熊野古道小辺路第二日(大股から伯母子峠越え)

 


データ】     

2007年4月28日(土) 晴れ 歩行時間4時間55分(コースタイム5時間)
6:00朝食 

6:39スタート <7分> 6:46伯母子岳山頂まで5.4kmの標識 <20分> 7:06〜08崩壊地 <5分> 7:13〜16休憩 <9分 区間コースタイム45分:実タイム41分> 7:25萱小屋跡・山頂まで3.5kmの標識 <38分  区間コースタイム45分:実タイム38分> 8:03〜10桧峠・山頂まで1.9kmの標識 <21分 区間コースタイム35分:実タイム21分> 8:31〜33小辺路・山頂分岐・山頂0.6km、山小屋1.0km、護摩壇山12.7kmの標識 <15分> 8:48〜9:02伯母子岳山頂 <11分> 9:13〜22山小屋・山頂15分、三田谷12km、大股7kmの標識、三田谷橋8.5km、桧峠2.9kmの標識 <5分> 9:27水場 <38分> 10:05崩壊地 <8分 区間コースタイム45分:実タイム45分 途中写真撮影6分> 10:13〜24上西家跡 <41分 区間コースタイム35分:実タイム41分> 11:05〜08水ヶ元跡 <46分 区間コースタイム40分:実タイム46分> 11:54〜12:13待平・昼食 <27分 区間コースタイム25分:実タイム27分> 12:40三田谷橋 <10分 区間コースタイム15分:実タイム10分 12:50〜13:10三浦口バス停 

13:58〜15:40湯泉地温泉滝の湯

温泉
  湯泉地温泉滝の湯(露天風呂有り) 宿泊者割引300円
   


昨夜は早く寝たので、皆5時頃から起き出していた。世界遺産小辺路と書かれた大股の取り付きで記念撮影後、民家の間を登る。なんとなく記憶がある。それにしても急登で、山中手前に墓地があるが、墓参りも大変である。

あえぎながら、一歩ずつ進むと、NKさんが、まつぼっくりの「エビフライ」について教えてくれた。リスは歯が伸びすぎないようにまつぼっくりで歯を削るため、毎日何十個もこのようにまつぼっくりを「エビフライ」状にしてしまうとのことだ。


















    大股の登山口                            桧峠


植林手前の崩壊地は、以前と違って、整備されていた。さすが世界遺産である。ほどなく萱小屋跡に着くと、ここからは巻き道状で歩きやすい。以前と違い、道が広げられ、さながら、高速登山道だ。気持ちよく歩き、最後の一のぼりで、桧峠に出ると、樹間から伯母子岳が見えた。IさんやSさんの先行者は、早々と着き、休憩十分である。

ここから、山頂や護摩壇山分岐までも快適な道で、分岐からは、小辺路を離れ、折角なので山頂に向かう。山頂は大展望だが、霞んでいた。あこがれの果無山脈もぼやっとである。

記念撮影やくつろいだ後、早く着いて宴会を目指すIさんの音頭で出発する。腰を痛めないように気をつけて、急坂を下る。下りおりた小辺路との合流点の山小屋脇にも素晴らしいトイレが出来ていた。大変清潔である。水場は、ここから三田谷橋方向に5分下ったところにある。大した下りではないので、往復さほどはかからないであろう。ツキノワグマ注意の看板があるが、本当に出没するのであろうか?














    桧峠から伯母子岳                    伯母子岳山頂から護摩壇山方面   


ここから、上西家跡までは、小辺路の全行程の中でも最も美しい部分かもしれない。自然林でタムシバやつつじが咲き、花好きのNKさんと撮影したり、ブナの実を取ったりしながら楽しみつつ歩く。ハルリンドウを見つけ、NKさんも大変喜んでいた。

上西家跡も苔むした広場で、休憩にはもってこいの地だ。心地よい風に吹かれしばらく昼寝でもしたいところだ。先行者は、相当前に着いたようだ。ここは、昔宿があり、昭和9年頃まで人が住んでいたところだ。



















 伯母子峠からの下りの自然林の中の道             ミツバツツジとタムシバの競演

ここで旧道と新道に分かれるが、旧道は、コブを超えるために、8分ぐらいの上りに入る。そして植林のつまらない道を30分ぐらい進み、水ヶ元跡に近づくと、自然林になり、ここにもハルリンドウが咲いていた。














      ハルリンドウ                     上西家跡
















     上西家跡・三浦口方面                  上西家跡・伯母子峠方面



待平までは植林の中を石畳の下り坂が続く。石畳はかえって歩きにくいが、これこそ熊野古道の名残だ。先行者は既に弁当を食べていた。民宿の弁当はシンプルだがおいしかった。道標地藏に導かれながら、下っていくとサポートのNさんが迎えに上がって来て下さっていた。三田谷橋近くの民家は、養蜂をやっていて、小さなドラム缶に蓋をした仕掛けを教えてもらった。老人だが、年収300万円にはなるそうだ。


















      水ケ元茶屋跡                     小辺路の随所にある整備された道標



三田谷橋で写真を撮り、すぐにあるトイレの立派さに感心し、五百瀬トンネルを抜けると右手の斜面にある平維盛の墓と伝わるお堂や腰抜田の謂れを読みつつ、舗装道を1km弱歩き、三浦口バス停に着いた。途中、水田と清流を前景にした小さな古い学校に癒された。バス停近くの宿の「たまや」は閉鎖されていた。


















     待平に向けての石畳道             右ざい所道・左くまの道と刻まれた道標地蔵             


















     三田谷橋からの神納川                    三田谷橋















 五百瀬バス停近くの立派なトイレ                平維盛の墓と伝わるお堂















    五百瀬集落                       風屋ダムにある民宿かおり荘
 


ここから国道168号の川津までは、歩けば2時間もかかる。3日前までに十津川村総務課に申し込めば、1名からでも460円で乗車できるというから良心的だ。我々はサポートのNさんの車で、川津からさらに5kmほど下った民宿かおり荘に向かう。天気が俄かにくずれて、伯母子岳で長いをしなかったIさんの判断の正しさに皆で感謝する。もとよりIさんは、一刻も宴会を早くという気持ちであったが。(^^ゞ

今回の宿は、どこも語り部のNさんが懇意にしているところで安心だ。かおり荘は、村の人の法事をしていたので、荷物だけ預け、湯泉地温泉の滝の湯でくつろぐことにする。道の駅の観光協会で、宿泊者用の割引券をもらい、滝の湯に向かう。













  かおり荘からの風屋ダム                サポートのNさんと十津川鼓動の会のSさん



滝の湯は露天風呂は、内湯とは別に川沿いまで衣服を着ていかねばならない面倒さはあるが、湯船から小さな滝も見え、源泉かけ流しでくつろげた。また、シャガが満開で、彩を添える。サポートのNさんは、どなたでも声をかけたくなる温かな雰囲気を持たれているので、露天風呂でも声をかけられ、談笑されていた。

広間でプロ野球を見たりして温泉をたっぷり楽しみ、宿に帰ると、食事前に大宴会となってしまった。部屋からは風屋ダムも見え雰囲気もいい。

元々今回のために、Nさんは、焼酎を6本も持ってきてくださった上、我々も焼酎やらブランデーやら引っさげていたので、熊野古道歩きなのか温泉旅行なのか分からない状態である。そこがいいのだ。

しかし、その結果、夕食時には、泥酔状態の人もいて、夕食をとれない人まで出てしまった。民宿には珍しく、あまごやさしみ、混ぜご飯のつく小奇麗に盛り付けされたミニ懐石風のおいしい料理だったのだが。民宿の女将の妹さんは、世界遺産語り部グループの十津川鼓動の会の事務局長をされていて、Nさんと旧知なので、わざわざ夕食後の二次会に参加してくださった。

しかし、皆、酔っ払っていて、話の輪に加わったのは、Nさん、NKさんと私と途中、鼾で眠れず起きてきたFさんのみであった。しかし、NPOの話やら過疎に悩む十津川村の話(4000人の人口なのに、新生児は18人しかいない)、大阪から帰郷してからの村への想い、小辺路を歩いたアメリカ人の話、弘法大師の話など、次から次へと話題はつきず、楽しい一時となった。特に女将の妹さんSさんの小さい頃は山に上り陣地とりをして遊んでいたという話や伯母子岳まで登るのが小学校の遠足であったというのが、山里の暮らしを感じさせてくれ酔いも手伝い頭の中にシーンが浮かんできた。Sさんの郷土を想う熱い思いが少しずつでも実を結ぶことを心から願う。

二次会はなごりおしかったが、明日も早いので20時半頃お開きとしたが、あまりに鼾がすごいので、それぞれ別室に眠るよう女将の妹さんに薦められて、私は熟睡し、朝は、ウグイスの鳴き声で起こされるという幸せな夜を過ごした。

                 第3日へ続く
  

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