから一のぼりで林道に出るが平坦なダートの林道の轍は水溜りとなっているので気をつけるようにとのNさんのアドバイス通りの道であった。水ガ峰集落跡には、明治時代中ごろは8軒もの宿があったそうだ。農閑期には関東や東北からの団体でにぎわったというが、今は、その痕跡は石垣や防風林だけた。 ほどなく、林道からNさんが出迎えに来てくださり、舗装道をあずまやに向かって歩く。この道を通る車は年間どれくらいたろうかなとと話しながら。 ![]() ![]() 民宿かわらび荘前の清流 あずまや付近は、今でこそ植林が大部分だが、Nさんが中学生くらいの頃は、アカマツ林で十条製紙のチップになっていたとのことだ。Nさんは、ハン場に住み込み、週に一度自宅に帰ったそうだ。当時まつたけは小さいものは取らないほど取れたということだ。 林道タイノ原線や横の道を通りつつ進むと、地蔵のる平辻に着いた。ここでもゆっくり休む。近くにミツバツツジ美しく咲いていた。 平辻からしばらく地道を歩き再び林道に出ると、少しでかわらび荘へと向かう林道と大股に下る小辺路との分岐となった。ここからは、民宿かわらび荘のアマゴの養殖池がよく見えた。林道だとわずか1km。小辺路経由だと1.9kmだ。 地道を下りきると大股で、伯母子岳以来だが、バス停は、トイレや公衆電話が整備され、世界遺産の標識も立派であった。この日の歩数は26618歩であった。 かわらび荘前(川原樋川沿いに立つ )は、滝のある清流と山桜とつづじが実に美しい。見飽きることがない。しかし我々は温泉も楽しみなので、宿で割引券をもらい、野迫川温泉に向かう。家族でここのバンガローに泊まったものの、寒くて震えた夜がなつかしい。単純硫黄泉を楽しみ、湯上りに満開の桜見物に吹く風が心地よい。 宿では、ぐっと生ビール。Nさんの林業の苦労話等肴にいつもの山行とは違う趣だ。そして、夕食は鴨鍋、あまご、山菜のてんぷらが実に美味かった。早、20時にはぐっすり床についた。 第2日へ続く |