熊野古道小辺路第三日(三浦峠越え:三浦口から十津川温泉) |
【データ】
【温泉】 |
朝は、昨夜の鼾、寝言、寝相の悪い者の競演の話で盛り上がっていた。あじの開きや目玉焼き、サラダ等の朝食はうまく、夕食をとらなかった人も皆、しっかり食べた。昼食弁当の出来上がりを待ってもかおり荘前で記念撮影し、Nさんに三浦口のバス停まで送ってもらう。![]() ![]() 三浦集落の棚田 吉村家跡の防風林 三浦口から吊橋を渡り、民家の間の石畳を進むと、シャガの花が美しく、また、棚田も水が張られればさぞ美しかろうという風景であった。 棚田が終わると電波塔建設者の人が働いていた。その先には、お目当ての見事な吉村家跡の防風林の杉があった。貫禄十分で見とれてしまった。九十九折の道を辛抱して登ると二十五丁石があり、その先に三十丁の水があった。 ![]() ![]() 三十丁の水 三十丁石と地蔵 あまり冷たくもなく、今ひとつであった。ここからは比較的ゆるやかで、三浦峠には苦労することなく、着いた。三浦峠には、Nさん宅にあるのと同じ立派な世界遺産小辺路のルートを示す案内板、あずまや、トイレは真新しくはないが、丁寧に管理されているとNKさんが言っていた。さらに立派な林道まで横切っていたので少し興ざめしたが、Nさんの話によると、途中、不通で今は車で来れないとのことであった。 ![]() ![]() 三浦峠 今西集落を望む ここから鹿よけの防護柵の道を進むと、10分ほどで冷たい水場があった。ここの水はうまい。十津川村の立派な地図に水場の記載がないのが不思議であったが、季節により枯れるからであろうか。 ![]() ![]() 古矢倉跡の地蔵菩薩坐像 出店跡の水田跡の石垣 古矢倉跡は、茶屋があったらしいが、今は石仏があるだけだ。出店跡には茶店だけでなく、何枚もの水田があったとのことで、石垣の上には確かに水田らしい平地が広がるが、今は森林に覆われている。 ![]() ![]() 矢倉観音堂 小辺路では満開のシャガの花が至る所で見られた その先にはギンリョウソウがたくさんあった。10時13分に左手に今西集落をのぞみ、観音堂まで1.7kmのところで一息入れた後、10時47分にようやく観音堂に着くと、先行者のIさん達は、10時20分に着いていた。 10時57分に民家に下り立ったが、我々は小辺路を歩かず舗装道を進み、出迎えのNさんにあったのはよかったが、後ろのNKさんは、ちゃんと小辺路を歩いたので、Nさんと出会えず、15分ぐらい行き違いになってしまった。 この辺は、十津川村作成の小辺路マップには詳細に記載されているので見なかった我々が悪い。 西中バス停近くで、めはり寿司等3つのおにぎり、塩シャケ、たまごやきの入ったおいしい弁当を食べ、小辺路を完歩すべく、昴の里までの7.3kmの国道425号線を歩くこととする。 ![]() ![]() 西中直前の民家に下り立つ 昴の郷 あまりにいい天気で、雨傘を日傘がわりにして歩く。20分ほどで新設のトイレがあり、さすが世界遺産と感心する。西川中学校の校庭の野球観戦しつつ、我々を激励してくださるNさんに励まされ、ピッチを上げる。 ![]() ![]() ![]() 玉置神社の神代杉 21世紀の森紀伊半島森林植物園のシャクナゲ 時速5kmで歩いたため、昴の里に早く着き、一息入れてから、明日の出発点となる吊橋まで歩き、そこから、Nさんお薦めの玉置神社に向かう。30分ぐらいで着いた。2度目だが、屋久杉並みの神代杉は見ごたえがあった。 その後、今日泊まる田花館に薦められたという21世紀の森紀伊半島森林植物公園の石楠花を見物に行く。途中奥駈けの経験がある県庁のNBさんに苦労話を伺う。 石楠花は期待以上で西洋石楠花もホンシャクナゲも見頃で圧倒された。また、家族で来たらいい場所だと思った。国道425号から168号に出て今宵の宿十津川温泉田花館には、40分ほどで着いた。 田花館は、明治42年創業で間もなく100年になるという。ここで盛り上がったのは、部屋割りだ。今宵は、鼾等の兵の部屋とそうでない人の部屋を分けるということで、Mさんが部屋割りを決められたが、Iさんが良い子の部屋・悪い子の部屋と名付けるので皆苦笑いである。源泉かけ流しの湯を楽しみ、いたどり等の山菜料理、鹿のゆっけ、アマゴの塩焼き、山菜天ぷら等老舗旅館らしい夕食を堪能したが、HPで飲み物1杯サービスの券を持ってきたため、旅館の女将は、このサービスを受ける人が多くて読み違えたと苦笑いしていた。 第4日に続く |